緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

厳冬の市ヶ谷:市ヶ谷の市街地を通り抜けてJR飯田橋駅へ PART1

2014年02月23日 20時00分00秒 | 淀橋台・新宿


陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地、防衛省本庁舎の正門前に位置する靖国通り「市ヶ谷本村町交差点」の全景です。低地に沿って伸びている靖国通りの尾通りを見下ろすように、防衛省本庁舎の高層ビルがそびえ立っています。




靖国通りが「紅葉川」と呼ばれている都市河川が造り出した渓谷地形の中を通っていて、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の敷地は、標高30メートル前後の高台の上に造成されています。




市ヶ谷駐屯地の広大な敷地を右手に眺めながら、靖国通りの歩道を散策していきます。高台南側の斜面は強固なコンクリート壁で固められています。




現在の市ヶ谷駐屯地の標高30メートル前後の高台の敷地は、江戸時代は尾張藩の徳川家の上屋敷の敷地となっていました。江戸城の西側の軍事的要衝としての機能もあったのですね。




しばらく歩くと、防衛省の巨大な通信アンテナが見えてきました。周囲に高層ビルがほとんど存在していないので、この通信アンテナの存在感は圧倒的で、東京スカイツリーや六本木ヒルズ森タワーの展望台からもこのアンテナを見通すことが出来るのです。




振り返って市ヶ谷駅方向を撮影しました。市ヶ谷駐屯地の敷地内は鬱蒼とした木々に覆われていて、都市の中の緑地帯のように見えました。




木々越しに「防衛省本庁舎A棟」の高層ビルが見えました。通常の耐震基準以上に頑丈そうな外見の高層ビルに見えますね。地上19階建ての高層ビルとなっています。




ちなみに他の徳川御三家についてですが、紀伊徳川家の上屋敷は現在の千代田区の紀尾井町にありました。現在は上智大学やグランドプリンスホテル赤坂の敷地となっています。




水戸徳川家の上屋敷は現在の小石川後楽園や東京ドーム、後楽園遊園地周辺に広がっていました。




市ヶ谷駐屯地の敷地の脇を通り抜けてしばらく歩くと、中央大学市谷キャンパスの広大な敷地と建物群が見えてきました。この界隈は山手線環状部のちょうど真ん中周辺に相当しています。




靖国通り「合羽坂(かっぱざか)交差点」から南北方向に伸びている外苑東通りを散策していきます。この界隈は新宿区の市ヶ谷中の町地区と呼ばれている市街地となっています。




警視庁第五機動隊の敷地の脇を通り抜けてしばらく歩くと、外苑東通りの拡幅工事が計画されている界隈にやってきました。この界隈は「市ヶ谷薬王寺町」地区と呼ばれている人口密集地帯となっています。




外苑東通りから東側へ向かって一直線に伸びている通りを散策して、JR飯田橋駅方向へ向かいます。




陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地や、大日本印刷市ヶ谷工場の北側に広がっている、広大な住宅密集地帯の街並みの中を東へ向かって散策してきます。




この界隈は標高30メートル前後の丘陵地帯の上に住宅密集地帯が広がっている、新宿区の市ヶ谷加賀町(いちがやかがちょう)地区と呼ばれている界隈となっています。



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