リーマン・ショック後、派遣切りの嵐が吹きまくった冬、朝日新聞の歌壇
に突如現れ、驚異的なペースで選出掲載され、九ヶ月後にまたしても突然
投稿がなくなった謎の投稿歌人『公田耕一』を探し求めた三山喬さんの真摯
なルポルタージュです。普通名前とともに住所を書いて葉書で投稿するの
に、その住所の欄が毎回(ホームレス)と記されていたのだそうです。
(柔らかい時計)を持ちて焚き出しのカレーの列に二時間並ぶ
(ホームレス)公田耕一
(柔らかい時計)というのはスペインの画家ダリの絵のぐにゃっと歪んだ
時計のこと。これだけでもある程度の教養を持った人だと分かります。
パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる
温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る
哀しきは寿町と言ふ地名長者町さへ隣にはあり
美しき星空の下眠りゆくグレコの唄を聴くは幻
著者は歌に出てくる地名や、グレコなどの名前から、住処や年齢を推測し
彼に迫ろうとします。横浜のドヤ街である寿町に通いつめ、多くのホーム
レスの人々と出会い、その人々の境遇に自分の人生を重ね合わせ、心を寄
り添わせ、公田耕一にたどり着こうとしますが、ついには叶わず、結局人
それぞれの「公田耕一」がいるのだと気づくに至ります。それぞれに辿っ
てきた道はちがうけれど、深い悲しみと苦しみを背負って社会の吹き溜ま
りに集まってきた人々が大勢いいる今の日本の紛れもない現実を、抑制の
効いた筆致で描いた質のよいルポルタージュです。大部分が自分を表現す
る術を持たず闇の中に沈み込んでいる中で、たった九ヶ月ながら閃くよう
な才能を見せて姿を消した公田さん、今も歌い続けていることを願ってや
まない気持ちになりました。
我が上は語らぬ汝が上は訊かぬ梅の香に充つ夜の公園
(ホームレス)公田耕一