
とくに小学校高学年、つまり子どもが思春期に入る頃に、クラスがうまくいかなくなる場合があります。
うまくいかないとは、担任の先生と子どもたちの関係がぎくしゃくして、簡単に言えば、子どもが先生の言うことをきかなくなる状態のことです。
このとき、担任の先生が大声で子どもをどなりつけるようになると、子どもとの関係はますます悪化します。
「ほら、こっちを向け。ダラダラするな(ボーとするな)。集中だ。ちゃんとしろ!」と、子どもに大きな声で怒鳴りつけます。
最初のうちは、子どもたちは先生の言うことをきくかもしれません。先生の方を向くでしょう。
しかし、そのうちに顔は向けているけれど、先生の話を聴いていない、つまり心は先生に向いていない状況になってきますす。
人間は怒鳴られてばかりだと、「うるさい、うっとい」という感情が先に立ち、怒鳴られれば怒鳴られるほど、イヤなことから逃げたくなります。
聞いているふりをすればいいんだと、聞き流すようになります。
そして、だんだん人の話をまじめに聞こうとしなくなってしまいます。こうして子どもたちからは素直な態度がなくなり、「ああ、また言っている」と思い、先生の存在自体も軽くなってしまいます。
このような子が増えてくると、クラスは機能不全になっていきます。いわゆる「学級崩壊」は、このようにして起こります。
高学年での学級崩壊の一因は、子どもの思春期の発達段階に対して、先生の指導がミスマッチを起こしている状態にあります。
このミスマッチは、経験を積んだベテランの先生も例外ではありません。
ですから先生は、いまの子どもの早期化する思春期の成長段階にあわせていかないと、子どもの関係はうまくいかなくなるのです。
怒鳴ることで、子どもを抑え込み、いうことをきかそうとするのは指導ではありません。
「指導」とは、子どもとおとなの人間関係(=信頼関係)があり、「この人の言うことならきいてみよう」という気持ちが子どもの中に起こり、指導者のいうことに納得させ、言動を変化させることです。
ではどのように、思春期の入り口に入った子どもたちと接していけばいいのでしょうか。
ポイントは、おとなが子どもの言動の背景にあるものを、常にみようとすることです。
とくに問題や課題を抱えた子どもの場合はなおさら必要です。
どうしてそのようなことを言うのか、なぜそのような行動をとるのか。その言動の後ろに何があるのかを見きわめようとする姿勢が求められます。
たとえば、家庭での厳しい状況・環境という背景をひきずり、悩み、苦しみ、心に大きな傷を受け、めげそうになりながらも、学校へ来ている子どもたちがいます。
この子たちにすれば、「抑えつける」だけの注意やどなり声だけの教師に対して、「どうしてわかってくれないのだ」と思い、反抗するのは当然です。
子どもに「寄り添う」とは、子どもの背景にまで目を向け、その子のことを一生懸命に思い、あたたかく見まもることでしょう。
「どうしたの?」「なにかあったの?」
そういって近づいてきて、心配してくれるおとなを子どもは、ひたすら待っているのです。
自分のことを気にかけてくれるおとなに対して、子どもは心を開きます。
学級担任とは、どの子のことも気にかけて、公平に声をかける人です。
そうでないと、いまの多様化した教育課題を抱えた子どもには、学級担任としては務まりません。
とくにおとなしい子や目立たない子は忘れられがちになりますが、少しでも声をかけることです。