secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

キック・オーバー(V)

2018-08-24 18:29:34 | 映画(か)
評価点:77点/2012年/イギリス/95分

監督:エイドリアン・グランバーグ

男の話すことに含まれる嘘と真実。

メキシコの国境付近で大金を積んだ車がアメリカ国境を越えてメキシコで逮捕された。
車に乗っていた男をメキシコの保安官が逮捕し、そのまま男(メル・ギブソン)は拘束された。
逮捕した保安官は、悪徳警官でアメリカの警官からの要求をはねつけ、大金を着服した。
男は素性も大金の出所(でどころ)も一切語らない。
そのまま世界最悪と名高いメキシコの刑務所に入れられた男は、脱獄のための準備を始めるが。

例によってアマゾンプライムで見た。
主人公はあのメル・ギブソンである。
監督業の方が忙しい、そして成功しているイメージだが、俳優業も出演しているようだ。

画面の殆どがメキシコの刑務所内という、ある意味メル・ギブソンらしい(?)非常に砂煙の多い映画だ。
起こった出来事を説明なしに体験していくタイプの映画なので、設定が分かった時点で物語も解決していることになる。
わかりにくい部分もあるし、何よりレトリックとしてのメキシコの刑務所が非常にうまく効いている。
この、逮捕されたのはどんな男なのか、ノリつつシラケつつというスタンスで見るのがいいだろう。

▼以下はネタバレあり▼

語り手に男を設定しておきながら、彼の肝心の本音が見えてこない。
いや、本音を意図的に隠していた、ということにさえ気づかないように描いている。

物語終盤で、自分の名前を聞かれて「バーンズ」とようやく答える。
これが実は物語の大きな伏線であり、彼の真の意味での復讐であることは、おそらくラストまで気づかないだろう。
彼は語り手でありながら、ほとんど本音を語らない、という根っからの悪だったのだ。
その翻弄されていく感覚が、非常に面白いし、そしてその「だまされていたのは観客のほうだった」ことに気づく、一連のシークエンスが怒濤のように終盤に押し寄せる。
それが、大きなカタルシスを生むように構成されている。

男は元スナイパーの犯罪者。
スリや盗み、殺人や強盗は当たり前のように過ごしてきた。
その彼は、裏社会のフランクを敵に回してカネを強奪した。
その金額400万ドル。
半分は車のトランクに隠し、もう半分を座席に置いて逃走していた。
相棒は逃走中に殺され、自分はメキシコの刑務所に入れられる。

当然盗まれたフランクは血眼になって彼を探す。
しかし、メキシコの刑務所は彼を特定することもしないし、できない。
指紋は焼かれ、本名も語らない。
とりあえず刑務所に入れられたが、悪徳警官によってカネが使われ、男の居所が徐々に明らかになっていく。

刑務所から出られればカネを取り戻すことができる。
そう確信していた男は、刑務所を取り仕切るハビに近づき、取引を持ちかける。
事前にハビをけしかけ、フランク一味と鉢合わせさせることで、ハビを脅迫する。
カネをやるから、ここから出せ。
出さなければ、逆にハビたちがフランクから狙われることになる。

刑務所から出た男が考えたことは、
1)カネを奪い返す
2)フランクを殺す
3)自分を裏切った相棒に復讐する
4)脱獄する

大きくはこの4つだ。
そこに、結果的に親子を救い出す、というのが付加される。
1と4は当たり前のことで、それほど難しくはない。
だが、逃げるだけでは追われる。
追われないようにするためには、追っ手を殺すことと、証人を用意してそこで復讐させることだ。
犯人がだれか分からなければ、マフィアたちは必ず見つけ出して殺しに来る。
そこで、カウフマンという第三者を証人にして、カウフマンに復讐させたのだ。

イーストウッドを名乗り、有力者のカウフマンとアポを取る。
同時にフランクを呼び出して、カウフマンとフランクを鉢合わせにする。
こうすることで、カウフマンという生き証人を得て、フランクを殺した(カウフマンのオフィスを襲撃した)男に対して復讐する機会を用意する。
復讐は完結することでしか終わらないことを知っていたのだ。
だから、実際に存在する相棒の名前を使い、事を運んでいく。
そうすることで、カウフマンは「俺に恥をかかせた男を俺は殺した」という達成感を得ることで、男(メル・ギブソン)をさらに探そうという考えを持たせないようにしたのだ。
同時に、自分を裏切った相棒に復讐もできる。

イーストウッドの名前を使ったり、ハンバーガーを突っ込んでエンストにさせたり、随所に一昔前のアクション映画の要素を取り込む。
そういうレトリックによって、彼が何をしようとしていたのか、わかりにくくさせていく。
もちろん、子どものキッドにまつわる話、そしてキッドが自傷行為に及ぶおぞましい描写、そのあたりも観客を煙に巻く演出の一つだ。

私たちはこの映画を見ながら、男に同化しながら、「おもしろいなあ」くらいに共感する。
しかし、脱獄(一時的に)から脱獄(二度目)のシークエンスは、全く予期しない展開となり、面白さとカタルシスが倍増する。

ああ、こういう話なのか、とだまされたことに気づく。
そもそも全員が悪党で、影のある人物しかいない。
だから心置きなく血なまぐさい映像を見ることができる。

脚本にメル・ギブソンそのものも関わっているようだ。
さすがによい作品を作る映画職人だ。

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