secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

既存の価値概念の崩壊。

2009-01-27 21:53:41 | 日記
こんばんは。
僕の本業は、この時期が一番忙しいのですが、ようやく一段落つきました。
本当に死ぬかと思いましたが、そして毎年そう思っているのですが、何とか耐えました。
精神的にも、肉体的にも、体に悪いですね。

さて、「チェ」を観てきました。
またその感想は後日書くとします。
この記事では、最近思うことを、少し書きたいと思います。

僕が昔の頃考えていたこと、それは「好きなことをしろ、というのは残酷な問いだ」ということです。
よく仕事や将来の夢を問うとき、好きなことをしろ、自分らしい仕事をしないと一生は続かないぞ、と言われます。
また、僕はもろにそういわれて育てられてきた世代だと思います。

ミスチルが「自分らしさの檻の中でもがいているだろう」と歌っています。
それは裏返せば、「自分らしさの檻」を作れ、ということに違いないでしょう。
けれど、中学高校大学とほとんどの人間は一生の仕事を念頭に置いて生きていくことはありません。
バイトにしても、それはバイトだからという安堵の中でお金を稼ぎます。
そんな現代人に、「したい仕事」を突きつけるのは、どうなのでしょうか。

そもそも仕事をしているどれだけの割合の人が「したい仕事」をしているのでしょうか。
「したいか」と問われれば、僕は今の仕事をしたいとは思いません。
しなくていいのなら、そういう選択肢が許されるなら、僕はずっと映画を観て、本を読んでいたい。
それまで働いたことのない人間に、「したい仕事をしろ」「なりたい自分になれ」と言うのは、残酷きわまりない要求のような気がします。

仕事だから割り切る、という現実は、誰もが知っている常識なのに、誰もそれを語ろうとしません。
営業をしていれば、客を巧みに誘導して商品を買わせるとか、
医者をしていれば、無駄だろうとわかっている湿布薬を気休め程度に処方するとか、
そういった「割り切る」という側面を、誰も口にせず、平然と行っているという異常に、僕は少し驚いています。

僕はこの世界に生きる人間が「潔癖症」になるのではないか、と危惧します。
汚いこと、狡猾なこと、不合理なこと、理不尽なこと、それらを極度に忌み嫌う「潔癖症」の人間たち。
生きるすばらしさをことさら口にして、形にすることで、僕たちは生きる醜さを忘れているのではないでしょうか。
ちょうど、エコと言いながら、商品を勧める企業のように。

「チェ」を観ながら、そして、米国の株価暴落の一連のニュースを見ながら、かつてあった「既存の価値観をすべて疑う、壊す」という時代に、僕たちは突入しようとしているのかもしれません。
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