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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ミスター・ガラス(V)

2024-12-16 20:33:36 | 映画(ま)
評価点:63点/2019年/アメリカ/129分

監督:M・ナイト・シャマラン

狙いはおもしろかったが、……。

「死なない男」を自認するデヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)は、「群れ」と言われる連続殺人事件の犯人を追っていた。
警察もこの謎のフードの男を追っており、三つ巴の様相を呈していた。
「群れ」と呼ばれた男は、多重人格者のヘドウィグ(ジェームズ・マカヴォイ)と接触、ついに取り押さえるが、そのとき警察に二人とも捕まってしまう。
精神疾患が原因だと考えたエリー・ステイプル(サラ・ポールソン)は彼らと面談を繰り返し、矯正しようと考えていた。
しかし、そこにはあのミスター・ガラスと呼ばれたイライジャ・プライス(サミュエル・L・ジャクソン)も収容されていた。

アンブレイカブル」「スプリット」に続くシリーズ最終章。
あまり自律性がないので、シリーズを見ていない人には何が何だかわからないだろう。
特に「アンブレイカブル」は公開からずいぶん経っているので、ファンも少ないだろうから、マニアックな作品になっている。
シャマラン好き人向けの、ニッチな作品だ。

とはいえ、ブルース・ウィリスが俳優業を引退して、認知症を患っていることを考えると、記念碑的な作品とも言える。
もう、演技をしているだけで私は感無量だった。

子どもが寝てから見たので、かなり集中力が削がれており、途中辞めようかと考えたが、鉄の意志で画面を凝視し続けた。
自分で自分を褒めたい。


▼以下はネタバレあり▼

ヒーローを探し出すために、テロ活動を行っていたイライジャは、コミックブックに描かれた真実を信じていた。
ついに「壊れない男」を探し出したところで、イライジャは精神病棟に入れられてしまう。
夢を諦めなかったイライジャの元に、多重人格によって身体的特徴まで変化させるという男と、その男を捕らえた壊れないヒーローが現れる。
イライジャは、彼らの可能性を世に示すべく、二人を対決させる計画を立てる。

物語は、シャマランらしくしっかりと転倒させる仕組みをもっている。
精神病棟という閉鎖空間の中で、正常と異常を対立させながら、次第に「異常を肯定する」立場を強調していく。
半信半疑だった観客も、もしかしたらそういう人間は存在するかもしれないと思い始めたとき、この映画の真の目的が明らかになる。

要するに私たちは精神科医のエリーの立場から彼らを見ていたが、いつの間にか逆転し、常識を難く信じるが故に非常識を否定してしまうというバイアスを発見する。
「あり得るわけがない」というパラダイムを否定することがこの映画のテーマであり、とことんコミックオタクのシャマランらしいメッセージ性の強い映画である。

閉鎖的な空間で行われていた非日常的なやりとりこそが、真実であり、それを強力な組織が「存在しないこと」として葬り去ることを任務としていた。
私たちは、異能と言われる特殊な人間たちを、知らぬ間に排除することで常識という「日常」を保っているのだ、というメッセージだ。

さあ、みんなでヒーローたちを認めようじゃないか! というのがシャマランの狙いらしい。

かなり無理があるような展開に感じるのは、視点人物として設定されている、三人の異能者たちと日常を媒介する、それぞれ母親、息子、被害者の存在が希薄だからだろう。
イライジャの母親、ダンの息子、ザ・ビーストの被害者は、いわば日常と非日常を行き来する旅人のような立ち位置にいる。

彼らの目を通して、世界が常識というレッテルによって覆い隠されていることを暴くわけだ。
しかし、彼らの存在感が後半、それも終盤になって急に立ち上がってくるので、すんなり日常から非日常の視点の転換に入っていけない。
いくらなんでもそりゃ無理やろ、という拒否感、違和感が大きいまま真相が明らかにされてしまう。
「そういう世界もあり得るかもしれない」という説得力がないわけだ。
だからエンドロールを迎えて「そりゃないよ~」という滑稽さが際立ってしまう。
(シャマラン作品によくあるやつ)

特に、ビーストの被害者だったケイシー・クック(アニャ・テイラー=ジョイ)が加害者に会いに来て、しかも身体的接触を許すという展開がどうにも無理がある。
そのセキュリティはどうなっているのか、と思ってしまうし、そもそもあの病棟があまりにもお粗末な警備態勢しかとられていない。
看守(警備)が一人しかおらず、それをチェックする態勢もまったくとられていないというのはさすがに不自然だ。

物語に没頭する前に、興が削がれてしまう可能性が高い。
そのあたりの荒削りなところも、シャマラン的で非常におもしろいわけだが、もっとうまくやれば名作になれたのかもしれない、という点でもやはりシャマラン的だ。

アンブレイカブル」のときに感じた、あの印象と大差なくて、20年も同じことができるなんて、まじでリスペクトである。




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