映画、『プライドと偏見』と『ディック&ジェーン』を見て参りました^^v
という訳で、今日は、『プライドと偏見』をご紹介。
これは、イギリスの女流作家、ジェーン・オースティンが書いた、恋愛小説。
大学の英文学講義では、割とよく取り上げられる作品ですよね。
日本では、新潮社から『自負と偏見』、岩波からは『高慢と偏見』という邦訳で出版されています。
映画版タイトルでは、『プライドと偏見』。
「プライド」の部分が、特に日本語に置き換わらずに、訳されましたね~。
たぶん、日本語に「プライド」に当たる、ちょうど良い言葉がないからなのかしら。
新潮では「自負」、岩波では「高慢」と訳されている、「プライド」という単語。
確かに、「自負」も「高慢」もプライドなんですよね。
ただ、良い面、悪い面の両側面的で、極端に意味は違ってきますがA^^;;
良くも悪くも、すべてを含んだ意味での「プライド」に該当する日本語の単語って・・・確かに、思い浮かびませんね。
なので、映画では、そのまま解りやすく「プライド」と訳されたのかなぁ~と、勝手に想像してみたり♪
ストーリーは、よく知られた物語。
私も、学生時代に『自負と偏見』を読んだはずなのですが、おおまかな設定や物語は覚えていても、詳細まではスッカリ忘れていましたので、映画では、とても新鮮に楽しむことが出来ました。
18世紀、イギリスののどかな田舎町が舞台。
ベネット家には、5人の娘がいて、両親は、とにかく、娘を嫁に行かせることに躍起になっています。
それもそのハズ。
当時、イギリスには、女性に相続権というものがないのです。
なので、もし、ベネット家の父親が死んだ場合、財産はすべて、遠縁の男子に行ってしまい・・・その瞬間から、母親と娘5人は、路頭に迷ってしまうのです。
そのため、なりふり構わず、とにかく娘を富豪と結婚させようと、張り切る母親。
裕福な男性を射止めようと躍起になる、娘達。
そんな時、近くの屋敷に、お金持ちの独身男性が引っ越してきます。
娘をなんとか、その富豪と結婚させようと、夢中になる母の思惑は別として、純粋な性格の長女と、その富豪の男性は、直ちに恋に落ちるのでした。
でもでも。
物語の主役は、このベネット家の次女、エリザベス。
結婚相手をなりふり構わず、探している妹達とは違って、落ち着いた性格で、文学を愛し、また、自分の意見をはっきりと口に出来、どこか達観している部分のある、当時の女性としてはめずらしいくらいの聡明な女性です。
彼女は、姉の恋人の友人、ダーシー氏の、あまりにも、高慢な態度にとても反発し、敵意すら抱きますが・・・・。
でも、実は本当は、ダーシー氏のことを愛し始めていたのですね。
それなのに、本当の気持ちに気がつけない、エリザベス。
なぜなら、
「ダーシー氏は、金持ち独特の高慢さを持っていて、自分たちのような庶民には差別的な態度を取っている」
と思いこんでいたから。
でも、実は、差別をしていたのは、ダーシー氏ではなくて、エリザベスの方。
彼はお金持ちだから・・・・と、どうも、彼のことに対して偏見を持っていたようでした。
また、一方、ダーシー氏の方も、聡明なエリザベスに恋をしているのに、プライドが邪魔をして、「愛している」と素直に言えず・・・。
そして、そんな二人に、色々な人間関係要素が混ざり込み、どんどん、すれ違っていくのでした。
最初、私は、この映画を、ヒロインのキーラ・ナイトレイ見たさに、鑑賞したんですよね。(キーラだいすき♪)
でも、映画として、期待していた以上の素晴らしい出来で、心から感動いたしました。
まず、当時のイギリスを、とても綺麗に映し出している、オール・ロケでのシーン、シーン。まるで、絵画を見るような、美しい風景でした。
そして、クラシック調のピアノの旋律に乗せて、流れる音楽。
当時の男性の在り方、女性の在り方・・・。ファッションから調度品、ちょっとした儀礼に関してまで、とても緻密に描かれていました。
そして、恋する気持ちの描かれ方。
とにも、かくにも、「恋する気持ち」というのは、どれほどの時を隔てても、同じ物なのかも知れないなぁと、18世紀の男女の恋愛模様を見て、思いました。
現代においても、素直に「好き」と言えず、すれ違ってしまう、男女はいっぱい居ますものね^^v
ただ、結婚観に関しては、やはり、現代とは随分違っているかなぁと。
やはり、当時は、女性に相続権が無かったので、女性が一生、お金に困らず生きていける恥ずかしくないお仕事は「結婚」だったそうです。
現代の私たちから見れば、物語の中の、娘を結婚させようとなりふり構わず振る舞う母親や、なんとか、裕福な男性を射止めようと躍起になる、ベネット家の妹たちは、時として、下品にすら見えてしまいます。
一方、「愛のない結婚は出来ない」と、毅然としているヒロインのエリザベスは、とても現代的・・・というか、現代の私たちから見れば、ほとんど誰もが抱く普通の結婚観を言っているはずですのに、当時からすれば、本当に彼女は異端中の異端なんですよね。
「路頭に迷わないための結婚」・・・けれども、当時の女性の置かれていた地位や立場、法律的なバックグランドを考えると、哀しいですが、それも、とても納得がいくことになるのですよね・・・。
文学を紐解くと歴史が伺える・・・というか、単に、男女の恋愛・結婚物語として楽しめるだけではなく、当時の女性がどんな立場にあったのか・・・女性学や女性史的な観点から見ても、とてもおもしろい映画だと思いました。
そして、何よりもやっぱり、エリザベス&ダーシー氏のすれ違いながらも葛藤する恋愛物語が良いんですよぉぉぉぉ(*><*)(ラブストーリーは大好きな私^^v)
因みに、映画化にもなった『ブリジット・ジョーンズの日記』。
これは、ジェーン・オースティンの大ファンという作者が、「現代版・自負と偏見」という形で書いた小説なんですよね~。
確かに、ヒロインのブリジットとその恋人は、偏見とプライドのせいでさんざん誤解を重ねていきますし、また、恋人役が「ダーシー」という名前なのも、気になりますよね。
現代版に置き換わっていても、物語の細かい出来事も似ていますし。
そういう意味では、この「自負と偏見」という物語は、現代にも通用する人間模様、男女関係を描いているのかも知れないなぁと思ってみたり♪
という訳で、今日は、『プライドと偏見』をご紹介。
これは、イギリスの女流作家、ジェーン・オースティンが書いた、恋愛小説。
大学の英文学講義では、割とよく取り上げられる作品ですよね。
日本では、新潮社から『自負と偏見』、岩波からは『高慢と偏見』という邦訳で出版されています。
映画版タイトルでは、『プライドと偏見』。
「プライド」の部分が、特に日本語に置き換わらずに、訳されましたね~。
たぶん、日本語に「プライド」に当たる、ちょうど良い言葉がないからなのかしら。
新潮では「自負」、岩波では「高慢」と訳されている、「プライド」という単語。
確かに、「自負」も「高慢」もプライドなんですよね。
ただ、良い面、悪い面の両側面的で、極端に意味は違ってきますがA^^;;
良くも悪くも、すべてを含んだ意味での「プライド」に該当する日本語の単語って・・・確かに、思い浮かびませんね。
なので、映画では、そのまま解りやすく「プライド」と訳されたのかなぁ~と、勝手に想像してみたり♪
ストーリーは、よく知られた物語。
私も、学生時代に『自負と偏見』を読んだはずなのですが、おおまかな設定や物語は覚えていても、詳細まではスッカリ忘れていましたので、映画では、とても新鮮に楽しむことが出来ました。
18世紀、イギリスののどかな田舎町が舞台。
ベネット家には、5人の娘がいて、両親は、とにかく、娘を嫁に行かせることに躍起になっています。
それもそのハズ。
当時、イギリスには、女性に相続権というものがないのです。
なので、もし、ベネット家の父親が死んだ場合、財産はすべて、遠縁の男子に行ってしまい・・・その瞬間から、母親と娘5人は、路頭に迷ってしまうのです。
そのため、なりふり構わず、とにかく娘を富豪と結婚させようと、張り切る母親。
裕福な男性を射止めようと躍起になる、娘達。
そんな時、近くの屋敷に、お金持ちの独身男性が引っ越してきます。
娘をなんとか、その富豪と結婚させようと、夢中になる母の思惑は別として、純粋な性格の長女と、その富豪の男性は、直ちに恋に落ちるのでした。
でもでも。
物語の主役は、このベネット家の次女、エリザベス。
結婚相手をなりふり構わず、探している妹達とは違って、落ち着いた性格で、文学を愛し、また、自分の意見をはっきりと口に出来、どこか達観している部分のある、当時の女性としてはめずらしいくらいの聡明な女性です。
彼女は、姉の恋人の友人、ダーシー氏の、あまりにも、高慢な態度にとても反発し、敵意すら抱きますが・・・・。
でも、実は本当は、ダーシー氏のことを愛し始めていたのですね。
それなのに、本当の気持ちに気がつけない、エリザベス。
なぜなら、
「ダーシー氏は、金持ち独特の高慢さを持っていて、自分たちのような庶民には差別的な態度を取っている」
と思いこんでいたから。
でも、実は、差別をしていたのは、ダーシー氏ではなくて、エリザベスの方。
彼はお金持ちだから・・・・と、どうも、彼のことに対して偏見を持っていたようでした。
また、一方、ダーシー氏の方も、聡明なエリザベスに恋をしているのに、プライドが邪魔をして、「愛している」と素直に言えず・・・。
そして、そんな二人に、色々な人間関係要素が混ざり込み、どんどん、すれ違っていくのでした。
最初、私は、この映画を、ヒロインのキーラ・ナイトレイ見たさに、鑑賞したんですよね。(キーラだいすき♪)
でも、映画として、期待していた以上の素晴らしい出来で、心から感動いたしました。
まず、当時のイギリスを、とても綺麗に映し出している、オール・ロケでのシーン、シーン。まるで、絵画を見るような、美しい風景でした。
そして、クラシック調のピアノの旋律に乗せて、流れる音楽。
当時の男性の在り方、女性の在り方・・・。ファッションから調度品、ちょっとした儀礼に関してまで、とても緻密に描かれていました。
そして、恋する気持ちの描かれ方。
とにも、かくにも、「恋する気持ち」というのは、どれほどの時を隔てても、同じ物なのかも知れないなぁと、18世紀の男女の恋愛模様を見て、思いました。
現代においても、素直に「好き」と言えず、すれ違ってしまう、男女はいっぱい居ますものね^^v
ただ、結婚観に関しては、やはり、現代とは随分違っているかなぁと。
やはり、当時は、女性に相続権が無かったので、女性が一生、お金に困らず生きていける恥ずかしくないお仕事は「結婚」だったそうです。
現代の私たちから見れば、物語の中の、娘を結婚させようとなりふり構わず振る舞う母親や、なんとか、裕福な男性を射止めようと躍起になる、ベネット家の妹たちは、時として、下品にすら見えてしまいます。
一方、「愛のない結婚は出来ない」と、毅然としているヒロインのエリザベスは、とても現代的・・・というか、現代の私たちから見れば、ほとんど誰もが抱く普通の結婚観を言っているはずですのに、当時からすれば、本当に彼女は異端中の異端なんですよね。
「路頭に迷わないための結婚」・・・けれども、当時の女性の置かれていた地位や立場、法律的なバックグランドを考えると、哀しいですが、それも、とても納得がいくことになるのですよね・・・。
文学を紐解くと歴史が伺える・・・というか、単に、男女の恋愛・結婚物語として楽しめるだけではなく、当時の女性がどんな立場にあったのか・・・女性学や女性史的な観点から見ても、とてもおもしろい映画だと思いました。
そして、何よりもやっぱり、エリザベス&ダーシー氏のすれ違いながらも葛藤する恋愛物語が良いんですよぉぉぉぉ(*><*)(ラブストーリーは大好きな私^^v)
因みに、映画化にもなった『ブリジット・ジョーンズの日記』。
これは、ジェーン・オースティンの大ファンという作者が、「現代版・自負と偏見」という形で書いた小説なんですよね~。
確かに、ヒロインのブリジットとその恋人は、偏見とプライドのせいでさんざん誤解を重ねていきますし、また、恋人役が「ダーシー」という名前なのも、気になりますよね。
現代版に置き換わっていても、物語の細かい出来事も似ていますし。
そういう意味では、この「自負と偏見」という物語は、現代にも通用する人間模様、男女関係を描いているのかも知れないなぁと思ってみたり♪