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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

言葉は毎回新たに生成される

2023-12-03 15:41:59 | 日記
言語学の祖、ソシュールは言語の本質をラングとパロールに分けて、説明しようとした。
パロールは毎回毎回使い直される言語であり、言葉はその都度生成されているという。
それでもある一定の理解が得られるのは、言語のもう一つの側面、ラングという体系をある程度、同じ言語を操る者たちで共有しているからである、と。

私はこの場でたくさんの言葉を記してきた。
私はこの場以外でも、たくさんの文章を書いている(書かされている?)。
それは、自己という存在を規定するものでもありながら――(この場で書いていることだけがmenfithという〈私〉を形成している)――、他者との関係性をも規定するものである。
言葉はだから、書いている私という存在と、読んでいるあなたという存在を結びつける橋渡し、通路、回路、媒体である。
その一方で、完全に理解することはできないという齟齬を必然的に作り出すため、私とあなたは違う、という境界線でもある。

私はこの場を借りて、言葉で私という存在を形作りながら、他の人との境界線を明らかにしようとしてきたのだろう。
書けば書くほど齟齬が生まれ、軋轢を生み、それまでの言葉とは違う言葉遣いをすることで、新たに生成され直される。
しかし、このブログを読んだからといって、「menfith」がわかるわけではないし、意図が完全に伝わるわけでもない。

理解可能性と理解不可能性を常に泳ぐことで、その中で理解が進む。
このブログの前身であるホームページから始めて20年が経ったが、その20年前からの読者はおそらくごくわずかだろう。
しかし、こうやって書き続けることで、私は世界との境界線をつぎはぎしながら線を引き、言葉でものを理解するということがおぼろげながらにできるようになってきた(ように思う)。
言葉は、私という存在と外界との、緩衝材であり、壁であり、境界線であり、回路でもある。

何でも先に情報が手に入る時代にあって、理解とははたしてそんなに容易なものなのかという思いがある。
私は、ようやくその距離感を測ることができるようになったという感覚が強い。

刹那的な「反応」ではない他者との関わり方を、この高度情報社会にあって、模索し続けたい。



知らんけど。

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