評価点:62点/2006年/アメリカ
監督:ダニー・キャノン
スタミナのない選手のように、竜頭蛇尾。
サンティアゴ(クノ・ベッカー)は、幼い頃からサッカーが大好きな少年だった。
貧しい一家だったため、ある日アメリカへの亡命を決意。
以後、サンティアゴは、地域の小さいリーグで自分の技術をもてあましていた。
そこにたまたま訪れた元スカウトのグレン(スティーヴン・ディレイン)は、彼の巧みなボールコントロールに才能を見いだし、是非トライアルを受けるようにと便宜を図った。
貧しいながらも貯金を貯めていたサンティアゴは、いよいよ渡英しようという時、父親が自分の事業のために、トラック代としてサンティアゴのお金を盗んでしまう。
途方に暮れるサンティアゴに、祖母が黙ってチケットを渡し、渡英、いよいよトライアルを受けることになる。
しかし、肝心の試験の日、雨の中のトライアルで自分の実力を出せずに交替させられてしまうのだった…。
FIFA公認の映画作品である。
FIFAも、ワールドカップに向けて、新しいファン層を獲得するのに躍起だと言うことだろう。
あまりにその便乗的な手法によって、正直「一発モノ」の駄作だろうという不安の中、試写会に行った。
ほとんど無名のキャスティングのなか、出来としては「映画としての完成度」は保っていたように思う。
サッカー(いや、フットボール)に対して何の興味もない女性諸君も、サッカー好きの彼氏に連れていってもらって、色々と解説してもらえば、サッカーの見方がわかるかもしれない。
サッカーの詳しいルールなどを知らなくとも、
映画としても単純に楽しめる、ある意味では敷居の低い映画となっている。
完成度も低いわけではなく、このあたりにFIFAの「本気さ」をうかがい知ることができるだろう。
三部作の一作目。
「ダ・ヴィンチ・コード」にあまり惹かれない人は、これからのワールドカップ・シーズンを楽しむためにも、この映画がおすすめである。
▼以下はネタバレあり▼
有名なキャスティングではないものの、スポーツドラマとしては、完成度が高い部類に入るだろう。
話の骨子がわかりやすいこともあり、安定して楽しめる作品である。
小さな頃からの夢を叶えて、大金を手に入れる――。
アメリカ映画によくある話である。
シンプルな構成を、映像の臨場感と、話のテンポの良さによって、みやすく、サッカーを知らない人でも楽しめるようにできている。
単純にいって、主人公のサクセスストーリーである。
冒頭の段階で、様々な「課題」を見せることによって、その課題を克服していく楽しみと、成功していく過程が上手くマッチングしているため、ストーリーの起伏が大きく感じられるように作られている。
フットボールを知らなくても、ドラマとしても楽しめる所以であろう。
映画はたいてい、20分くらいみれば出来不出来がわかるものである。
前評判を知らない僕にとって、あるいは以前映画館で見たCMで「こんな映画見るかよ!」と思っていた僕にとって、最初の20分は非常に大きな意味をもっていた。
非常にテンポ良く進み、またわかりやすく撮られている。
父親との対立、母親の不在、そして何より、父に促されてサッカーボールをあきらめるという象徴性が、冒頭としては上出来である。
そこからの一時間半くらいは、挫折と克服の繰り返しで、短い時間の中にも、一つ一つを克服していく主人公の姿に、一喜一憂できるように工夫されている。
サッカーの試合が、見せ場として成立している点も大きい。
サッカーを主軸にもってきているのだから、その映像や戦いがショボければ、どうしてもしんどい。
明らかにスタント(?)によるプレーだったが、違和感なく合成されていた。
そして感動的、というか、ツボをおさえているのは、サポーター、すなわち地域のファンとのやりとりである。
全く誰も知らない選手を、影で最初から支えているのはファンだ。
しかも、チームの強さや弱さ、ビッグさには左右されないほどのたゆまぬクラブ愛が、プロサッカーの根幹を支えている。
その姿が過不足無く描かれている点には、拍手モノだ。
特に、プレミアリーグにおける、地域の「プライド」は生半可なものではない。
地元チームを応援しない人間は、近所付き合いもままならないほどだろう。
その「アホ」さ加減が、きっちりと描かれているため、勝てばよい、とか、ゴールを決めることだけが正義だ、というような、利己的な雰囲気の映画にならずに済んでいる。
フット・ボールってなんだかいいな、という思いに駆られるのだ。
しかし、この映画の最大のミステイクは、後半になるに従ってどんどん面白くなくなっていく点だ。
なぜおもしろくなくなるか。
それは、彼の挫折が常に「解雇」という形でしか訪れないからだ。
トライアウトに失敗して解雇。
喘息がばれて解雇。
ハリスとの豪遊がばれて解雇。
特に最後のハリスとの豪遊は、解雇なのか、父親の死による帰国なのか、挫折を克服するまで、判断がつかない。
だって、写真をとられただけなのだ。
それだけで解雇になってしまうなら、そもそもリーグの試合に呼んだりしないだろう。
しかも、彼のおかげで一勝したはずなのに、それが理由で、しかも仲間を庇うという気概まで見せているのに、解雇というのはあまりにやりすぎではないか。
何でもすぐに解雇するというのは、不自然だし、主人公がトッププレーヤーへと上り詰めていく感覚が味わいにくい。
いつまでも解雇されてしまうと、結局その程度の選手なのだ、という印象を受けてしまうのだ。
さらに頂けないのは、ハリスの変化である。
なぜハリスが心を入れ替えたのか、全く読み取れない。
今までさんざん遊び尽くしていた男が、なぜ目覚めたのか。
わけがわからん。
よって、彼の悩みを解決することもないし、また遊び人に変貌するのではないかという不安さえある。
映画として最大になりえたカタルシスも見事に裏切られるのだ。
そして、もっともイタいのは、父との和解が果たせなかったということだ。
父親がこっそり中継を見に来ていたものの、それは和解ではない。
父親がどういう気持ちで画面を見つめていたのか、わかりづらい。
ここが最大の課題であり、見せ場であったはずなのに、ぼやけてしまっている。
そして、父親の死。
これでは父親の克服は果たせない。
むしろ、最後の最後まで「課題」でありつづけ、たとえ選手としてどれだけ活躍したとしても、
死んでしまった父親を克服することができなくなってしまう。
抱き合えとまでは言わないにしても、父親の心情を吐露する場面は、ちょっとわかりやすすぎるくらい丁寧に描いても良かったのではないだろうか。
このような最大の山場の肩すかしが、終盤連発することによって、最終的にゴールするかどうか以前に、物語に感情移入できなくなってしまい、尻すぼみになってしまった。
しかも最後のゴールのシーン。
なぜかムネスが左足でフリーキックを蹴る。
何で?
おまえ右利きじゃなかったのか?
カメラアングル的に、右サイドからのフリーキックでなければならなかったのだろうか。
う~ん、納得いかない。
ゴールを喜ぶシーンは感動的に演出されているが、そこまで行く前に僕は萎えてしまった。
様々な要素を主人公一人に背負わせすぎたように思う。
貧困、体調、才能、情熱、恋、父親など、全ての課題が、主人公一人に背負わされてしまったために、その課題の克服に無理が生まれて、それぞれ別の課題なのに、
結果として解雇という形しか見せられなかったのではないだろうか。
それなら、それらの要素を違う人物に背負わせることで、みんなが「救われる」ようにもっていけば、さらに感動できたのではないか。
ともあれ、企画もの、一発ものといってしまうには、惜しい出来の作品である。
この映画の最後の落ちは、エンドロール後にある。
次回は「レアルマドリード移籍!」
こら、もうニューカッスルを捨てるのか、お前は!
(2006/5/25執筆)
三部作のはずだが、「2」は公開されたが、「3」は聞かない。
企画倒れになったのだろうか。
う~ん。
監督:ダニー・キャノン
スタミナのない選手のように、竜頭蛇尾。
サンティアゴ(クノ・ベッカー)は、幼い頃からサッカーが大好きな少年だった。
貧しい一家だったため、ある日アメリカへの亡命を決意。
以後、サンティアゴは、地域の小さいリーグで自分の技術をもてあましていた。
そこにたまたま訪れた元スカウトのグレン(スティーヴン・ディレイン)は、彼の巧みなボールコントロールに才能を見いだし、是非トライアルを受けるようにと便宜を図った。
貧しいながらも貯金を貯めていたサンティアゴは、いよいよ渡英しようという時、父親が自分の事業のために、トラック代としてサンティアゴのお金を盗んでしまう。
途方に暮れるサンティアゴに、祖母が黙ってチケットを渡し、渡英、いよいよトライアルを受けることになる。
しかし、肝心の試験の日、雨の中のトライアルで自分の実力を出せずに交替させられてしまうのだった…。
FIFA公認の映画作品である。
FIFAも、ワールドカップに向けて、新しいファン層を獲得するのに躍起だと言うことだろう。
あまりにその便乗的な手法によって、正直「一発モノ」の駄作だろうという不安の中、試写会に行った。
ほとんど無名のキャスティングのなか、出来としては「映画としての完成度」は保っていたように思う。
サッカー(いや、フットボール)に対して何の興味もない女性諸君も、サッカー好きの彼氏に連れていってもらって、色々と解説してもらえば、サッカーの見方がわかるかもしれない。
サッカーの詳しいルールなどを知らなくとも、
映画としても単純に楽しめる、ある意味では敷居の低い映画となっている。
完成度も低いわけではなく、このあたりにFIFAの「本気さ」をうかがい知ることができるだろう。
三部作の一作目。
「ダ・ヴィンチ・コード」にあまり惹かれない人は、これからのワールドカップ・シーズンを楽しむためにも、この映画がおすすめである。
▼以下はネタバレあり▼
有名なキャスティングではないものの、スポーツドラマとしては、完成度が高い部類に入るだろう。
話の骨子がわかりやすいこともあり、安定して楽しめる作品である。
小さな頃からの夢を叶えて、大金を手に入れる――。
アメリカ映画によくある話である。
シンプルな構成を、映像の臨場感と、話のテンポの良さによって、みやすく、サッカーを知らない人でも楽しめるようにできている。
単純にいって、主人公のサクセスストーリーである。
冒頭の段階で、様々な「課題」を見せることによって、その課題を克服していく楽しみと、成功していく過程が上手くマッチングしているため、ストーリーの起伏が大きく感じられるように作られている。
フットボールを知らなくても、ドラマとしても楽しめる所以であろう。
映画はたいてい、20分くらいみれば出来不出来がわかるものである。
前評判を知らない僕にとって、あるいは以前映画館で見たCMで「こんな映画見るかよ!」と思っていた僕にとって、最初の20分は非常に大きな意味をもっていた。
非常にテンポ良く進み、またわかりやすく撮られている。
父親との対立、母親の不在、そして何より、父に促されてサッカーボールをあきらめるという象徴性が、冒頭としては上出来である。
そこからの一時間半くらいは、挫折と克服の繰り返しで、短い時間の中にも、一つ一つを克服していく主人公の姿に、一喜一憂できるように工夫されている。
サッカーの試合が、見せ場として成立している点も大きい。
サッカーを主軸にもってきているのだから、その映像や戦いがショボければ、どうしてもしんどい。
明らかにスタント(?)によるプレーだったが、違和感なく合成されていた。
そして感動的、というか、ツボをおさえているのは、サポーター、すなわち地域のファンとのやりとりである。
全く誰も知らない選手を、影で最初から支えているのはファンだ。
しかも、チームの強さや弱さ、ビッグさには左右されないほどのたゆまぬクラブ愛が、プロサッカーの根幹を支えている。
その姿が過不足無く描かれている点には、拍手モノだ。
特に、プレミアリーグにおける、地域の「プライド」は生半可なものではない。
地元チームを応援しない人間は、近所付き合いもままならないほどだろう。
その「アホ」さ加減が、きっちりと描かれているため、勝てばよい、とか、ゴールを決めることだけが正義だ、というような、利己的な雰囲気の映画にならずに済んでいる。
フット・ボールってなんだかいいな、という思いに駆られるのだ。
しかし、この映画の最大のミステイクは、後半になるに従ってどんどん面白くなくなっていく点だ。
なぜおもしろくなくなるか。
それは、彼の挫折が常に「解雇」という形でしか訪れないからだ。
トライアウトに失敗して解雇。
喘息がばれて解雇。
ハリスとの豪遊がばれて解雇。
特に最後のハリスとの豪遊は、解雇なのか、父親の死による帰国なのか、挫折を克服するまで、判断がつかない。
だって、写真をとられただけなのだ。
それだけで解雇になってしまうなら、そもそもリーグの試合に呼んだりしないだろう。
しかも、彼のおかげで一勝したはずなのに、それが理由で、しかも仲間を庇うという気概まで見せているのに、解雇というのはあまりにやりすぎではないか。
何でもすぐに解雇するというのは、不自然だし、主人公がトッププレーヤーへと上り詰めていく感覚が味わいにくい。
いつまでも解雇されてしまうと、結局その程度の選手なのだ、という印象を受けてしまうのだ。
さらに頂けないのは、ハリスの変化である。
なぜハリスが心を入れ替えたのか、全く読み取れない。
今までさんざん遊び尽くしていた男が、なぜ目覚めたのか。
わけがわからん。
よって、彼の悩みを解決することもないし、また遊び人に変貌するのではないかという不安さえある。
映画として最大になりえたカタルシスも見事に裏切られるのだ。
そして、もっともイタいのは、父との和解が果たせなかったということだ。
父親がこっそり中継を見に来ていたものの、それは和解ではない。
父親がどういう気持ちで画面を見つめていたのか、わかりづらい。
ここが最大の課題であり、見せ場であったはずなのに、ぼやけてしまっている。
そして、父親の死。
これでは父親の克服は果たせない。
むしろ、最後の最後まで「課題」でありつづけ、たとえ選手としてどれだけ活躍したとしても、
死んでしまった父親を克服することができなくなってしまう。
抱き合えとまでは言わないにしても、父親の心情を吐露する場面は、ちょっとわかりやすすぎるくらい丁寧に描いても良かったのではないだろうか。
このような最大の山場の肩すかしが、終盤連発することによって、最終的にゴールするかどうか以前に、物語に感情移入できなくなってしまい、尻すぼみになってしまった。
しかも最後のゴールのシーン。
なぜかムネスが左足でフリーキックを蹴る。
何で?
おまえ右利きじゃなかったのか?
カメラアングル的に、右サイドからのフリーキックでなければならなかったのだろうか。
う~ん、納得いかない。
ゴールを喜ぶシーンは感動的に演出されているが、そこまで行く前に僕は萎えてしまった。
様々な要素を主人公一人に背負わせすぎたように思う。
貧困、体調、才能、情熱、恋、父親など、全ての課題が、主人公一人に背負わされてしまったために、その課題の克服に無理が生まれて、それぞれ別の課題なのに、
結果として解雇という形しか見せられなかったのではないだろうか。
それなら、それらの要素を違う人物に背負わせることで、みんなが「救われる」ようにもっていけば、さらに感動できたのではないか。
ともあれ、企画もの、一発ものといってしまうには、惜しい出来の作品である。
この映画の最後の落ちは、エンドロール後にある。
次回は「レアルマドリード移籍!」
こら、もうニューカッスルを捨てるのか、お前は!
(2006/5/25執筆)
三部作のはずだが、「2」は公開されたが、「3」は聞かない。
企画倒れになったのだろうか。
う~ん。
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