評価点:57点/2006年/アメリカ
監督:マイケル・マン
危険のない潜入捜査
ソニー・クリケット(コリン・ファレル)は、情報屋から一本の電話を受ける。
「やばい。妻を頼む。俺は街から消える。」
尋常でないと察したソニーとリコ(ジェイミー・フォックス)は、捜査しているはずのFBIに問い合わせてみると、潜入捜査が失敗し、情報屋の名前が漏れ、捜査官が殺されたという。
憤るソニーらは、顔が割れていないことを利用して潜入するように指示される。
かくして、彼らは大型密輸入組織に取り入れられるために、潜入捜査することになる。
同名テレビシリーズの映画化。
マイケル・マンと言えば、「ヒート」や「コラテラル」で名作アクションをとり続けている大御所。
今回は、コリンと、ジェイミーという二人の若手(?)注目株を携えて、おとり捜査官のミッションを描く。
三人とも、やはり安定感ある仕事ができるため、楽しめる作品になっている。
ただし、過剰な期待は禁物。
名作の域にはとうてい及ばない。
僕はオリジナルのテレビシリーズは見た記憶がない。
見たことがある人は、僕とは少し違った楽しみ方ができるだろう。
▼以下はネタバレあり▼
結論から言えば、この映画はイマイチである。
理由は単純だ。
「潜入捜査」がモチーフになっていながら、全然「潜入捜査」している感がないからだ。
潜入捜査において、一番の見所、というか一番の緊迫感は、いかに潜入していることがばれないか、という点である。
あるいは、自分が捜査官であるのか、敵の一味であるのか、というアイデンティティに悩む、というのがお決まりのパターンだ。
それも当然の話だ。
敵に見つかれば即殺されるだろうし、本来味方である警察側からも追われることになる。
しかも、ただ潜入するだけではなく証拠をつかむために、組織の中枢に関わっていく必要さえある。
その意味で、危険が伴うし、のめり込めば自分を見失うことにもなりかねない。
だが、このソニーとリコは、そのような葛藤が一切ないのだ。
ソニーと言えば、女にうつつを抜かす余裕さえ見せる。
リコも、自分の家族が巻き添えになることで悲壮感が生まれるが、それでも「ばれる」「ばれない」の葛藤はない。
これではせっかくの潜入捜査も台無しである。
そもそも、敵のイエロ(ジョン・オーティス)が言うように、「彼らはできすぎる」のだ。
いきなり巨大組織に取り入るという大仕事をやるはめになったのに、全く動揺もなくビビることもない。
仕事は完璧にやってのけるし、それを上司に報告する際も、全く落ち度なくコンタクトをとってしまう。
これでは危機に陥りようがない。
それぞれの危機といえば、ソニーの恋愛と、リコの恋人の誘拐である。
ソニーは相手のイザベラ(コン・リー)と恋愛に落ち、
それが敵組織の中間管理職のイエロに発覚し、ボスを怒らせてしまう、というピンチを招く。
しかし、この一連の危機も、ソニーの本気度が測れないままに突入してしまうから、「別に死んでも仕方ないよね」程度にしか思えない。
また、そもそも「敵だから捕まえなきゃいけないしね」という大前提があるため、危機として成り立たない。
これは、ソニーの内面が描かれないということにも起因している。
リコの方も同じだ。
リコの恋人トルーディ(ナオミ・ハリス)が途中誘拐される。
これは冒頭でも同じシチュエーションがあったため、おおかたは読める範囲内の
出来事で、衝撃度が薄い。
それだけではなく、その後の解決も「見事」と言わざるを得ない。
なぜなら、トルーディがリコの恋人であることを突き止めておきながら、イエロは彼が捜査官であることは突き止めることが出来なかったのだ。
つまり、リコにとって最も知られてはならない「スパイである」ということが発覚しないため、大きな危機とはなっていないのだ。
どうせ誘拐するという設定ならば、身分もばれてしまうという設定のほうが緊迫感も危機感も出たはずなのに、なぜ恋人は誘拐できて、身元がばれなかったのかが不思議でしょうがない。
これにより、この事件も大きな起伏とはならない。
しかも、火曜サスペンスばりに最後に復活するという、ご都合主義的なラストで、感動どころか、「そりゃ無理でしょ」という違和感の方が大きい。
それもこれも、彼らの内面に踏み込むシーンがあまりにすくないからだ。
そもそも、彼らの設定がイマイチわからない。
ソニーとリコ、キャラが色分けされていないのだ。
確かにテレビシリーズだから、既に多くの観客にはキャラクターが固定された状態で、映画を鑑賞するのかもしれないが、それでも、ファンも「ニヤリ」とできるシーンを入れて、キャラクターをおさらいしておく必要があった。
僕のような新規ファン(ファンでもないかな)にとっては、彼らの身分、性格、信条などが、理解できない状態で潜入させられても、感情移入できる部分が小さいのだ。
アクションだから仕方ないということにはならないだろう。
「リーサル・ウェポン」だって、「ラッシュアワー」だって、「ビバリーヒルズ・コップ」だってキャラはしっかりと立っている。
だからこそ、笑いや感動を引き起こすのだ。
それがなければ、アクションだって魅力は半減してしまうのだ。
このような展開で、ラストだけ面白くなるはずもない。
ラストは結局味方は助かった。
しかし、敵の黒幕を捕まえることもできず、内部情報を漏らしている人間もあぶり出すことができなかった。
いわばコン・リーを助け出すことが唯一の収穫だったわけだ。
これではカタルシスは生まれてこないし、ラストを喜べない。
潜入捜査という聞いただけで緊迫感が生まれそうな状況を、恐ろしく平坦に描いたというシナリオには敬服するばかりだ。
マイケル・マン独特の世界観と、映像美、効果音の使い方は良かった。
けれども、シナリオで全てが台無しになっている。
彼らしくない映画だ。
(2006/9/21執筆)
監督:マイケル・マン
危険のない潜入捜査
ソニー・クリケット(コリン・ファレル)は、情報屋から一本の電話を受ける。
「やばい。妻を頼む。俺は街から消える。」
尋常でないと察したソニーとリコ(ジェイミー・フォックス)は、捜査しているはずのFBIに問い合わせてみると、潜入捜査が失敗し、情報屋の名前が漏れ、捜査官が殺されたという。
憤るソニーらは、顔が割れていないことを利用して潜入するように指示される。
かくして、彼らは大型密輸入組織に取り入れられるために、潜入捜査することになる。
同名テレビシリーズの映画化。
マイケル・マンと言えば、「ヒート」や「コラテラル」で名作アクションをとり続けている大御所。
今回は、コリンと、ジェイミーという二人の若手(?)注目株を携えて、おとり捜査官のミッションを描く。
三人とも、やはり安定感ある仕事ができるため、楽しめる作品になっている。
ただし、過剰な期待は禁物。
名作の域にはとうてい及ばない。
僕はオリジナルのテレビシリーズは見た記憶がない。
見たことがある人は、僕とは少し違った楽しみ方ができるだろう。
▼以下はネタバレあり▼
結論から言えば、この映画はイマイチである。
理由は単純だ。
「潜入捜査」がモチーフになっていながら、全然「潜入捜査」している感がないからだ。
潜入捜査において、一番の見所、というか一番の緊迫感は、いかに潜入していることがばれないか、という点である。
あるいは、自分が捜査官であるのか、敵の一味であるのか、というアイデンティティに悩む、というのがお決まりのパターンだ。
それも当然の話だ。
敵に見つかれば即殺されるだろうし、本来味方である警察側からも追われることになる。
しかも、ただ潜入するだけではなく証拠をつかむために、組織の中枢に関わっていく必要さえある。
その意味で、危険が伴うし、のめり込めば自分を見失うことにもなりかねない。
だが、このソニーとリコは、そのような葛藤が一切ないのだ。
ソニーと言えば、女にうつつを抜かす余裕さえ見せる。
リコも、自分の家族が巻き添えになることで悲壮感が生まれるが、それでも「ばれる」「ばれない」の葛藤はない。
これではせっかくの潜入捜査も台無しである。
そもそも、敵のイエロ(ジョン・オーティス)が言うように、「彼らはできすぎる」のだ。
いきなり巨大組織に取り入るという大仕事をやるはめになったのに、全く動揺もなくビビることもない。
仕事は完璧にやってのけるし、それを上司に報告する際も、全く落ち度なくコンタクトをとってしまう。
これでは危機に陥りようがない。
それぞれの危機といえば、ソニーの恋愛と、リコの恋人の誘拐である。
ソニーは相手のイザベラ(コン・リー)と恋愛に落ち、
それが敵組織の中間管理職のイエロに発覚し、ボスを怒らせてしまう、というピンチを招く。
しかし、この一連の危機も、ソニーの本気度が測れないままに突入してしまうから、「別に死んでも仕方ないよね」程度にしか思えない。
また、そもそも「敵だから捕まえなきゃいけないしね」という大前提があるため、危機として成り立たない。
これは、ソニーの内面が描かれないということにも起因している。
リコの方も同じだ。
リコの恋人トルーディ(ナオミ・ハリス)が途中誘拐される。
これは冒頭でも同じシチュエーションがあったため、おおかたは読める範囲内の
出来事で、衝撃度が薄い。
それだけではなく、その後の解決も「見事」と言わざるを得ない。
なぜなら、トルーディがリコの恋人であることを突き止めておきながら、イエロは彼が捜査官であることは突き止めることが出来なかったのだ。
つまり、リコにとって最も知られてはならない「スパイである」ということが発覚しないため、大きな危機とはなっていないのだ。
どうせ誘拐するという設定ならば、身分もばれてしまうという設定のほうが緊迫感も危機感も出たはずなのに、なぜ恋人は誘拐できて、身元がばれなかったのかが不思議でしょうがない。
これにより、この事件も大きな起伏とはならない。
しかも、火曜サスペンスばりに最後に復活するという、ご都合主義的なラストで、感動どころか、「そりゃ無理でしょ」という違和感の方が大きい。
それもこれも、彼らの内面に踏み込むシーンがあまりにすくないからだ。
そもそも、彼らの設定がイマイチわからない。
ソニーとリコ、キャラが色分けされていないのだ。
確かにテレビシリーズだから、既に多くの観客にはキャラクターが固定された状態で、映画を鑑賞するのかもしれないが、それでも、ファンも「ニヤリ」とできるシーンを入れて、キャラクターをおさらいしておく必要があった。
僕のような新規ファン(ファンでもないかな)にとっては、彼らの身分、性格、信条などが、理解できない状態で潜入させられても、感情移入できる部分が小さいのだ。
アクションだから仕方ないということにはならないだろう。
「リーサル・ウェポン」だって、「ラッシュアワー」だって、「ビバリーヒルズ・コップ」だってキャラはしっかりと立っている。
だからこそ、笑いや感動を引き起こすのだ。
それがなければ、アクションだって魅力は半減してしまうのだ。
このような展開で、ラストだけ面白くなるはずもない。
ラストは結局味方は助かった。
しかし、敵の黒幕を捕まえることもできず、内部情報を漏らしている人間もあぶり出すことができなかった。
いわばコン・リーを助け出すことが唯一の収穫だったわけだ。
これではカタルシスは生まれてこないし、ラストを喜べない。
潜入捜査という聞いただけで緊迫感が生まれそうな状況を、恐ろしく平坦に描いたというシナリオには敬服するばかりだ。
マイケル・マン独特の世界観と、映像美、効果音の使い方は良かった。
けれども、シナリオで全てが台無しになっている。
彼らしくない映画だ。
(2006/9/21執筆)
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