小・中学生の頃って、だいたい誰でもひいきのアイドル・タレントがいたもんですよね。でもぼくは、お気に入りのアイドルがいなかったんです。パッと見て「お~カワイイ」と思うんですが、次々と現れる歌手を見るたんびに「おお、これもカワイイ」「あらら、あれもカワイイ」と、思ってしまってたんですね。気が多いというか、移り気というか。好きなタレントが現れても長続きしなかったんです。
その中で、唯一現在まで好きなのが、太田裕美さんです。
裕美さんの歌はもちろん好きだったんですが、あのお姉さんぽい外見にも憧れました。手の届かないまぶしい存在ではなくて、清潔感があって身近に感じられるところが良かったんです。
その裕美さんの歌の中でも好きなのが「九月の雨」「しあわせ未満」、そして「木綿のハンカチーフ」です。この曲は1975年12月にリリースされ、翌年にかけて85万枚以上を売りつくす大ヒットとなりました。1976年のオリコン・年間チャートでは4位にランクされています。
「木綿のハンカチーフ」は、レコーディング当初からスタッフの間で評判が高かったそうです。作家チームは、この後も裕美さんの歌を手がけることになる松本隆-筒美京平のコンビです。
この曲の歌詞はひとつの物語になっています。都会へ行った彼と、その彼を故郷で待つ彼女の気持ちを一連のストーリー仕立てで歌っています。これは担当ディレクターの白川隆三氏の実体験を元にしたものだそうです。当時の感覚からすると曲自体が少々長めだったので、白川氏たちは何度か歌詞の省略を試みたらしいのですが、わかずかでも省くとストーリーの展開が不自然になってしまうため、結局最初の長さに落ち着いた、ということです。
歌は、「ぼく」という男性と、「私」という女性のセリフを歌い分けています。この手法は当時としては目新しかったのですが、ストレートに双方の気持ちが伝わってくるので、歌詞に共感を覚えた人も多かったと思います。この、男女のセリフを使い分けるという手法は、その後も「赤いハイヒール」や「失恋魔術師」などにも使われています。
また、裕美さんの舌足らずの歌い方とやさしいソプラノは、歌詞の中の女性が持っている純朴さを表現するのに役立っていると思います。こういうことなども手伝って、この曲は大ヒットしたのでしょう。
またバックの演奏も、バンド・サウンドにストリングスを軽めにかぶせたようなものだったので、ニュー・ミュージック好きの層からも積極的に受け入れられたのでしょうね。デビューからしばらくはピアノの弾き語りというスタイルを取っていたことも、彼女が歌謡曲よりもニュー・ミュージック寄りの存在だというイメージ作りに寄与していたのかもしれません。
夢を抱いて都会に旅立ってゆくひとりの青年。待っている女性は彼が「都会の絵の具」に染まらないでほしいと願うのですが、青年のほうはどんどん都会色に染まってゆきます。素朴な青年が好きだった彼女は、最後に涙を拭くハンカチを欲しいと頼むのです。彼女は涙を拭いて、そしてそれから再び前を向いて歩む決心をしたのでしょうね。彼女からするとつらい結末の歌詞ですが、明るい曲調と裕美さんの純朴で可憐な歌い方に救われているような気がします。
「木綿のハンカチーフ」は、2002年に椎名林檎嬢、2007年にはスピッツの草野マサムネ氏によってカヴァーされています。
現在の裕美さんは二児の母。ポップスはもちろん、童謡を歌うなど、表現力の幅が広がっています。子育てに一段落した今は、積極的にライヴ活動も行っているということです。
【歌 詞】
◆木綿のハンカチーフ
■歌
太田裕美
■シングル・リリース
1975年12月21日
■作詞
松本隆
■作曲
筒美京平
■編曲
筒美京平、萩田光雄 (シングル・ヴァージョン)
萩田光雄 (アルバム・ヴァージョン)
■プロデュース
白川隆三
■収録アルバム
心が風邪をひいた日 (1975年)
■チャート最高位
オリコン週間チャート2位
オリコン年間チャート4位 (1976年度)
累計売上86.7万枚