宗谷本線 芦川駅 2001年7月1日駅が人口減少で廃止された。
芦川駅はサロベツ原野にあり開拓農家が明治以降入植したが厳しい気象状況、作物も米は作れず離村する人が増え、1986年に駅は無人化され住む人も少なくなり乗降客もおらず駅が廃止された。
私が宗谷本線で稚内から旭川に移動する途中、芦川駅の駅員さんを撮影した。
何か映画のポッポ屋のワンシーンのようでもある。
各駅で駅の風景を撮影しておくと今となると面白かったと思うが冬は停車時間でレンズの曇りがとれず撮影は難しい。
それと貧乏撮影旅行のため車内泊が多く睡眠不足で移動中はひたすら寝ていた。
ここまで北辺にくると米は作れない。旭川周辺は広い水田が広がっている。
どの農家も十町歩から二十町歩の広さである。米の北限は遠別と言われている。
芦川駅より50kmほど南であろうか
芦川駅の次の抜海駅は宗谷本線の蒸気機関車の撮影場所だった。天気が良ければ利尻富士を入れて撮影できる。
抜海駅は最北の無人駅で夏場、自分探しの旅で若者がこの駅に降りる。
「何もないからよい」の言葉に若者は駅に降り時間をつぶす。
ニートの若者、仕事のない若者、みんなの思いを書いた旅ノートに自分を探そうとしている。
2010年8月26日に放送されたNHKにっぽん紀行を見ながら宗谷本線に乗った頃の私と同じと思った。
若い頃は自信が持てず詰らない事でくよくよしている。
北海道の冬の旅を通して厳寒の地で逞しく生きる人々を見て私も逞しく生きようと思ったものだ。