ワークライフバランスとは何だろう。
仕事とプライベートとの割合を、【ちょうど良い具合】にするべきだという理想を謳ったものだ。
子育て世帯にしてみれば、そんな絵に描いたような餅はただ言葉だけが上滑りして、空虚なものに感じる。
子どもが保育園で、目の前にないアイスを巡って同級生と言い合いになったことがある。
「○○のアイス食べたるねん」
「ええ~、それ○○のアイスやのに!」
目の前にないアイスなのに、食べられるわけがないのに、言葉上で【取り合う】ことで喧嘩してしまうという成長に親は驚いた。
「ワークライフバランス」も似たようなところがある。
働かなければ子どもが育てられない。
働けば、子どもにかける時間がない。
【ちょうど良い具合】なんていう議論はほど遠い。
実際には、仕事も育児も、家事も、すべてを【我慢】している状態だ。
仕事で自己実現や、子どもに十分な時間を割くなどということはよほど不可能だ。
しかし、一方で子育ては孤立している。
当事者として感じるのは、少子化によって子育て世帯が「マイノリティ」になっているということだ。
地域でも、会社でも、子育てに携わっている人間たちはどんどん減っている。
その中で、子育ては「家庭」や「サービス」によって行われるという、【特別】なものになった。
昔よくあったとされる、地域の人たちから声をかけてもらう、ということは、すなわち子育てが開かれていたからだろう。
今はそうではない。
働くこと、生活すること、楽しむこと、育てること、それらが閉鎖的に、孤立している。
どんな施策でも、世帯年収○○万円未満・以上、とされることで、より孤立させられる。
日本という国はどんな国か。
働く者にとって、育てる者にとって、生まれてくる者にとって、どんな国か。
そういう抽象的な、そして根本的な議論が、施策以上に必要な気がするのだ。
仕事とプライベートとの割合を、【ちょうど良い具合】にするべきだという理想を謳ったものだ。
子育て世帯にしてみれば、そんな絵に描いたような餅はただ言葉だけが上滑りして、空虚なものに感じる。
子どもが保育園で、目の前にないアイスを巡って同級生と言い合いになったことがある。
「○○のアイス食べたるねん」
「ええ~、それ○○のアイスやのに!」
目の前にないアイスなのに、食べられるわけがないのに、言葉上で【取り合う】ことで喧嘩してしまうという成長に親は驚いた。
「ワークライフバランス」も似たようなところがある。
働かなければ子どもが育てられない。
働けば、子どもにかける時間がない。
【ちょうど良い具合】なんていう議論はほど遠い。
実際には、仕事も育児も、家事も、すべてを【我慢】している状態だ。
仕事で自己実現や、子どもに十分な時間を割くなどということはよほど不可能だ。
しかし、一方で子育ては孤立している。
当事者として感じるのは、少子化によって子育て世帯が「マイノリティ」になっているということだ。
地域でも、会社でも、子育てに携わっている人間たちはどんどん減っている。
その中で、子育ては「家庭」や「サービス」によって行われるという、【特別】なものになった。
昔よくあったとされる、地域の人たちから声をかけてもらう、ということは、すなわち子育てが開かれていたからだろう。
今はそうではない。
働くこと、生活すること、楽しむこと、育てること、それらが閉鎖的に、孤立している。
どんな施策でも、世帯年収○○万円未満・以上、とされることで、より孤立させられる。
日本という国はどんな国か。
働く者にとって、育てる者にとって、生まれてくる者にとって、どんな国か。
そういう抽象的な、そして根本的な議論が、施策以上に必要な気がするのだ。
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