ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

阪神タイガースの歌

2007年10月15日 | 名曲


 
 日本中津々浦々で繰り広げられた熱い応援もむなしく、わが阪神タイガースはクライマックス・シリーズで2連敗し、今シーズンの戦いは終了いたしました。
 何を隠そう、ぼくも小学1年の時以来の阪神ファンでして、時にはこうやって思い出したように野球ネタの記事をエントリーすることもあります。
 というわけで、タイガースの諸選手、スタッフ、ファンの方々に「いつもありがとうございます」の意味を込めて、「阪神タイガースの歌」についていろいろ書いてみたいと思います。


 俗に「六甲颪」(ろっこうおろし)と言われていますが、それはあくまで通称で、正式には「阪神タイガースの歌」といいます。(ぼくもてっきり「六甲颪」が正式名だと思ってました)
 1936年に「大阪タイガースの歌」として発表され、1961年に球団名が「阪神」に変わったのを契機に「阪神タイガースの歌」と改題されました。ちなみに、この曲は、現存する12球団の球団歌の中で最も古いものです。


     
     熱狂する甲子園球場右翼席。名物のジェット風船。


 作詞者の佐藤惣之助氏は詩人・作詞家で、著名な詩人・作家の萩原朔太郎の義弟にあたります。代表作に「赤城の子守唄」(歌・東海林太郎)、「湖畔の宿」(歌・高峰三枝子)、「人生の並木路」(歌・ディック・ミネ)などがあります。


 作曲者の古関裕而氏は戦前、戦後を通じて多数の歌謡曲、マーチ、応援歌、軍歌を手掛けています。主な作品には、夏の高校野球で有名な「栄冠は君に輝く」のほか、「長崎の鐘」(歌・藤山一郎)、「君の名は」(歌・織井茂子)、「高原列車は行く」(歌・岡本敦郎)などがあります。
 意外なことに、わがタイガースのライバルでもある読売ジャイアンツの歌「巨人軍の歌(闘魂こめて)」と中日ドラゴンズの「ドラゴンズの歌」の作曲者も、古関氏だったんですね。


 「六甲颪」の通称は朝日放送アナウンサーで、熱烈な阪神ファンとしても知られた中村鋭一氏の発案だそうです。「六甲颪」は、中村氏が1970年代に自分が司会を務めていた番組「おはようパーソナリティ中村鋭一です」で、阪神が勝利した翌日に番組内で歌われたことによって多くのファンに広められました。1973年に発売された中村氏の歌による「六甲颪」はなんと40万枚以上のヒットを記録したそうです。


 なお、「六甲颪」とは、冬に神戸市の北側に位置する六甲山系から吹き降ろす、乾燥して冷たい風のことで、実際に甲子園球場に吹く「浜風」とは発生の原理が違うそうです。プロ野球シーズンである4~10月には六甲颪は吹きません。


 さて、今シーズンのわがタイガースは、頼りになるのがリリーフ陣のいわゆるJFKだけ、という有様ながら、終盤戦で怒涛の10連勝を記録、一時は最大12ゲーム差もあった首位との差をひっくり返す快進撃でわれわれファンを熱狂させてくれました(ヌカ喜び、とも言いますが・・・(--;))。来年は先発投手を育て、林・桜井・狩野らを始めとする若手陣をさらに伸ばして、ペナントを奪回してもらいたいものであります。


     



 [ 詞]


阪神タイガースの歌
  ■発表
    1936年2月
  ■作詞 
    佐藤惣之助
  ■作曲
    古関裕而
  ■歌
    中野忠晴(1936年リリース)
    中村鋭一(1972年リリース シングル売上40万枚以上)
    立川清登(1980年リリース
    道上洋三(1985年リリース)
    トーマス・オマリー(1994年リリース)  ほか



コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする