secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

工場に運び込まれるもの。

2017-02-12 21:43:35 | 日記
こんばんは。

更新が滞っていて大変申し訳ありません。
いろいろ理由はありますが、ひとつは「イース8」なるVitaのゲームを年末年始にかけてちまちま取り組んでいたからですね。
おかげさまで数年ぶりにクリアまでこぎつけました。
なんのおかげさまかわからないですが。

ということで、本もまともに読めていません。
少しアップできる記事がありますので、近日中にアップ予定です。

さて、今日は今年の年始の休みから初めてのまともな休日だということで、コストコなる大型スーパーに行ったときに感じた話を少しだけ書いて、読書の時間に入ります。

コストコに行ってきました。
周りではあそこはいいよーやすいよーという話を数年前から聞いてはいたのですが、どうも行く機会がなく、今日はたまたま、欲しいものがあるわけでもないのに、冷やかしで、行ってみました。

「IKEA」にはよく行くので、雰囲気はIKEAのようなっものでしょう。
私はコストコに入った時から、違和感を覚えていました。
それは、南木佳士が以前何かのエッセイで、池袋の水族館のイワシの話を書いていたのに似ていると後でわかりました。

巨大な倉庫に並べられた商品の列に群がる客たち。
昨今は、クレーマー処理班としてお客様を崇めている労働者が、勤務時間を終えた瞬間から、コンビニに入る時、神様になるというギャップの中で生きる現代人です。
しかし、ここには奇妙ともいえる光景が広がっています。

お客様は神様だ、と崇められるはずのスーパーの客は、とてもマナー良く行って方向に進み、慣れた手つきで商品に手を伸ばしていました。
そしてあらかじめ用意した保冷バッグやショッピングバッグに会計を済ませた商品を次々に入れて行く。

最後にはレシートの確認で、大きな荷物を自家用車に運んで行く。

工場のような店舗で、工場の商品のように規則正しく買い物して行く買い物客。
ここに、消費者と労働者のアイデンティティが一致する瞬間を見いつけたのかもしれません。

どこにでもある商品を、どこにでもある自分が買って行く。

「愛と幻想のファシズム」で描かれていた、奴隷に成り下がった人間がそこにいるのか。
それとも、それは、安部公房が描くような、人間らしいさを捨象された「棒」のような人間なのか。

私はコストコを批判したいのではもちろんありません。
私もそこの一人なのだから。

だが、両手いっぱいの荷物を抱えながら、私が向かおうとしている場所を見失いそうになったことは、確かな感覚なのです。
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