評価点:75点/2019年/アメリカ・フランス/119分
監督:リュック・ベッソン
KGB「英語は話せるか」??
1980年代、パリでファッションモデルを斡旋している男が、モスクワの市場で見つけた女性アナ(サッシャ・ルス)に目を付ける。
その場でパリに来るように説得し、モデルとして多忙を極める中、彼女に一目惚れしたモデル斡旋業者の共同経営者と名乗る男と深い仲になる。
ある日、彼の裏側を聞かされたアナは躊躇なくその男を射殺する……。
その男は、CIAも追っていた重要な人物だった。
時を遡ること3年、アナはうだつの上がらない男と一緒に暮らし、人生を悲観していた。
そんなアナを見つけたのはKGBのアレクセイ(ルーク・エヴァンス)という男だった。
アレクセイはアナをスカウトし、一流のスパイエージェントに育てようとするが……。
リュック・ベッソンといえば、「レオン」を初めとする女性を主人公にしたスパイアクションを得意としている。
ということになっている。
実際には秀逸な作品はそれほど多くなく、その一つが本作になる、かもしれない。
とりあえずアマゾンプライムで見ることしたので、やはり予備知識無しで再生した。
監督がベッソンであることも、後で知ったくらいだ。
時系列がわかりにくいけれども、きちんとテロップが出るのでそれを見逃さなければ理解はできるだろう。
それほど長い映画ではないが、とてもうまく撮られているので、見終わった後の疲労は大きい。
ま、それは、単に私が集中力がないだけかもしれない。
とにかく楽しめる映画ではあるので、見るものに困ったら、再生ボタンを押しても良いかもしれない。
▼以下はネタバレあり▼
KGBエージェントがモティーフなので、すこし話がややこしい。
スパイもの特有のだまし、だまされという展開だ。
それがよい物語のスパイスになり、アクション映画としての楽しみを深めている。
物語の舞台は冷戦まっただ中のフランス。
フランスが舞台で、KGBとして育てられるのに、ほとんどが英語というわけのわからないところは、まあ、流すしかない。
言語が根本的におかしい、と言いたくなるのは確かだが、そしてこれが言語的な説得力が高まれば秀作にもなり得たが、そこは目をつむろう。
さて、何も持たない女が、言われるがままに人を殺して、そしてどうやってそのしがらみから逃れるか、というのがテーマになっている。
「レオン」からそれは続いているのかもしれない。
(それほどたくさん彼の映画をみているわけではないが)
KGBのエージェントとして人を殺しまくっていたアナは、あるときCIAから目を付けられる。
二重スパイとして彼女を雇い、KGBの長官を暗殺する作戦を立てる。
物語が俄然おもしろくなるのはこのあたりからだ。
男に弄ばれてどうしようもなくなったアナが、二人の男(=組織)からどうやって逃げるのかという三つどもえの展開になる。
アメリカ映画ということを考えれば、どう考えてもCIAとともに歩んだ方が良いと考えている観客の裏目をいくところが、本当にうまかった。
だから、見ている者はCIAのレナード(キリアン・マーフィー)と組むだろう、というふうに読むわけだ。
しかし、レナードのいうなりになったところで、KGBから追われるという状況は変わらない。
また、これだけ優秀な人間であれば、当然さらに【再雇用】される可能性も高い。
逃れる方法は死ぬしかない。
それはCIAもKGBも同じなのだ。
それを見抜いていたのが、KGBでの育ての親であるオルガだった。
ミッションに失敗したことをいち早く見抜き、二重スパイを進めながら自由になる知恵を与える。
彼女にはほとんど心情めいた描写がないが、オルガがいかにこれまで人生を踏みにじられていたかを考えれば、アナに協力しようとした本音が見えてくる。
この無駄のない描写がこの映画を昇華している。
シナリオがいいからおもしろいのではない。
演出や描写がうまいからこそ、オルガの強力に説得力が生まれるのだ。
「ハニートラップにしか使えない」と言い切ったオルガはやはり彼女の本質を見抜いていた。
そして、KGBのアレクセイにも、CIAのレナードにもその「ハニートラップ」をしかけていた。
二人への熱烈なセックスの描写が、この映画の根幹だ。
かつての恋人のペーチャ(あの最初の事件を起こす男)との性の描写との対比が、いやでも観客は頭に残る。
世界のどん底から救い出した白馬の王子様というふうに、アレクセイが映るのだ。
けれども、そんなことはアナはみじんも感じていなかった。
彼女はどうやれば自由になれるか、自分の生き方ができるかを考えていた。
観客さえも、この展開にだまされてしまうわけだ。
しかし、それでもすっきりするのは、彼女に悲哀があるからだ。
これまで蹂躙されてきた人間性を、逆手にとって自由を手にする彼女の姿を、まさに弱者として生きる自分の姿を重ね合わせることができる。
私たちもまた、奪われ続けている。
自由を得ようともがきながら、組織に追従することでしか生きることができない。
非常にうまい映画だと思う。
監督:リュック・ベッソン
KGB「英語は話せるか」??
1980年代、パリでファッションモデルを斡旋している男が、モスクワの市場で見つけた女性アナ(サッシャ・ルス)に目を付ける。
その場でパリに来るように説得し、モデルとして多忙を極める中、彼女に一目惚れしたモデル斡旋業者の共同経営者と名乗る男と深い仲になる。
ある日、彼の裏側を聞かされたアナは躊躇なくその男を射殺する……。
その男は、CIAも追っていた重要な人物だった。
時を遡ること3年、アナはうだつの上がらない男と一緒に暮らし、人生を悲観していた。
そんなアナを見つけたのはKGBのアレクセイ(ルーク・エヴァンス)という男だった。
アレクセイはアナをスカウトし、一流のスパイエージェントに育てようとするが……。
リュック・ベッソンといえば、「レオン」を初めとする女性を主人公にしたスパイアクションを得意としている。
ということになっている。
実際には秀逸な作品はそれほど多くなく、その一つが本作になる、かもしれない。
とりあえずアマゾンプライムで見ることしたので、やはり予備知識無しで再生した。
監督がベッソンであることも、後で知ったくらいだ。
時系列がわかりにくいけれども、きちんとテロップが出るのでそれを見逃さなければ理解はできるだろう。
それほど長い映画ではないが、とてもうまく撮られているので、見終わった後の疲労は大きい。
ま、それは、単に私が集中力がないだけかもしれない。
とにかく楽しめる映画ではあるので、見るものに困ったら、再生ボタンを押しても良いかもしれない。
▼以下はネタバレあり▼
KGBエージェントがモティーフなので、すこし話がややこしい。
スパイもの特有のだまし、だまされという展開だ。
それがよい物語のスパイスになり、アクション映画としての楽しみを深めている。
物語の舞台は冷戦まっただ中のフランス。
フランスが舞台で、KGBとして育てられるのに、ほとんどが英語というわけのわからないところは、まあ、流すしかない。
言語が根本的におかしい、と言いたくなるのは確かだが、そしてこれが言語的な説得力が高まれば秀作にもなり得たが、そこは目をつむろう。
さて、何も持たない女が、言われるがままに人を殺して、そしてどうやってそのしがらみから逃れるか、というのがテーマになっている。
「レオン」からそれは続いているのかもしれない。
(それほどたくさん彼の映画をみているわけではないが)
KGBのエージェントとして人を殺しまくっていたアナは、あるときCIAから目を付けられる。
二重スパイとして彼女を雇い、KGBの長官を暗殺する作戦を立てる。
物語が俄然おもしろくなるのはこのあたりからだ。
男に弄ばれてどうしようもなくなったアナが、二人の男(=組織)からどうやって逃げるのかという三つどもえの展開になる。
アメリカ映画ということを考えれば、どう考えてもCIAとともに歩んだ方が良いと考えている観客の裏目をいくところが、本当にうまかった。
だから、見ている者はCIAのレナード(キリアン・マーフィー)と組むだろう、というふうに読むわけだ。
しかし、レナードのいうなりになったところで、KGBから追われるという状況は変わらない。
また、これだけ優秀な人間であれば、当然さらに【再雇用】される可能性も高い。
逃れる方法は死ぬしかない。
それはCIAもKGBも同じなのだ。
それを見抜いていたのが、KGBでの育ての親であるオルガだった。
ミッションに失敗したことをいち早く見抜き、二重スパイを進めながら自由になる知恵を与える。
彼女にはほとんど心情めいた描写がないが、オルガがいかにこれまで人生を踏みにじられていたかを考えれば、アナに協力しようとした本音が見えてくる。
この無駄のない描写がこの映画を昇華している。
シナリオがいいからおもしろいのではない。
演出や描写がうまいからこそ、オルガの強力に説得力が生まれるのだ。
「ハニートラップにしか使えない」と言い切ったオルガはやはり彼女の本質を見抜いていた。
そして、KGBのアレクセイにも、CIAのレナードにもその「ハニートラップ」をしかけていた。
二人への熱烈なセックスの描写が、この映画の根幹だ。
かつての恋人のペーチャ(あの最初の事件を起こす男)との性の描写との対比が、いやでも観客は頭に残る。
世界のどん底から救い出した白馬の王子様というふうに、アレクセイが映るのだ。
けれども、そんなことはアナはみじんも感じていなかった。
彼女はどうやれば自由になれるか、自分の生き方ができるかを考えていた。
観客さえも、この展開にだまされてしまうわけだ。
しかし、それでもすっきりするのは、彼女に悲哀があるからだ。
これまで蹂躙されてきた人間性を、逆手にとって自由を手にする彼女の姿を、まさに弱者として生きる自分の姿を重ね合わせることができる。
私たちもまた、奪われ続けている。
自由を得ようともがきながら、組織に追従することでしか生きることができない。
非常にうまい映画だと思う。
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