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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

マッドマックス:フュリオサ

2024-06-21 20:48:06 | 映画(ま)
評価点:75点/2024年/アメリカ/148分

監督:ジョージ・ミラー

いかにも世紀末。

疫病や災害、戦争などによって文明は滅んだ。
一部の生き残った人間たちは失われた水や食料を求めて奪い合う荒廃した世界が出現した。
そんな中でも残された自然の中で生きていた幼いフュリオサ(アニャ・テイラー=ジョイ)は、緑の地に迷い込んだ賊にさらわれてしまう。
後を追った母親は、フュリオサを救い出そうとするも失敗し惨殺される。
バイカー集団の長ディメンタス(クリス・ヘムズワース)に囚われたフュリオサだったが、そのディメンタスは流浪の旅の末、ウォーボーイを統べるイモータン・ジョーと対立する。

前作「マッドマックス 怒のデスロード」の前日譚にあたる。
シャーリーズ・セロンが演じたフュリオサを「ザ・メニュー」のアニャ・テイラー=ジョイが演じている。
いかにして彼女が片腕になり、イモータン・ジョーが支配するシタデルと言われる砦を抜け出すことになったのか、という半生を描いている。

前作を鑑賞した人は耐性ができているので、それほど驚かないが、初めてのこの世界観に触れる人は面を食らうかもしれない。
なかなかにハードな物語となっている。
私はもっと早い段階でみるつもりだったが、時間が合わずに、IMAXで見ることになった。

▼以下はネタバレあり▼

いくつかのパートに別れているが、要約すればいかにしてフュリオサが「奪われたか」という物語になっている。
取り戻せるものはほとんどなく、この時代の悪意や、敵であるディメンタスらにいかにして奪われていくか。
その復讐に燃える強い怒りや憎しみが描かれている。

この作品では、ディメンタスが敵(かたき)となっている。
彼はバカで統率力もなく、決断力もないただの賊である。
知性もないため、交渉する方法や先の戦略といった先見性もない。
ただ、おいしそうな蜜を求めてたかる虫と同じである。
その意味では、この世界を体現するものであり、象徴ともいえる。

幼いフュリオサを拾った彼は、フュリオサから二度大切な人を奪う。
一人は母親であり、もう一人はフュリオサの理解者である警備隊長ジャック(トム・バーク)である。
母親を奪うということは故郷を奪うということであり、彼女はこれによって帰るべき場所を失ってしまう。
根無し草になって流浪の民になってしまったわけだ。

復讐の刃を研ぎなら成長したフュリオサは、シタデルの輸送トラックの警備を任せられるまでになった。
しかし、故郷のありかを示した左腕の地図は、再びディメンタスに奪われる。
ともに逃避を誓ったジャックはフュリオサに愛を教える。

欲にくらんだディメンタスは、油田だけではなく火薬の採掘場まで奪ってしまう。
その場に居合わせたフュリオサとジャックはディメンタスらを一掃するが脱出の際に囚われてしまう。
無残に殺されたジャックとともに、左腕を失ったフュリオサは、同時に故郷への道標さえも失ってしまう。
これが、まさに私たちが知る前作のフュリオサの誕生である。

エモーショナルな展開であり、観客の心も同時に強く揺さぶられる展開と言える。
前作で既に故郷は失われてしまった、という終盤の事実は、彼女をどれほど絶望においやったか想像に難くない。
一つの作品として自律しているものの、前作を知る者はより胸を潰される思いがするだろう。
よってこの話はフュリオサが、あの「フュリオサ」になるまでの物語、ということができる。

だが、私はこの映画を見ながらもう一つの理由で胸が塞がれる思いがした。
この奪い合いの世界は、そのまま現代の私たちを比喩しているに違いないからである。
前シリーズの「マッドマックス」から40年も経ったが、それでも同じ(ような)世界観が通用してしまう。
それは、時代が再び〈あの時代〉を迎えつつあるからにほかならない。

暴力だけが支配する、荒廃した大地。
わずかな自然を、文化や制度といった多くの人が信じられる物語を共有できずに奪い合う世界。
この世界観が今の私たちが「古くさい」と感じることなく享受することができる。
そのことこそが、いつ世界が終わってしまうのか不安を抱いていた冷戦時代と酷似している。
私は国際情勢の専門家ではないが、少しずつ世界が不穏当な雰囲気になりつつある。
その不安は、容易に世界の崩壊や暴力を想像させてしまうのだろう。

いや、それは予感というような生やさしいものではなく、いまここで、現に起こっていることなのかもしれない。

非常に興味深いのは、この物語の主人公がフュリオサという女性であるということだ。
これが男女逆転していると、同じ物語は描けなかっただろう。
女性を特別視し、持ち上げ、神聖化し、神格化する。
にも関わらず、フュリオサ自身はこの世界の中で〈純血〉を保ち続ける。
フュリオサを取り巻くあらゆるものは奪われるが、彼女自身は【奪われる】ことがない。
この筋こそが色濃く残り続けている男尊女卑の世界観が反映されているだろう。

私は前作以上のこの映画を見ていると辛くなった。
もちろん、アクションは上手く撮られているし、最高にエキサイティングで意味不明だ。
しかし、それでもこの筋書きはひどく陰鬱で、見るも辛い耐え得ざるように感じられた。

フュリオサが奪われたものは何なのか。
いや、すでに世界が崩壊する前から、この世に生を受ける前から、既に奪われていたのではないか。

この居心地の悪さこそが、ジョージ・ミラーが目指したところであるならば、それは非常に希有な作品であるとも言えるだろう。
すでに時代は、勧善懲悪や明確な敵といったわかりやすい構図ではなく、もっと私たちの基底にかかわる根源的な不安や怒り、焦りにあるのだろう。
実に、荒涼とした世界である。

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