評価点:21点/2011年/日本/131分
監督:瀬々敬久
人間に対する尊敬の念が欠如している。
永島杏平(岡田将生)は高校でクラスメイトを亡くすという経験から社会復帰できていかなかった。
ようやく見つけた職業は遺品整理の会社だった。
そこでは人が何日も経ってから発見されるというのは珍しくない。
そこで知り合った久保田ゆき(久保田ゆき)もまた、過去に不幸な出来事を背負っていた。
二人は次第にお互いの心の中にある闇に触れていくのだが…。
ひょんなことから見ることになってしまった作品。
本当はこういう映画を見たくなかったので、全力で阻止しようといろいろ動いてみたけれども、残念ながら見なければならなかった。
おっと、愚痴を言っても仕方がない。
原作は、作詞家なのか、タレントなのか、小説家なのか分からなくなってきたさだまさし。
「精霊流し」で小説家デビューを果たし、今ではテレビ業界ではなくてはならない「安定した作家」の一人だ。
僕は残念ながら、デビュー作は読んでもいないし、映像も見たことがない。
母は号泣していたらしいが。
この作品はDVDにもなっているし、主演二人が人気の俳優だから見たことがある人も多いかもしれない。
まあ、興味がある人はどうぞ。
そうでない人には無理に勧めてあげるのはやめてあげてください。
ちなみに監督はあの、「MOON CHILD」の人。
▼以下はネタバレあり▼
だから僕は邦画を見ないのだ。
この映画はテレビドラマがさきがけて放映されて、TBSの「売りたい」という気持ちがそれだけでも痛いほど伝わってくる作品である。
しかも、刑事ドラマなどでもおなじみの脇役が配役されていて、テレビをよく見る人たちをなんとか劇場に足を運ばせたいという必死さが伺える。
その執念にも似た工夫は、ほとんど尊敬するしかない。
けれども、この映画が面白くない本当の理由は、人間に対する尊敬の念が全く感じられないということだ。
まず、不自然なシークエンスが多すぎる。
冒頭、説明なしの裸で屋根に上る主人公。
(結局その後も説明はない)
教室でナイフを持ち出した生徒がいるにもかかわらず、教師に切迫感がない。
山岳部が生徒二人でキケンな山登りを認めてしまう。
(しかもその後落ちそうになるところをこっそり写真撮影してしまう呑気さ)
二度目のナイフ登場にも先生らに緊張感はない。(おそらく全員教師はクビですね)
上司が男女二人の部下に「飲みニケーション」を誘えというセクハラ。
まだまだある。
細かいことを言えば、不自然なところはいくらでも出てくるだろう。
その一つひとつが、この映画の世界観のつくりの甘さを示している。
だから、この映画に感情移入しろというほうが難しい。
なぜこんなことが起こってしまうのか。
それは真剣に監督をはじめとして制作委員の方々が検討すればよいだろう。
一度完成した脚本を見直せば、だれもが朱をいれるべきところに朱が入っていない。
だから、「そんなことありえねぇ」が連続することになる。
そこから受ける印象は「物語」に仕立て上げたいという、作り手の薄汚い意図しかない。
主人公二人のキャスティングがすでにそうなっているのだから、もっと丁寧な作りこみが必要だった。
クーパーズという会社が行なっている遺品整理の仕事は確かに存在する。
一般的に言ってそれは人々に敬遠されるような職業であることも間違いないだろう。
「おくりびと」のときと同じように。
問題はそれをどのように描くかだった。
この映画の描き方では、その偏見や差別を助長するようにしか見えない。
第一に、内面を深くえぐられる二人の過去が特殊すぎるのだ。
特殊な職業に集まってくる人間が、あまりにも特殊な経験をしているので、結局特殊な職業であるという印象になる。
原田泰造らがどのような過去を持っているのか、「普通」を描いておかなければ、観客にとって「非日常」にすぎなくなっている。
もっとはっきり言えば、「かわいそうな過去を持っている人がする仕事」にしか感じられない。
だから、差別は助長されるような気がしてならない。
職業に対するリスペクト(尊敬)があまりにも足らない。
丁寧に描かれる主人公杏平の過去だが、彼の悲しみが実はほとんど理解できない。
友達が自殺したから「悲しい」のではない。
友達とのやりとりで友情をなくしたから「悲しい」のではない。
そこは大きな誤解だ。
彼の人間性にどこか問題があって、そういう悲しい出来事が連発したのだ。
そう考えなければ、彼はいつまで経っても成長できない。
友達が自殺してしまったのは、彼が人の心に深くかかわれなかったからだ。
もっと友達を理解しようとすれば、自殺に追い込むことはなかったのもかもしれない。
彼のナレーションでは「あの頃の僕たちはみんなどこかいらいらしていた」である。
「みんな」ではないのだ。
「みんな」死ぬわけではないし、「みんな」そんな経験をしたわけではない。
だとすれば、彼にあるパーソナリティ(個)の問題としか考えられない。
そこに目を向けないから、彼はどんな職業についても他人のせいにしてしまうだろう。
彼は深く考えているようで、実はまったく表層的なレベルでしか物事を見抜けていない。
だから、彼は社会とコミットできない。
その視点で脚本を書かなければ、「どこにでもいるでしょ、こういう話」程度にしか掘り下げられない。
それはゆきについても同じことだ。
男の人に触れることがだめな理由はレイプされたことだった。
(ああ、なんと「ありきたり」なのだろう)
しかし、その告白をした数時間後に、ホテルに二人で結ばれようとする。
(ああ、なんと「軽いトラウマ」なのだろう)
さらに、あっさり自分に起こった出来事を語ってしまう。
語らないでそれを示す方法はなかったのか?
どうせラストで殺すのだから、そのときに判明する形でもよかったのではないのか。
自分についての出来事をそんなにぺらぺら話せる人間がいるとは思えない。
レイプされた世の中の女性に対しても失礼だ。
要するに、人間に対するリスペクト(尊敬)があまりにも足らない。
冒頭から僕は面白くないと思ったのだが、決定的だったのはそこではない。
それは、初めて杏平が出勤し、現場に赴いたときだ。
なぜかテロップで死んだ人間の名前と年齢、死因を入れた。
僕には全く必然性を感じなかった。
それを書くことでどれほどの意味があったのだろうか。
そういう情報を入れたいのならなぜ映像や台詞で示そうと考えなかったのだろうか。
僕はそういうセンスのなさに絶望的になる。
この監督(だけではないだろうけれども)はそんなに説明しないと観客は理解できないと考えているのだろうか。
要するに、観客に対するリスペクト(尊敬)があまりにも足らない。
こんな映画に、メッセージ性とか、テーマとかあんの?
だから邦画を見たくないんだ、と思う。
監督:瀬々敬久
人間に対する尊敬の念が欠如している。
永島杏平(岡田将生)は高校でクラスメイトを亡くすという経験から社会復帰できていかなかった。
ようやく見つけた職業は遺品整理の会社だった。
そこでは人が何日も経ってから発見されるというのは珍しくない。
そこで知り合った久保田ゆき(久保田ゆき)もまた、過去に不幸な出来事を背負っていた。
二人は次第にお互いの心の中にある闇に触れていくのだが…。
ひょんなことから見ることになってしまった作品。
本当はこういう映画を見たくなかったので、全力で阻止しようといろいろ動いてみたけれども、残念ながら見なければならなかった。
おっと、愚痴を言っても仕方がない。
原作は、作詞家なのか、タレントなのか、小説家なのか分からなくなってきたさだまさし。
「精霊流し」で小説家デビューを果たし、今ではテレビ業界ではなくてはならない「安定した作家」の一人だ。
僕は残念ながら、デビュー作は読んでもいないし、映像も見たことがない。
母は号泣していたらしいが。
この作品はDVDにもなっているし、主演二人が人気の俳優だから見たことがある人も多いかもしれない。
まあ、興味がある人はどうぞ。
そうでない人には無理に勧めてあげるのはやめてあげてください。
ちなみに監督はあの、「MOON CHILD」の人。
▼以下はネタバレあり▼
だから僕は邦画を見ないのだ。
この映画はテレビドラマがさきがけて放映されて、TBSの「売りたい」という気持ちがそれだけでも痛いほど伝わってくる作品である。
しかも、刑事ドラマなどでもおなじみの脇役が配役されていて、テレビをよく見る人たちをなんとか劇場に足を運ばせたいという必死さが伺える。
その執念にも似た工夫は、ほとんど尊敬するしかない。
けれども、この映画が面白くない本当の理由は、人間に対する尊敬の念が全く感じられないということだ。
まず、不自然なシークエンスが多すぎる。
冒頭、説明なしの裸で屋根に上る主人公。
(結局その後も説明はない)
教室でナイフを持ち出した生徒がいるにもかかわらず、教師に切迫感がない。
山岳部が生徒二人でキケンな山登りを認めてしまう。
(しかもその後落ちそうになるところをこっそり写真撮影してしまう呑気さ)
二度目のナイフ登場にも先生らに緊張感はない。(おそらく全員教師はクビですね)
上司が男女二人の部下に「飲みニケーション」を誘えというセクハラ。
まだまだある。
細かいことを言えば、不自然なところはいくらでも出てくるだろう。
その一つひとつが、この映画の世界観のつくりの甘さを示している。
だから、この映画に感情移入しろというほうが難しい。
なぜこんなことが起こってしまうのか。
それは真剣に監督をはじめとして制作委員の方々が検討すればよいだろう。
一度完成した脚本を見直せば、だれもが朱をいれるべきところに朱が入っていない。
だから、「そんなことありえねぇ」が連続することになる。
そこから受ける印象は「物語」に仕立て上げたいという、作り手の薄汚い意図しかない。
主人公二人のキャスティングがすでにそうなっているのだから、もっと丁寧な作りこみが必要だった。
クーパーズという会社が行なっている遺品整理の仕事は確かに存在する。
一般的に言ってそれは人々に敬遠されるような職業であることも間違いないだろう。
「おくりびと」のときと同じように。
問題はそれをどのように描くかだった。
この映画の描き方では、その偏見や差別を助長するようにしか見えない。
第一に、内面を深くえぐられる二人の過去が特殊すぎるのだ。
特殊な職業に集まってくる人間が、あまりにも特殊な経験をしているので、結局特殊な職業であるという印象になる。
原田泰造らがどのような過去を持っているのか、「普通」を描いておかなければ、観客にとって「非日常」にすぎなくなっている。
もっとはっきり言えば、「かわいそうな過去を持っている人がする仕事」にしか感じられない。
だから、差別は助長されるような気がしてならない。
職業に対するリスペクト(尊敬)があまりにも足らない。
丁寧に描かれる主人公杏平の過去だが、彼の悲しみが実はほとんど理解できない。
友達が自殺したから「悲しい」のではない。
友達とのやりとりで友情をなくしたから「悲しい」のではない。
そこは大きな誤解だ。
彼の人間性にどこか問題があって、そういう悲しい出来事が連発したのだ。
そう考えなければ、彼はいつまで経っても成長できない。
友達が自殺してしまったのは、彼が人の心に深くかかわれなかったからだ。
もっと友達を理解しようとすれば、自殺に追い込むことはなかったのもかもしれない。
彼のナレーションでは「あの頃の僕たちはみんなどこかいらいらしていた」である。
「みんな」ではないのだ。
「みんな」死ぬわけではないし、「みんな」そんな経験をしたわけではない。
だとすれば、彼にあるパーソナリティ(個)の問題としか考えられない。
そこに目を向けないから、彼はどんな職業についても他人のせいにしてしまうだろう。
彼は深く考えているようで、実はまったく表層的なレベルでしか物事を見抜けていない。
だから、彼は社会とコミットできない。
その視点で脚本を書かなければ、「どこにでもいるでしょ、こういう話」程度にしか掘り下げられない。
それはゆきについても同じことだ。
男の人に触れることがだめな理由はレイプされたことだった。
(ああ、なんと「ありきたり」なのだろう)
しかし、その告白をした数時間後に、ホテルに二人で結ばれようとする。
(ああ、なんと「軽いトラウマ」なのだろう)
さらに、あっさり自分に起こった出来事を語ってしまう。
語らないでそれを示す方法はなかったのか?
どうせラストで殺すのだから、そのときに判明する形でもよかったのではないのか。
自分についての出来事をそんなにぺらぺら話せる人間がいるとは思えない。
レイプされた世の中の女性に対しても失礼だ。
要するに、人間に対するリスペクト(尊敬)があまりにも足らない。
冒頭から僕は面白くないと思ったのだが、決定的だったのはそこではない。
それは、初めて杏平が出勤し、現場に赴いたときだ。
なぜかテロップで死んだ人間の名前と年齢、死因を入れた。
僕には全く必然性を感じなかった。
それを書くことでどれほどの意味があったのだろうか。
そういう情報を入れたいのならなぜ映像や台詞で示そうと考えなかったのだろうか。
僕はそういうセンスのなさに絶望的になる。
この監督(だけではないだろうけれども)はそんなに説明しないと観客は理解できないと考えているのだろうか。
要するに、観客に対するリスペクト(尊敬)があまりにも足らない。
こんな映画に、メッセージ性とか、テーマとかあんの?
だから邦画を見たくないんだ、と思う。
あと、久保田ゆき役は榮倉奈々ですよね。岡田君よりも背高そう。知らんけど。
更新が滞っていますが、「スパイダーマン」と「崖っぷちの男」を見ています。
しばしお待ちを。
そして「少年は残酷な弓を射る」の原作をもうすぐ読み終わります。
こちらも余裕があればアップします。
ぼちぼちがんばりますのでよろしくお願いします。
>おゆばさん
お久しぶりです。
見に行ったのではないのですが、見せられたのです。
ちょっと複雑な事情なので簡単には言えません。
よい話ではないことだけは確かです、はい。
今年はアニメが公開される年のようで、細田守や庵野さんなど、邦画じたいは見に行くことになるでしょう。
それ以外は……。
気が向いたら行きましょうか。