ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

翼をください

2007年04月22日 | 名曲


 
翼をください
■1971年
■作詞…山上路夫
■作曲…村井邦彦
■赤い鳥
 ☆後藤悦治郎(g,vo)
 ☆平山泰代(pf,vo)
 ☆山本俊彦(g,vo)
 ☆新居[のち山本]潤子(vo)
 ☆大川 茂(b,vo)


 「翼をください」を知ったのは、中学時代の音楽の授業だったと思います。たしか、教科書に載っていたんです。でも、「赤い鳥」の歌う「翼をください」のオリジナルを聴いたのはそれからずっとずっと後になります。あるオムニバス・アルバムに収録されていたのですが、聴いてみるとすぐに大好きになりました。


 「翼をください」は1971年に発売され、それから3年で100万枚を超す大ヒットになりました。合唱曲としても有名になり、70年代後半からは学校教育の場でもよく採り上げられるようになりました。
 1991年には川村かおりによるカヴァーがスマッシュ・ヒットしています。97年11月には山本潤子自身のリメイク盤が発表され、98年のサッカー・ワールド・カップの際には日本代表チームの応援歌として広く歌われました。


     


 「赤い鳥」は1968年に兵庫県で結成されました。後藤悦治郎が「ピーター・ポール&マリー」のハーモニーを再現するべくメンバーを集めたのです。新居潤子と山本俊彦は、当時谷村新司のグループに在籍していましたが、新居嬢が後藤氏によって引き抜かれたのを契機に山本俊彦も「赤い鳥」に加わったとのことです。
 グループ名は、鈴木三重吉の童話雑誌「赤い鳥」にちなんだものだそうです。メンバー全員がソング・ライティングをこなし、またそれぞれがリード・ヴォーカルをとることができる、美しいハーモニーが魅力のグループです。
 メッセージ・ソングが主流だった当時の関西フォーク・シーンの中にあって、純粋に音楽を追求していった「赤い鳥」は、少々異色の存在だったと言えるでしょう。


 1969年のヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに出場、グランプリを獲得します。ちなみに、この時の2位が「オフ・コース」でした。
 1970年6月、シングル「人生」でメジャー・デビューします。同年10月の合歓ポピュラー・ソング・フェスティヴァルにも出場し、初めて「翼をください」を歌って新人賞を受賞しました。この時、赤い鳥の面々のところに曲が届いたのが出演30分前だったという話が残っています。


     


 ピアノだけによる伴奏で始まる「翼をください」、ゴスペル風の前半では徐々に緊張が高まってゆきます。コーラス・ワークがとてもきれいなんですね。そしてサビでテンポが倍の16ビートに変わるのがまたカッコいいんです。グルーヴするドラムス、よく歌っているベース、ロックしていますね。「大空を飛びたい」という願いが爆発したかのような盛り上がりを聴かせてくれる後半部です。


 「赤い鳥」は音楽的方向性の違いから1974年に解散しました。後藤・平山夫妻は「紙ふうせん」を結成し、アコースティックで素朴なフォークを追求しています。山本・新居・大川の三人(新居は山本と結婚)は、「ハイ・ファイ・セット」を結成、都会的センスにあふれた、ファッショナブルで斬新なコーラス・グループとして活躍しました。


     
     『赤い鳥ベスト・翼をください』


 「翼をください」は川村かおりをはじめ、紙ふうせん、小田和正、徳永英明、平原綾香、渡辺美里、Skoop On Somebodyら、多くのミュージシャンによってカヴァーされています。これからも多くの人によって歌い継がれてゆくことでしょう。


【翼をください】 
今 私の願いごとが
かなうならば 翼が欲しい
この背中に 鳥のように
白い翼 付けてください

   この大空に 翼をひろげ
   飛んで行きたいよ
   悲しみの無い 自由な空へ
   翼はためかせ 行きたい

いま富とか 名誉ならば 
いらないけど 翼がほしい
子供の時 夢見たこと
今も同じ 夢に見ている




人気blogランキングへ←クリックお願いいたします

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする