
がんばる教員でなければ。
いい母親でなければ。
尊敬される父親でなければ。
「こうあらねば」という強い意志をもち実行することは大切です。
しかし、「こうあらねば」に固まりすぎると、それは「とらわれ」になります。
人に温かい学校に、子どもの学力を向上させる学校に、熱心な教職員がいる学校に。
このことを目指して、実践を重ねていくことは大切です。
子どもにとっては、一生に一度だけの中学3年間ですから、教職員は当然、そのような学校づくりにいそしむのです。
ただし、なんでも融通のないのは好ましくなく、「こうあらねば」と凝り固まると、やがては無理がきます。
AI社会に対応できる子どもに。
英語を使いこなせる人に。
意欲があり、新しいことに挑戦できる人材に。
子どもの安心安全を確保する学校に。
いま求めらている学力の高い学校に。
目指すことは必要ですが、「ねばならない」と、あまりにも凝り固まると、またかたくなに押し通そうとすると、教育の受け手や当事者は悲鳴を上げ、どこかで無理がでてきます。
最近10年間ほどの、私の教職時代には、その「こうあらねば症候群」を強く感じていました。
もっと、気持ちに余裕をもち、ゆったりと学習に向かい、学校生活を楽しみ。仲間関係を広げることができるような「あそび」のある学校が、本来の学校の姿だと思う今日この頃です。
組織が「こうあらねば」にとらわれすぎると、その構成員の人はその問題点に気がつくこともなくなってしまいます。
わたしは最近、自然と接する機会が増えました。
夕陽がこんなに美しかったということにあらためて気がつきました。
「こうあらねば」という「とらわれ」から、少し離れることができました。
人はときには、ゆっくり自然界の風景や現象に接することが大切です。
都会でも朝日や夕日は眺めることができます。
ほんのひと時でも都会の喧騒(けんそう)から離れることができます。
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