評価点:64点/1995年/アメリカ
監督:ブレット・レナード
ラッセル・クロウの若かりし頃の作品。主演はなんとデンゼル・ワシントン!
殺人犯として18年の刑を受けた元警官のパーカー(デンゼル・ワシントン)は実験と称してバーチャル・シュミレーションによる警官向けの訓練を受けていた。
敵は、様々な犯人の人格を融合させた神経ネットの「シド6.7(ラッセル・クロウ)」。
ところが、研究所の職員は、ナノマシンを利用し、シドを現実世界にアンドロイドとして再現してしまう。
指をくわえているだけの警察は、パーカーに特赦を認め、シドを追わせることにした。
パーカーはシドに含まれている凶悪犯の人格リストをみて驚愕する。
かつてパーカーの妻子を殺したマシュー・クライムズの名前があったのだ。
殺人を犯した真相は、妻子を殺されたパーカーが、逆上し、謝って報道陣まで殺してしまったからだった。。。
今では大物俳優になってしまったデンゼル・ワシントンとラッセル・クロウの競演作。
はっきり言ってB級映画だが、この二人が同じスクリーンにいるということだけで
観たくなるのが心情というものだろう。
この映画の共演後、再共演となるのが「アメリカン・ギャングスター」だ。
10年間でギャラは何倍になったのだろう。
それもそのはずだ、良い役者になったのだから。
▼以下はネタバレあり▼
全体的に説明不足。
今では常識になりつつあるナノテクノロジーだが、1995年なのだから多少の説明がほしいところ。
またシドの存在理由も明らかにしてほしかった。
シュミレーション用にしては不必要に凶暴な人格だし、巨大画面のシドに向かってぺこぺこしている開発者もおかしい。
顔と名前のある登場人物が多い割りに、その内面が描けていないために、ストーリーが展開することへの楽しさとか、読みとかが欠如している。
アイデアはおもしろいが、それを予算と脚本家によって消化不良を起こしている感じだ。
対立構造としては、「人間」対「機械」というコードがある。
この対立でみるなら「ターミネーター」の「T2」がモティーフになっているだろう。
再生するシーンなどは、まんまT-1000の復活シーンに見える。
さらに言えば、シドが現実に登場する場面では、裸で筋肉を見せ付ける。
これがターミネーターを意識していないと言ったら嘘になる。
さすがB級映画といったところ。
もしくはよくある「警官」対「犯罪者」というコード。
これはヒーローとヒールという一般的な構造だ。
シドに対する設定が皆無に等しいのでわかりにくい面もあるが、パーカーの過去がストーリーの展開と絡ませて、うまくサスペンス効果を演出していたのではないか。
そして「黒人」対「白人」という人種のコードだ。
あまり意味がないのに白人の囚人が、彼と決闘するというシーンがある。
これをみるからに、この人種のコードが存在することは間違いないだろう。
これは、白人大好きアメリカ人への配慮で、黒人に対する感情移入を容易にさせるためのシーンだろう。
シドが青いスーツを着て闊歩するシーンがある。
ここではまんま、「サタデー・ナイト・フィーバー」をパロディにしている。
余計な笑いを含むところあたりが、さらにB級さを引き立てる。
笑いといえば、「日本」。
日本に「少し」通じているというラッセル・クロウだけあって無理やり日本のレストランをだしたり、「バンザイ」と叫んだりで結構好き勝手に作ってるなあ、と感じた。
低予算がさせる「自棄」なのか、「自由」なのか。
とはいうものの、二人の存在感はやはりすごい。
この当時と、今とのギャラを考えるだけで映画制作会社は背筋が涼しくなるだろう。
まあ、個人的にはあのイケイケねえちゃんをナノマシンで再現してほしかった。
流れとして、それはありえないだろうとおもったけど、(プログラムを入れ替えていたし。)やっぱ期待してしまったよ。
(2003/10/8執筆)
監督:ブレット・レナード
ラッセル・クロウの若かりし頃の作品。主演はなんとデンゼル・ワシントン!
殺人犯として18年の刑を受けた元警官のパーカー(デンゼル・ワシントン)は実験と称してバーチャル・シュミレーションによる警官向けの訓練を受けていた。
敵は、様々な犯人の人格を融合させた神経ネットの「シド6.7(ラッセル・クロウ)」。
ところが、研究所の職員は、ナノマシンを利用し、シドを現実世界にアンドロイドとして再現してしまう。
指をくわえているだけの警察は、パーカーに特赦を認め、シドを追わせることにした。
パーカーはシドに含まれている凶悪犯の人格リストをみて驚愕する。
かつてパーカーの妻子を殺したマシュー・クライムズの名前があったのだ。
殺人を犯した真相は、妻子を殺されたパーカーが、逆上し、謝って報道陣まで殺してしまったからだった。。。
今では大物俳優になってしまったデンゼル・ワシントンとラッセル・クロウの競演作。
はっきり言ってB級映画だが、この二人が同じスクリーンにいるということだけで
観たくなるのが心情というものだろう。
この映画の共演後、再共演となるのが「アメリカン・ギャングスター」だ。
10年間でギャラは何倍になったのだろう。
それもそのはずだ、良い役者になったのだから。
▼以下はネタバレあり▼
全体的に説明不足。
今では常識になりつつあるナノテクノロジーだが、1995年なのだから多少の説明がほしいところ。
またシドの存在理由も明らかにしてほしかった。
シュミレーション用にしては不必要に凶暴な人格だし、巨大画面のシドに向かってぺこぺこしている開発者もおかしい。
顔と名前のある登場人物が多い割りに、その内面が描けていないために、ストーリーが展開することへの楽しさとか、読みとかが欠如している。
アイデアはおもしろいが、それを予算と脚本家によって消化不良を起こしている感じだ。
対立構造としては、「人間」対「機械」というコードがある。
この対立でみるなら「ターミネーター」の「T2」がモティーフになっているだろう。
再生するシーンなどは、まんまT-1000の復活シーンに見える。
さらに言えば、シドが現実に登場する場面では、裸で筋肉を見せ付ける。
これがターミネーターを意識していないと言ったら嘘になる。
さすがB級映画といったところ。
もしくはよくある「警官」対「犯罪者」というコード。
これはヒーローとヒールという一般的な構造だ。
シドに対する設定が皆無に等しいのでわかりにくい面もあるが、パーカーの過去がストーリーの展開と絡ませて、うまくサスペンス効果を演出していたのではないか。
そして「黒人」対「白人」という人種のコードだ。
あまり意味がないのに白人の囚人が、彼と決闘するというシーンがある。
これをみるからに、この人種のコードが存在することは間違いないだろう。
これは、白人大好きアメリカ人への配慮で、黒人に対する感情移入を容易にさせるためのシーンだろう。
シドが青いスーツを着て闊歩するシーンがある。
ここではまんま、「サタデー・ナイト・フィーバー」をパロディにしている。
余計な笑いを含むところあたりが、さらにB級さを引き立てる。
笑いといえば、「日本」。
日本に「少し」通じているというラッセル・クロウだけあって無理やり日本のレストランをだしたり、「バンザイ」と叫んだりで結構好き勝手に作ってるなあ、と感じた。
低予算がさせる「自棄」なのか、「自由」なのか。
とはいうものの、二人の存在感はやはりすごい。
この当時と、今とのギャラを考えるだけで映画制作会社は背筋が涼しくなるだろう。
まあ、個人的にはあのイケイケねえちゃんをナノマシンで再現してほしかった。
流れとして、それはありえないだろうとおもったけど、(プログラムを入れ替えていたし。)やっぱ期待してしまったよ。
(2003/10/8執筆)
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