懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

昭和の古い町並み写真展 「通り」 その10  倉敷市阿知

2012年03月15日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 「通り」 その10  倉敷市阿知

倉敷の古い旅館、奈良萬の細い路地で撮影していた。
乳母車を押した祖母と孫が通りかかった。
こんな乳母車は見かけなくなった、こんな大きな乳母車は団地住まいでは置き場がない。
折り畳めないので車にも乗らない。
今、こんな乳母車が残っているのは保育所である。乳幼児を五人程乗せて運んでいるのを見る。
乳母という言葉も死語になった。
昔は高貴な人は子に乳を飲ませず乳母にやらせた。
天皇家も美智子妃殿下の時代になりこの悪しき慣習は廃止された。
春日の局は三代将軍、家光の乳母であったと言われている。(見たわけでもないのでないので怪しい事は言えないが)
乳母車は子守役が乗せた車というところからきているのか

減殺はベビーカーと呼ばれているがこれは和製英語でイギリスでbaby carというと小型自動車をさすのだそうだ。アメリカではベビーカーの事はbaby carrigeと言われているそうだ。
折り畳みのベビーカーがアメリカで売り出されたのが1967年だそうだ。昭和40年後半には折り畳みのベビーカーが普及していた。

まだ倉敷の美観地区に観光客は少なかった。観光客は写真に撮りたくない。地元に暮らす人でないと風景に溶け込まない。

美観地区を廃品回収の段ボールを押す老人