ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

八神 純子

2007年04月02日 | ミュージシャン
♪お気に入りアーティスト54


 もしも30年前に「ディーヴァ」という言葉が一般的だったら、八神純子などはその言葉にふさわしいシンガーだと言えるのではないでしょうか。
 よく伸びる高音が特徴の八神純子の歌のうまさは、当時のシンガーの中では有数のものだったと思います。彼女の曲のメロディも、線の太い澄み切ったその高音を生かすようなものが多いような気がします。
 ポッチャリしたかわいらしい丸顔もわりと好きでした。


     


 八神純子は1974年の第8回ヤマハ・ポピュラー・ソング・コンテストに「雨のひとりごと」で出場し、優秀曲賞を受賞しました。その年の世界歌謡祭にも出場しています。
 1978年に「思い出は美しすぎて」でデビュー、翌79年に発表した「みずいろの雨」が大ヒットしてスターダムにのし上がりました。
 80年には日航「JAL」のイメージ・ソングとなった「パープル・タウン」が大ヒットして、松任谷由実に続くニュー・ミュージック・クィーンと言われるようになりました。


     


 彼女の特徴といえば、やはり優しさと力強さを兼ね備えたような高音です。
 洋楽指向が強く、サンバなどのラテン系リズムを取り入れたり、AORのエッセンスを取り入れたりして、センスのよいシティ・ポップを作り上げていました。
 ぼくは「ポーラー・スター」「パープル・タウン」「アイム・ア・ウーマン」などが好きでよく聴いていました。


     


 80年代に入ると名前を聞く機会が急激に減ったのは残念です。87年には渡米して音楽プロデューサーのジョン・スタンリーと結婚しました。ちなみに結婚後はJune Stanleyの名でロサンゼルスを拠点に音楽活動を続けています。


★パープル・タウン★



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コメント (4)
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