小・中学生の頃って、だいたい誰でもひいきのアイドル・タレントがいたもんですよね。でもぼくは、お気に入りのアイドルがいなかったんです。パッと見て「お~カワイイ」と思うんですが、次々と現れる歌手を見るたんびに「おお、これもカワイイ」「あらら、あれもカワイイ」と、思ってしまってたんですね。気が多いというか、移り気というか。好きなタレントが現れても長続きしなかったんです。
その中で、唯一現在まで好きなのが、太田裕美さんです。
裕美さんの歌はもちろん好きだったんですが、あのお姉さんぽい外見にも憧れました。手の届かないまぶしい存在ではなくて、清潔感があって身近に感じられるところが良かったんです。
その裕美さんの歌の中でも好きなのが「九月の雨」「しあわせ未満」、そして「木綿のハンカチーフ」です。この曲は1975年12月にリリースされ、翌年にかけて85万枚以上を売りつくす大ヒットとなりました。1976年のオリコン・年間チャートでは4位にランクされています。
「木綿のハンカチーフ」は、レコーディング当初からスタッフの間で評判が高かったそうです。作家チームは、この後も裕美さんの歌を手がけることになる松本隆-筒美京平のコンビです。
この曲の歌詞はひとつの物語になっています。都会へ行った彼と、その彼を故郷で待つ彼女の気持ちを一連のストーリー仕立てで歌っています。これは担当ディレクターの白川隆三氏の実体験を元にしたものだそうです。当時の感覚からすると曲自体が少々長めだったので、白川氏たちは何度か歌詞の省略を試みたらしいのですが、わかずかでも省くとストーリーの展開が不自然になってしまうため、結局最初の長さに落ち着いた、ということです。
歌は、「ぼく」という男性と、「私」という女性のセリフを歌い分けています。この手法は当時としては目新しかったのですが、ストレートに双方の気持ちが伝わってくるので、歌詞に共感を覚えた人も多かったと思います。この、男女のセリフを使い分けるという手法は、その後も「赤いハイヒール」や「失恋魔術師」などにも使われています。
また、裕美さんの舌足らずの歌い方とやさしいソプラノは、歌詞の中の女性が持っている純朴さを表現するのに役立っていると思います。こういうことなども手伝って、この曲は大ヒットしたのでしょう。
またバックの演奏も、バンド・サウンドにストリングスを軽めにかぶせたようなものだったので、ニュー・ミュージック好きの層からも積極的に受け入れられたのでしょうね。デビューからしばらくはピアノの弾き語りというスタイルを取っていたことも、彼女が歌謡曲よりもニュー・ミュージック寄りの存在だというイメージ作りに寄与していたのかもしれません。
夢を抱いて都会に旅立ってゆくひとりの青年。待っている女性は彼が「都会の絵の具」に染まらないでほしいと願うのですが、青年のほうはどんどん都会色に染まってゆきます。素朴な青年が好きだった彼女は、最後に涙を拭くハンカチを欲しいと頼むのです。彼女は涙を拭いて、そしてそれから再び前を向いて歩む決心をしたのでしょうね。彼女からするとつらい結末の歌詞ですが、明るい曲調と裕美さんの純朴で可憐な歌い方に救われているような気がします。
「木綿のハンカチーフ」は、2002年に椎名林檎嬢、2007年にはスピッツの草野マサムネ氏によってカヴァーされています。
現在の裕美さんは二児の母。ポップスはもちろん、童謡を歌うなど、表現力の幅が広がっています。子育てに一段落した今は、積極的にライヴ活動も行っているということです。
【歌 詞】
◆木綿のハンカチーフ
■歌
太田裕美
■シングル・リリース
1975年12月21日
■作詞
松本隆
■作曲
筒美京平
■編曲
筒美京平、萩田光雄 (シングル・ヴァージョン)
萩田光雄 (アルバム・ヴァージョン)
■プロデュース
白川隆三
■収録アルバム
心が風邪をひいた日 (1975年)
■チャート最高位
オリコン週間チャート2位
オリコン年間チャート4位 (1976年度)
累計売上86.7万枚
ハムスター、元気に生きてます。
体長は現在約10センチです。
我が家にきてから4ヶ月半で2倍くらいの大きさになりました。
順調に育っていますが、どこまで大きくなるのでしょうか。
このまま育つと1年で約5~6倍になる計算です(汗)。
奴の日常です。
まず昼間。どうもずーーーっと眠っているようです。
ゲージの中にハム用の小さな小屋を入れてるんですが、その中にこもってます。
寝ている時に触ったりすると、ハム君は驚きます。
あんまり驚かせ続けると、ストレスで健康を害するんですって。
布切れやティッシュ・ペーパーを小さく裂いて置いておくと、
うまいこと引っ張り込んで小屋の入り口に上手にフタをしてます。
ハムスターは、狭くて暗いところを好むらしいんです。
エサは、エサ箱から頬ぶくろに入れて小屋の中で食べてるみたい。
頬ぶくろに入れることで自分の唾液がつき、
そのニオイがあると自分のモノだという安心感があるそうです。
やっぱりヒマワリの種は好物みたいです。
夕方薄暗くなってから目覚めるようです。
ぼくも夕食を食べてからすこしハム君と遊びます。
遊ぶといってもゲージから出して「お解き放ち」にするだけなんですが。
それでも時には手に持って背中をなでてやると、気持ちよさそうにしています。
こうやって遊ぶことで人にも慣れるんだそうですよ。
そして夜中。
一晩じゅうガラガラという音が聞こえます。
そうです、奴は夜中じゅう回し車に乗って走っているのです。
その振動でゲージが次第に動き、
置いてある三段ボックスの上から落ちたこともありました。
最初の頃は音が気になって寝付かれませんでしたが、今はその音にも慣れました。
もともと動物を飼うことを躊躇していたぼくですが、
これからもなんとか奴と共存していけそうです。
やっぱり飼っているうちに情のようなものが湧いてくるものなんですね~
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クラシック系の曲を演奏する機会がありました。
そのとき初めて聞き、初めて弾いた曲が「コン・テ・パルティーロ」と「私を泣かせて下さい」です。
どちらも感動的なメロディーを持っていたので、あっという間に好きになりました。リハーサルでも本番でも、演奏するのが楽しみでした。(もちろん全然イメージどおりには弾けませんでしたが)
ちょうどこの2曲を好きになったばかりのころ、レンタル・ショップで何気なく手に取ったCD、それがサラ・ブライトマンとの出会いです。
たまにはクラシカルなものも聴いてみようか、と思いながらクラシックのコーナーを何となく見ていた時に、美形のシンガーのジャケットが目に入ってきたんです。
収録曲を見てみると、「コン・テ・パルティーロ」と「私を泣かせて下さい」の両方に加えて、ぼくの好きなシューベルトの「アヴェ・マリア」や「アルハンブラの想い出」も入っていたので、即座に借りて帰りました。
そのアルバムがサラ・ブライトマンの「クラシックス」です。
ポップスのエッセンスをふりかけたような聴き易いクラシックが、「ネオ・クラシックス」とか「クラシカル・クロスオーヴァー」などと呼ばれていることは知っていたので、「音ネタを増やすつもり」程度の軽い気持ちで借りたのですが、思いもかけず、これが「大当たり」だったんですね。つまり、ツボだったんです。
サラの美しく澄んだハイ・トーン・ヴォイスには、いずまいを正されるような美しさがあり、まるで心が洗われるような気がしました。
音の高低・強弱を自在に操り、いろいろな表情を鮮やかに歌い分けていました。最初から最後まで緊張感が途切れることがありませんでした。
「繊細と官能の極み」というキャッチ・コピーがありましたが、なるほどと思わされます。歌を歌うために生まれてきた、と思える人の音楽に時々出会いますが、彼女もそういう類のひとではないでしょうか。
収録されている曲にはテレビやCM、映画などで耳にしたことのある曲が多く、それも聴き易かった理由のひとつでしょう。また最近では、ウェディング・ミュージックとして使われている例も多いようですね。
「アヴェ・マリア」や「アルハンブラの想い出」を始め「エニィタイム・エニィウェア(アルビノーニのアダージョ)」、「夜の踊り(ショパン作・別れの曲)」などはよく知られた曲ですし、「ネッスン・ドルマ(誰も寝てはならぬ)」は、トリノ五輪で金メダルを獲得した荒川静香さんの演技の時に聴かれた曲と同じものです。また、「私を泣かせて下さい(ラッシャー・キオ・ピアンガ)」、「タイム・トゥ・セイ・グッドバイ(コン・テ・パルティーロ)」のほかにも「私のお父さん」は実際にある結婚式で演奏したことがあって、好きになっていた曲だったんです。
サラ・ブライトマンというシンガーのバイオを見てみると、1960年イングランド・ハートフォードシャー州生まれ、13歳の時にステージ・デビュー。ミュージカルやオペラなど、ポピュラーからクラシックまで幅広く歌う、とあります。1996年にはアンドレア・ボチェッリに「タイム・トゥ・セイ・グッドバイ」をデュエットすることを申し出て、録音したシングルが全世界で1500万枚という驚異的なセールスを記録しました。以後この曲はサラの代名詞的存在として知れ渡っています。
このアルバムの中でもとくに好きなのは、「私を泣かせて下さい」「タイム・トゥ・セイ・グッドバイ」です。ひとつひとつの音符、言葉に意思を込めて、とても丁寧に歌い上げています。とくに「タイム・トゥ~」は途中転調してからの盛り上がり方がとってもドラマティック。思わず何度も繰り返して聴いてしまいました。
凛とした品性が実に心地よく、安心して音に身を委ねることができますね。違和感なく「世界で最も美しい歌声」を堪能しました。
録音だけしておいて、時間のある時にゆっくり聴こう、と軽い気持ちで借りたCDでしたが、最初から全編聴き入ってしまった一枚でした。
もちろんあとでCDショップに行き、ちゃんと購入しましたよ。
◆アヴェ・マリア ~サラ・ブライトマン・クラシックス~ /Classics
■リリース
2001年11月20日(アメリカ)
■歌
サラ・ブライトマン/Sarah Brightman
■プロデュース
フランク・ピーターソン/Frank Peterson
■収録曲
01 アヴェ・マリア/Ave Maria (Schubert)
02 私を泣かせて下さい/Lascia Ch'io Pianga (Handel)
03 ウインターライト/Winterlight (Preisner, Kaz, Ronstadt)
04 エニィタイム・エニィウェア(ライヴ・ヴァージョン)/Anytime, Anywhere (Albinoni - Ferraù)
05 アルハンブラの想い出/Alhambra (Tarréga - Pirs)
06 さようなら、ふるさとの家よ ~歌劇『ワリー』 第1幕より (未発表ヴァージョン)/La Wally (Catalani)
07 夜の踊り/Dans La Nuit (Chopin)
08 セレナーデ/ここは素晴らしい場所/Serenade/How Fair This Place (Peterson - Soltau / Rachmaninov)
09 私のお父さん ~歌劇『ジャンニ・スキッキ』より(新ヴァージョン)/O Mio Babbino Caro (Puccini)
10 ラ・ルーナ/La Luna (Dvorák - Ferraù)
11 ピエ・イエス/Pie Jesu (A.L. Webber)
12 フィリオ・ペルドゥート/Figlio Perduto (Beethoven - Ferraù)
13 ネッスン・ドルマ(誰も寝てはならぬ)(新ヴァージョン)/Nessun Dorma (Puccini)
14 バイレロ/Bailero (Traditional)
15 タイム・トゥ・セイ・グッバイ(ソロ・ヴァージョン)/Time To Say Goodbye - solo version (Sartori - Quarantotto)
16 あたりは沈黙に閉ざされ ~歌劇『ランメルムーアのルチア』より(ライヴ・ヴァージョン)/Regnava Nel Silenzio(Live in Europe) (Donizetti)
■チャート最高位
2001年週間チャート アメリカ(ビルボード)66位、ビルボード・クラシック・アルバム・チャート2位、日本(オリコン)29位
『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』 サラブライトマン & アンドレア・ボチェッリ
昨日は「翼の折れたエンジェル」をお題にしたので、今日は「"翼"つながり」で「オープン・アームス~翼をひろげて」を聴いています。
「オープン・アームス」はジャーニーの放った最も有名なバラードです。
ジャーニーというバンドがサンフランシスコからデビューしたのが1975年。元サンタナのメンバーが中心となって結成されました。当初はなかなか売れなかったのですが、それでも着実に活動を続け、次第に注目されるようになります。
1981年には10枚目のアルバム「エスケイプ」発表しますが、これが大ヒット。同年9月には全米アルバム・チャートで1位となり、全世界で1000万枚を超えるセールスを記録しました。この大ヒットでジャーニーは一挙にアメリカのトップ・バンドへとのし上がります。
このアルバムからシングル・カットされたのが「オープン・アームス」です。翌82年2月から6週連続全米2位を記録しています。
スティーヴ・ペリー
ジャーニー
ぼくは、ジャーニーというバンドには洗練されたハード・ロック・バンドというイメージを持っていたんですが、こんな素晴らしいバラードをも創り上げることができるんですね。
もともとこの曲は、キーボーディストのジョナサン・ケインが、ジャーニー参加以前に活動していたベイビーズというバンドのために書いた曲なのですが、当時のヴォーカリストの反対にあっておクラ入りしていたそうなんです。
ジャーニー『エスケイプ』
ドラマティックで壮大な展開、その上に乗る甘く切ないヴォーカルが感動的です。バンドの演奏能力も折り紙つき。
ピアノのみのシンプルなイントロで始まり、スティーヴ・ペリーの優しい歌声が入ってきます。サビでの伸びやかなハイ・トーン・ヴォイスは、本当に腕をひろげて愛しい人を抱き締めている感じがします。右に左に揺れるなだらかな3拍子、とても心地良いです。バックでうねっているギターとキーボード群は、この曲により大きな広がりを与えているような気がします。
この曲をカヴァーしたのが、マライア・キャリーです。1995年に発表したアルバム「デイドリーム」に収録されています。マライア版は、その年のバレーボール・ワールド・カップのテーマ曲となりました。
マライア版は、ア・カペラで始まります。すぐにキーボードとピアノがマライアに寄り添うように重なってきます。7オクターヴという驚異的な声域を誇るマライアだけあって、サビのハイ・トーンからはゆとりが滲み出ています。まさに空へ羽ばたく感じ。エンディングはピアノとヴォーカルのみで、余韻に浸るかのように静かに終わります。
さすがは歌唱力に定評のあるマライアだけあって、完全にこの曲を自分のものにしています。抜群の歌唱力で歌い上げる雄大なイメージ、しっとり聴かせる表現力の豊かさ、マライア版もジャーニー版に負けず劣らずの出来栄えです。
マライア・キャリー
マライア・キャリー『デイドリーム』
この曲は、2004年の日本映画「海猿」のテーマ曲としてリバイバル・ヒットしたので、ご存知の方も多いでしょう。
なお、ジャーニーは間に解散、再結成をはさみながら活動を続けてきましたが、2007年現在では「年内の活動を休止する」と公表しています。
(追記:2007年12月、ボーカリストとしてアーネル・ピネダが加入。バンドはその後精力的な活動を続けている。)
[歌 詞]
[大 意]
闇の中で君のそばに横たわっていると 君の心臓の鼓動を感じる
ソフトに囁く素直な君 僕らの恋が盲目などであるものか
僕らは共に船出し 別れ別れに流された
そして今 君は僕のそばにいる
僕は君の元にやって来たよ 両方の腕を大きく開いて
秘密など何もない 信じておくれ
僕は両腕を開いてやって来たよ 君に分かってほしいんだ
僕にとって君の愛がどれほど意味を持っているかを
その腕を大きく開いておくれ
君なしでたった一人で暮らしていると
この空っぽの家はとても冷たく見える
君を抱きしめたくって 君が恋しくて
どんなに帰ってきてほしいと願ったことか
でもこうして君が帰ってくれた今
夜は昼に変わった もう離さない
◆オープン・アームズ/Open Arms
■作詞・作曲 スティーヴ・ペリー & ジョナサン・ケイン/Steve Perry & Jonathan Cain
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◆歌・演奏…ジャーニー/Journey (翼を広げて)
■シングル・リリース
1982年1月
■プロデュース
ケヴィン・エルソン & マイク・ストーン/Kevin Elson & Mike Stone
■収録アルバム
エスケイプ/Escape(1981年)
■録音メンバー
[ジャーニー]
スティーヴ・ペリー/Steve Perry(lead-vocals)
ニール・ショーン/Neal Schon(guitar, backing-vocals)
ジョナサン・ケイン/Jonathan Cain(keyboards, rhythm-guitar, backing-vocals)
ロス・ヴァロリー/Ross Valory(bass, backing-vocals)
スティーヴ・スミス/Steve Smith(drums, percussion, backing-vocals)
■チャート最高位
1982年週間チャート アメリカ(ビルボード)2位
1982年年間チャート アメリカ(ビルボード)34位
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◆歌…マライア・キャリー/Mariah Carey (オープン・アームズ)
■シングル・リリース
1995年12月5日
■プロデュース
マライア・キャリー & ウォルター・アファナシエフ/Mariah Carey & Walter Afanasieff
■収録アルバム
デイドリーム/Daydream(1995年)
■チャート最高位
週間チャート イギリス4位
ジャーニー「オープン・アームズ」
マライア・キャリー「オープン・アームズ」
今日、一枚のCD-Rを貰いました。友人が、1980年代のJ-POPをピック・アップしてCD-Rにプリントしてくれたんです。
中森明菜やアン・ルイス、松田聖子、渡辺美里など、女性シンガー特集ぽく編集してありました。その中でも好きだったのが、中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」です。
当時はシングル・レコードを持っていたけれど、今は音ネタは持っていないので、たいへん有難かったです。
中村あゆみ嬢は、1984年に「Midnight Kids」でデビューしました。
翌85年にリリースした3枚目のシングルが「翼の折れたエンジェル」です。この曲は日清カップヌードルのCMに起用されたことで火がつき、最終的に約38万枚(追記:2016年12月時点でレコード・CDの売り上げは50万枚以上)を売り上げ、オリコン・チャートも4位にまで昇りました。
今でこそミリオン・セラーは珍しくありませんが、80年代はシングルでミリオン・セラーとなった曲はあまりなく、50万枚も売れると「大ヒット」だと言われていました。このことから考えると、「翼の~」も大ヒットした、と言えるでしょう。実際、この曲はテレビやラジオでよく流れていたし、カラオケなんかに行くと、たいてい誰かがこの曲を歌っていたのを覚えています。
なんと言っても元気いっぱいでハスキーな歌声が強烈に印象に残っていますが、デビュー以前のあゆみ嬢は自分の声にコンプレックスを持っていて、音楽の授業では歌を歌うこともなかったために、成績は最悪だったそうです。
しかし高校の時にカラオケでサザン・オール・スターズの歌を歌ったところ、周りの友人たちの絶賛されたそうで、これがきっかけとなって自信を持ったということです。
「翼の~」は、ティーン・エイジャーの微妙な心の動きを歌ったことが大きな共感を呼んだのだと思います。
ミディアム・テンポのエイト・ビートに乗って歌うあゆみ嬢の歌は、とてもパワフルですね。
サビの部分がとても切なく響いてきます。バックのサックスの音色もとても印象的でした。
歌詞の「みんな翔べないエンジェル」の部分は、ライヴでは「いつか翔ぼうぜエンジェル」に変えて歌われていたようです。
「翼の~」以降のあゆみ嬢は、「ちょっとやそっとじゃCan't Get Love」(1986年カネボウ)、「ともだち」(1989年カナダドライジンジャーエール)、「Brother」(MIZUNO)など、CMとタイ・アップしたヒット曲をコンスタントに放ち続けます。ところが、一時は「中村あゆみといえば『翼の折れたエンジェル』と言われるのがとてもイヤ」で、歌うのを拒否していた時期もあったそうです。しかし、長く歌手活動を続けるうちに、「歌手としてヒット曲を持つのはたいへんな確率、『翼の~』を歌って、と言われれば何度でも歌います」という気持ちになっていった、ということです。
あゆみ嬢は1990年代の半ば頃以降は歌手活動から遠ざかっていましたが、2004年に加山雄三さんのイベントに出演したことがきっかけとなって歌手活動を再開、現在でも積極的にライヴを行っています。
また、「翼の~」は、最近では大黒摩季嬢によってカヴァーされているということです。
[歌 詞]
◆翼の折れたエンジェル
■歌
中村あゆみ
■シングル・リリース
1985年4月21日
■作詞・作曲・編曲
高橋 研
■チャート最高位
1985年オリコン週間チャート 4位
1985年オリコン年間チャート 13位
■収録アルバム
Be True(1985年)
今日はとってもよく晴れた、気分のよい一日でした。
秋の青空を見上げると吸い込まれそうになるくらい気持ちが良いですよね。
そういえば「ブルー・スカイ」という曲がありました。
ひとつはジャズのスタンダード、もうひとつはチューリップのヒット曲、そしてエレクトリック・ライト・オーケストラ(以下E.L.O.)の「ミスター・ブルー・スカイ」です。
その「ミスター・ブルー・スカイ」が収録されているのが、E.L.O.の7作目(ベスト・アルバムを除く)のアルバム、「アウト・オブ・ザ・ブルー」です。
「アウト・オブ・ザ・ブルー」はロックやポップスのエッセンスとストリングスが見事に融合した傑作だと思います。
このアルバムは予約だけで400万セットを超え、全米チャート、全英チャートとも4位を記録したE.L.O.最大のヒット作です。この中から「ターン・トゥ・ストーン」(全米13位、全英18位)、「スウィート・トーキン・ウーマン」(全米17位、全英6位)、「ミスター・ブルー・スカイ」(全米35位、全英6位)、哀愁の果て(全米75位)、ワイルド・ウェスト・ヒーロー(全英6位)の5曲のヒットを生み出しています。
とても親しみやすいメロディ、ぬくもりのあるストリングス・アンサンブル、効果的に使われるキーボード群、幾重にも折り重なった分厚いファルセット・コーラス、躍動感のあるリズムなどがサウンドの特徴で、その壮大な音楽性は、レコードの帯にもある通りまさに「スペース・ロック・ドリーム」です。
長岡秀星の作である宇宙船のイラスト・ジャケットもそのイメージを作り出すことに貢献しているかもしれません。しかし、それは無機質な冷たいものではなく、人間の体温が感じられるやわらかくて優しいものだと言えるでしょう。
このアルバムをE.L.O.の最高傑作に推す声も多いです。
1曲目に収録されている「ターン・トゥ・ストーン」は、心地よくはじけたこのアルバム最高の曲だと思います。「スウィート・トーキン・ウーマン」はノスタルジックな雰囲気のポップスです。今日の天気そのものの歌詞を持つ「ミスター・ブルー・スカイ」の軽快さも楽しい。
以下、派手なソロこそありませんが、やや哀愁を帯びた甘くて絶妙なメロディーが目白押しです。とくに「雨の日のコンチェルト」と題されたコンセプト・サイド(10~13曲目)の出来栄えは、かのビートルズの「アビイ・ロード」B面に匹敵する、という評価もあるほどです。
E.L.O.のメロディー・メイカー、ジェフ・リン
前作「オーロラの救世主」あたりから、次作の「ディスカヴァリー」までがE.L.O.の全盛期でしょう。リーダーであるジェフ・リンのポップ・センスが全開です。そのうえアレンジャー、プロデューサーとしての才能も花開いた感があります。
ジェフが見せてくれるE.L.O.ワールドは1曲1曲がとてもポップで、思わず口ずさみたくなるようなメロディーのオン・パレード。楽しさ満点のラインナップです。このアルバムは「E.L.O.スタイルの音楽がたどり着いた最高到達点」で、まさに「スーパー・ポップ・ミュージック」だと言えるでしょう。
◆アウト・オブ・ザ・ブルー/Out Of The Blue
■リリース
1977年10月3日 (日本=1977年11月)
■歌・演奏
エレクトリック・ライト・オーケストラ/Electric Light Orchestra
■プロデュース
ジェフ・リン/Jeff Lynne
■録音メンバー
【エレクトリック・ライト・オーケストラ/Electric Light Orchestra】
ジェフ・リン/Jeff Lynne (vocals, guitars, electric-piano, synthesizer, percussion)
リチャード・タンディ/Richard Tandy (acoustic-piano, electric-piano, synthesizers, mellotron, clavinet, guitar)
ケリー・グロウカット/Kelly Groucutt (bass, percussion, vocals)
ベヴ・ベヴァン/Bev Bevan (drums, precussions, vocals)
ミック・カミンスキー/Mik Kaminski (violin)
メルヴィン・ゲイル/Melvyn Gale (cello)
ヒュー・マクドウェル/Hugh McDowell (cello)
■収録曲
A01 ターン・トゥ・ストーン/Turn to Stone ☆
02 哀愁の果て/It's Over ☆
03 スウィート・トーキン・ウーマン/Sweet Talkin' Woman ☆
04 国境の彼方/Across The Border
05 ナイト・イン・ザ・シティ/Night in The City
B06 スターライト/Starlight
07 ジャングル/Jungle
08 ビリーヴ・ミー・ナウ/Believe Me Now
09 ステッピン・アウト/Steppin' Out
C -雨の日のコンチェルト-/ -Concerto for a Rainy Day-
10 雨にうたれて/Standin' in The Rain
11 ビッグ・ウィールズ/Big Wheels
12 サマー・アンド・ライトニング/Summer And Lightning
13 ミスター・ブルー・スカイ/Mr. Blue Sky ☆
D14 スウィート・イズ・ザ・ナイト/Sweet Is The Night
15 ザ・ホエール/The Whale
16 バーミンガム・ブルース/Birmingham Blues
17 ワイルド・ウェスト・ヒーロー/Wild West Hero ☆
※全作詞作曲 ジェフ・リン/Jeff Lynne ☆=シングル・カット
■チャート最高位
1978年週間チャート アメリカ(ビルボード)4位、イギリス4位、日本(オリコン)32位
1978年年間チャート アメリカ(ビルボード)18位、イギリス7位
■枯葉 (Autumn Leaves)
■作詞…ジャック・プレヴェール(1945年)
■英語詞…ジョニー・マーサー(1950年)
■作曲…ジョセフ・コスマ(1945年)
そろそろ木の葉も色づいてきました。ところによっては落ち葉が舞っているところもあるかもしれませんね。
ぼくが住む街は、今日は一日中曇り空でした。晩秋のこんな薄暗い日に聴きたくなるのが「枯葉」です。
「枯葉」は、言うまでもなくフランスの傑作シャンソンです。ジョセフ・コスマが、1945年に初演されたローラン・プティのバレエ「ランデ・ヴー」のために作曲し、あとからジャック・プレヴェールが歌詞をつけました。1946年のフランス映画「夜の門」の中でイヴ・モンタンが歌っています。英語詞は1950年に著名な作詞家、ジョニー・マーサーによってつけられ、同年のビング・クロスビーのレコード、あるいはフランス語と英語によって歌われたエディット・ピアフのレコードなどがヒットしました。以後ポピュラー・ナンバーとなり、とくにジャズ・シンガーはこぞってこの曲を取り上げています。
歌ばかりでなく、インストゥルメンタルとしての素材として取り上げられることも多く、たくさんの名演が生まれています。これは楽器奏者から見ると、アドリブをするのにたいへん魅力的なコード進行であるためです。互いに密接な関係にあるB♭メジャーとGmを適度に行き交う、ワン・コーラス32小節という基本的な構成です。ブルース進行と同様に、シンプルだからこそ色々な可能性を試すことができる曲として、オーソドックスなスタイルから前衛系まで、実に幅広い多くの演奏者に愛されています。
今日はぼくの持っているCDの中から3つの枯葉を選んで聴き比べてみました。
キャノンボール・アダレイ『サムシン・エルス』
まずは1958年のキャノンボール・アダレイの作品、「Somethin' Else」に収録されたものです。これは契約上の問題から名義はキャノンボールになっていますが、実質的にはマイルス・デイヴィスがリーダーとなっています。
イントロからなにかこう薄暗い雰囲気が漂っています。テーマを吹くのはマイルス。ミュートをつけた彼のトランペットを聴いていると、レンガ路の上に枯葉が舞い落ちるのが見えるような気がします。続くキャノンボールのアルト・サックス・ソロは、いつものファンキーでノリのよい彼のスタイルではなくて、マイルスの曲想を引き継いだように、ムードたっぷりです。マイルスのソロはさらに繊細。ダークな雰囲気が立ち込めます。ピアノのハンク・ジョーンズのコロコロ転がるピアノも「これしかない」という感じです。全体的に静かな「枯葉」ですが、その内面にあるのはとてもハードボイルドなスピリットだと思います。
ビル・エヴァンス『ポートレイト・イン・ジャズ』
次はビル・エヴァンスの「Portrait In Jazz」に収録されている「枯葉」です。
ミディアム・ファストで軽快に始まります。イントロからエヴァンスのピアノとスコット・ラファロが激しくバトルを行っています。テーマのサビからはラファロが強力なウォーキング・ベースを聴かせてくれます。テーマが終わるとベース・ソロ。ここでは縦横無尽に弾きまくるラファロにエヴァンスがコール・アンド・レスポンスのような形で絡んでゆきますが、これがまたハードボイルドなんですよね。
エヴァンスのピアノはとても凛としていて、清々しい空気が漂っている感じです。ポール・モティアンは、ふたりのやりとりに素早く反応し、その時々の雰囲気を捉えながらドラムで色彩をつけています。
ラファロのベースは、始終エヴァンスに絡んでいるわけではなくて、ウォーキングすべきところは堅実に4ビートを刻み、絡むべきところでは遠慮なくインタープレイの応酬を繰り広げています。聴かせどころをよく知っていて、メリハリをきちんとつけている、という感じですね。
サラ・ヴォーン『枯葉/クレイジー・アンド・ミックスド・アップ』
最後はサラ・ヴォーンの「Crazy And Mixed Up」に収められているものです。
これは超アップ・テンポ。イントロからジム・ホ-ルのスピーディーなギター・ソロが始まります。それに続いて登場するサラ・ヴォーンのヴォーカルにはビックリ。いきなりスキャットでアドリブを取るのですが、これがまたカッコいいんです。ビートに軽々乗って歌いまくるさまは、まさに秋の強風に吹き飛ばされる枯葉のよう。音の高低、強弱を巧みに使い分けて、聴いていても飽きることがありません。まさにサラの独壇場。中間部のホールのギター・ソロも、速弾きだけではなくて、まるで歌っているような味わいがあります。バックの一糸乱れぬ伴奏ぶりも素晴らしいですね。とくに、ローランド・ハナのピアノの間が絶妙です。この「枯葉」は、驚くべきことにテーマが出てきません。全編アドリブという、異色の構成です。
「枯葉」もスローからアップテンポまで、幅広くどんなテンポにも合いますね。「枯葉」だから、はかなく、寂しい演奏しかない、というわけではないんです。寂寥感のある枯葉も良いし、突風に舞う枯葉があって良い、いろんな「枯葉」があっても構わない、ってことなんでしょうね。
この秋もあちこちで様々な形の「枯葉」が歌われていることでしょう。
『枯葉』ビル・エヴァンス(pf)、エディ・ゴメス(b)、アレックス・リール(drs)
【枯 葉】
窓辺に舞う落ち葉よ 赤と黄金色に染まった枯葉よ
私はあなたのくちびると 夏の日のくちづけ
私が抱いたあの陽に焼けたあなたの手を想う
あなたが去ってから日々は次第に物憂くなり
そして私はほどなくあの冬の歌を耳にするだろう
しかし私は何にも増してあなたを恋しく想う
いとしい人よ 枯葉が舞い落ちる時に
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アニマルズは1963年にイギリスのニューキャッスルで結成された5人組のバンドです。バンド名は、あまりに激しかった彼らのステージを体験した聴衆たちから「Animal!」と言われたことに由来するという説があります。(エリック・バードンはこれを否定しています)
バンドのサウンドは、中心的存在のヴォーカリスト、エリック・バードンの音楽的ルーツであるリズム&ブルーズ色の影響が強いものでしたが、シングル曲はヒットを意識した聴きやすいものになっています。また、彼らのサウンドはオルガンが大々的にフィーチュアされているという特徴がありました。
彼らの最大のヒット曲が「朝日のあたる家」です。この曲はアメリカのトラディショナル・フォーク(イギリスに古くから伝わるバラッドだ、とする説もある)です。
最初にレコーディングされたのは1928年です。アルジャー・テキサス・アレキサンダーという黒人ブルーズマンによって吹き込まれました。1937年に民俗音楽学者のアラン・ロマックスによって再発掘され、その後はウディ・ガスリーやジョーン・バエズ、ボブ・ディランといったフォーク系のシンガーたちによって歌い継がれてきました。
日本ではアニマルズのヒットの後、グループ・サウンズがよくこの曲をカヴァーしていたようです。
この曲を取り上げたアニマルズは、オルガンを前面に出し、サウンドを重くブルージーなものにアレンジし直しました。これが当たって、1964年には英米のほかオーストラリア、スウェーデンでチャート1位、日本、カナダ、ニュージーランドでチャート2位となる大ヒットを記録しました。
イントロはギターの3連符アルペジオ。静かにエリック・バードンの歌が入りますが、2コーラス目からはパワフルで黒っぽい、そして悲哀の感じられる歌を聴くことができます。次第にオルガンがヴォーカルに絡み始め、ギターはストローク奏法となってリズムを激しく刻みます。中間部のオルガン・ソロは名演と言っていいでしょう。後半はヴォーカルとオルガンの激しいバトルのようなサウンドとなります。エンディングはオルガンが静かにまとめています。
この曲は、もともとは「朝日楼」という屋号の娼館に身を落とした女性の嘆きの歌なのですが、アニマルズは歌の主人公を男性に変えています。また「朝日」という名の家は、監獄のことを指しているのだとする説もあります。
ちなみに、19世紀後半のニュー・オーリンズには実際に「朝日」という名の娼館があったそうです。
アニマルズはその他にも「悲しき願い」「朝日のない街」「悲しき叫び」「孤独の叫び」など多くのヒット曲を出しましたが、1966年に解散します。その後「エリック・バードン&ジ・アニマルズ」の名で再び活動を開始しました。このバンドには、のちのポリスのギタリスト、アンディ・サマーズが一時在籍していたことでも知られています。
アニマルズ『朝日のあたる家』
[歌 詞]
[大 意]
ニューオリンズにあるその館は「朝日」と呼ばれている
哀れな若者ばかりの廃墟さ
神様、俺もその中のひとりなんだ
母さんは仕立て屋で 俺に新しいブルージーンズを縫ってくれた
父さんはニューオリンズのギャンブラーだった
ギャンブラーに必要な物といえば、スーツケースとトランク
そしてギャンブラーが満たされるのは酔っ払ってるときだけ
母さん、子供たちに言ってくれ 俺がしたようなことはするなって
人生を哀しみと悪で汚して 「朝日楼」の中
片足をプラットホームに、もう片足を列車にかけて
俺はニューオリンズに帰るところだ
鉄球と鎖をつけられるために
◆朝日のあたる家/The House Of The Rising Sun
■歌・演奏
アニマルズ/Animals
■録音
1964年5月18日
■シングル・リリース
1964年6月19日(英)、1964年8月(米)
■作者不詳(アメリカ トラディショナル)
■編曲
アラン・プライス/Alan Price
■プロデュース
ミッキー・モスト/Mickie Most
■録音メンバー
[アニマルズ]
エリック・バードン/Eric Burdon (vocal)
アラン・プライス/Alan Price (organ)
ヒルトン・ヴァレンタイン/Hilton Valentine (guitar)
チャス・チャンドラー/Chas Chandler (bass)
ジョン・スティール/John Steel (drums)
■チャート最高位
1964年週間チャート アメリカ(ビルボード)1位、イギリス1位、日本(ミュージック・マンスリー)2位
1964年年間チャート アメリカ(ビルボード)38位
△アメリカの田舎道
1995年に発表されたスタジオジブリのアニメ映画「耳をすませば」のテーマ曲「カントリー・ロード」を聴いて「懐かしい」と思われた方も多いでしょう。劇中では日本語詞で本名陽子によって歌われ、スマッシュ・ヒットしました。この時、日本語詞をつけたのは、宮崎駿と鈴木麻美です。
もともとこの曲は、ビル・ダノフとタフィー・ナイヴァートの男女二人組フォーク・デュオのオリジナル曲で、彼らの歌を聴いたジョン・デンヴァーが、「ぜひこの歌を歌いたい」と名乗りをあげたのです。その当時、鳴かず飛ばずだったデンヴァーは、最後の賭けとしてこの曲をレコーディングし、1971年に発表。するとこれが同年8月には全米2位にまで昇ってミリオン・セラーを記録、彼最大のヒットとなりました。
ちなみに、ジョン・デンヴァーはニュー・メキシコ州の出身で、芸名の「デンヴァー」は、彼が愛した町、コロラド州デンヴァーに由来するものです。
ジョン・デンヴァー
「カントリー・ロード」の2番の歌詞は、当時の反戦思想、ヒッピー文化を反映したものでしたが、メロディーや1番の歌詞には合わないので、デンヴァーによって現在のように書き直されました。
ところで、この曲の主人公はウェストヴァージニア州の出身という設定ですが、歌詞の中に出てくるブルー・リッジ山脈は全くウェストヴァージニアを通っておらず、シェナンドー河もわずかにウェストヴァージニアを掠めているだけで、それらの殆どは隣のヴァージニア州にあります。当時そのことを確かめずにこの曲を発表したデンヴァーですが、のちウェストヴァージニアにはその両方を一望できる場所があるということをファンに教えられ、驚いたそうです。
原作者のダノフ&ナイヴァートも、デンヴァーもウェスト・ヴァージニアには一度も行ったことがなかったそうです。おそらく彼らは故郷への想いを託してこの曲を作ったのでしょう。そして彼らの思い浮かべた故郷のイメージが歌詞に表れたのだと思います。
しかし、あるウェストヴァージニア州出身の女性から「この曲に歌われている景色は私の故郷そのままだ」と連絡があり、行ってみると歌詞通りの景色が広がっていた、という話も残っています。
オリヴィア・ニュートン・ジョン
1973年秋には、オリヴィア・ニュートン・ジョンのカヴァーが全英15位のスマッシュ・ヒットを記録しています。
日本では、1976年当時の朝のTBS系テレビ番組「おはよう700(セヴン・オー・オー)」の中で、オリヴィア・ニュートン・ジョン版の「カントリー・ロード」が使われているうちに火がつきました。同年10月には、日本でのみこの曲がシングル・カットされると、これがオリコン・チャート6位、45万枚を売り上げる大ヒットになったのです。このヒットはぼくの記憶にも残っています。オリヴィアというシンガーを知ったのもこの曲がきっかけでした。
デンヴァー版も悪くはないですが、ぼくはオリヴィア版の方が好きかな。
イントロでの美しいコーラスは聴く者の郷愁を誘います。アコースティック・ギターのアルペジオや2ビートで弾かれるベース、手拍子、スライド・ギターなどがカントリーぽさを出しています。柔らかいオリヴィアの声のイメージはまるで「陽の光」。曲そのものにはカントリー&ウエスタンのエッセンスが感じられますが、オリヴィア版は少しポップな感じがしますね。
余談ですが、ジェイムス・テイラーも「カントリー・ロード」という曲を歌っていますが、それは同名異曲です。
いつまでも親しまれるであろうこの曲は、現在日本ではサッカーのベガルタ仙台のサポーター・ソングとして使われているそうですよ。
[歌 詞]
[大 意]
田舎道よ、故郷に連れて行っておくれ 私の生まれ育った場所へ
ウェスト・ヴァージニア、母なる山々 連れて行っておくれ、カントリー・ロード
まるで天国のようなウェスト・ヴァージニア ブルーリッジ山にシェナンドー河
生命は木立ちよりも古くそして山々より若く そよ風のように育ってゆく
思い出すのは彼女のことばかり 鉱山という名のレディは青い水とは無縁
暗く埃っぽい色に染まった空 霞のかかった月は私の目に涙を浮かばせる
朝の空にこだまする彼女の歌声が 私を呼ぶのが聞こえ
ラジオは遠い故郷を思い出させる 街道を下りながら私は思う
昨日帰っておけば良かったと 昨日帰っておけば
■カントリー・ロード(故郷に帰りたい)/Take Me Home Country Road
■作詞・作曲…ビル・ダノフ、タフィー・ナイヴァート&ジョン・デンヴァー/Bill Danoff, Taffy Nivert & John Denver
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<歌…ジョン・デンヴァー>
■シングル・リリース
1971年4月12日
■プロデュース
ミルトン・オクン & スーザン・ラスキン/Milton Okun & Susan Ruskin
■収録アルバム
詩と祈りと誓い/Poems, Prayers & Promises (1971年)
■チャート最高位
1971年週間チャート アメリカ(ビルボード)2位
1971年年間チャート アメリカ(ビルボード)8位
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<歌…オリヴィア・ニュートン-ジョン>
■シングル・リリース
イギリス1973年、日本1976年
■プロデュース
ブルース・ウェルチ、ジョン・ファーラー & アラン・ホークショウ/Bruce Welch, John Farrar & Alan Hawkshaw
■収録アルバム
詩小説/Let Me Be There (1973年)
■チャート最高位
1973年週間チャート アメリカ(ビルボード)119位、イギリス15位(1973年1月13日付)
1976年週間チャート 日本(オリコン)6位
ジョン・デンヴァー『Take me home, country road』
オリヴィア・ニュートン=ジョン『Take me home, country road』
今、HONDA「FIT」のCMに、クイーンの「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」という曲が使われています。フレディ・マーキュリーの、全身全霊を込めたかのような壮大なヴォーカルが感動的な曲です。これは、クイーンのヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーの遺作とも言えるアルバム、「メイド・イン・ヘヴン」に収録されているものです。
フレディが亡くなったのが1991年の11月。もうあれから16年が経つんですね。
そんなこんなで、クイーンのことが思い出されたので、今日は「私的ベスト20シリーズ第2回・クイーン編」を取り上げてみたいと思います。
ちなみに、クイーンが録音した曲は、171曲ありました(「メイド・イン・ヘヴン」を含む。ライヴ・アルバムは除く)。
私的ベスト20シリーズ第1回「ビートルズ・ナンバー 私的ベスト20」はこちら。
⑳ザ・ミラクル…「ザ・ミラクル」収録
⑲カインド・オブ・マジック…「カインド・オブ・マジック」収録
⑱ファット・ボトムド・ガールズ…「グレイテスト・ヒッツvol.1」収録
⑰ブレイク・フリー…「ザ・ワークス」収録
⑯輝ける七つの海…「クイーンⅡ」収録
⑮ユー・アンド・アイ…「華麗なるレース」収録
シングルにはなってないのですが、結構好きな曲です。作者はジョン・ディーコンで、彼らしいポップな味がよく出ています。
⑭炎のロックンロール…「戦慄の王女」収録
ブライアン・メイのギターが小気味よく響き渡るハード・ロック。彼らの演奏はまだ初々しく、そのあたりも好感が持てますね。
⑬地獄へ道づれ…「ザ・ゲーム」収録
クイーンのレパートリーの中では少々異色の雰囲気があります。黒っぽいベース・ラインが最高にカッコいい。
⑫イッツ・レイト…「世界に捧ぐ」収録
クイーンお得意の分厚いコーラスが聴けるハード・ロック。途中でテンポが倍になるのがとってもスリリングです。
⑪ブライトン・ロック…「シアー・ハート・アタック」収録
アルバム1曲目に収められたテンションの高いハード・ロック。ブライアン・メイが縦横無尽にギターを弾きまくっています。
⑩アンダー・プレッシャー…「ホット・スペース」収録
デヴィッド・ボウイとのコラボレーションは大きな話題になりましたね。イントロのベース、派手さはないけれどセンスの良さを感じます。
⑨手をとりあって…「華麗なるレース」収録
クイーンが日本のファンに対する感謝の印として録音されたバラード。静かなイントロ、荘厳なエンディング、素晴らしいです。
⑧プレイ・ザ・ゲーム…「ザ・ゲーム」収録
クイーンならではのステキなメロディが聴ける佳曲。ミディアム・スローの8ビートが粘っこくて心地良いです。
⑦ライアー…「戦慄の王女」収録
クイーン最初期を飾るハード・ロック・ナンバー。ドラム・ソロも聴けますね。この頃からあの分厚いコーラスが完成されているのがわかります。
⑥マイ・ベスト・フレンド…「オペラ座の夜」収録
ジョン・ディーコンの書く曲って、なんてセンスが良くてポップなんだろう、と思います。この曲のピアノはジョン自身が弾いています。
⑤伝説のチャンピオン…「世界に捧ぐ」収録
原題(We Are The Champions)は挑発的ですが、曲はクイーン節に染め上げられたロッカ・バラード。
④セイヴ・ミー…「ザ・ゲーム」収録
とてもドラマティックなミディアム・スローのバラードです。フレディの歌声がとても神秘的に聴こえます。
③愛にすべてを…「華麗なるレース」収録
最初にこの曲を聴いた時はあまりにも美しいコーラスに胸躍らせたものです。ピアノをバックに歌うフレディの声も素晴らしい。ギター・ソロもドラマティックに構成されていると思います。
②キラー・クイーン…「シアー・ハート・アタック」収録
イントロの「指パッチン」がカッコいいですね。起伏に富んだメロディーはクイーンならではのものだと思います。とてもポップで、「ハード・ロック・バンド」と見られていたクイーンのイメージを変えた曲でもあります。
①ボヘミアン・ラプソディ…「オペラ座の夜」収録
いわずと知れたクイーンの代表作。オペラとロックの融合に成功した、プログレッシヴな曲です。中間部のオペラ風コーラスは絶品ですね。それに続く、ブライアンのギターを大フィーチュアしたハード・ロック部分への流れは圧巻としか言いようがありません。ロック史上に残る名曲だと思います。
ぼくは初期~70年代のクイーンに思い入れが強いものですから、後期の作品はあまりランク入りしませんでした。でも80年代の曲もドラマティックで、メロディアスな曲はたくさんあります。「愛という名の欲望」「バイシクル・レース」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」「Radio Ga Ga」「イニュエンドウ」「永遠の誓い」「ブレイクスルー」「ハンマー・トゥ・フォール」などもベスト20に入れたかったです。
数多くの名曲を生んだ理由のひとつとしては、つねに新しいサウンドを追求していた彼らの姿勢が大きかった、ということが言えると思います。クイーンは、ロック史上に残るバンドとして、これからも聴き継がれていくことでしょう。
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