懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

昭和の古い町並み写真展 その14 「路地」 岡山県早島町

2012年03月30日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その14 「路地」 岡山県早島町

早島町の小学生の通学路に土塀があった。早島の裏の通りに行くと土塀で囲まれた屋敷があった。
表の通りは板塀が多かった。
土塀で囲まれた屋敷もすくなくなった。

板の型枠に土を入れ打ち固めたのを築地塀(ついじべい)という。
上部に軒瓦を乗せているのが多い。
土を打ち固めたものだけに長雨に弱い、田舎の粗末な築地塀は下の方から崩れているのをよく眼にした。
崩落を防ぐために排水溝を付けるか下段を石垣にする。
もうひとつ崩落を防ぐのに練塀がある。練塀は古瓦を積み上げ隙間に土を打ち固めたものです。
セメントが手に入らない時代は古瓦の再利用を兼ね近場にある材料で塀を作ったのでしょう。

この土壁は釘などの硬い物でひっかくと傷となる。
子供の落書き場所になっている。京都の世界遺産の寺院の土塀に落書きがされて問題になった事がある。早島町の人の住んでいない屋敷の土塀に二重丸に縦線の日本人だけに分かるマークが描かれていた。男の子は面白がってこんな落書きをしたものだ。

斐川平野には築地松というのがある。斐伊川の氾濫で度々、水没するので家の周りを土の土手築地で囲っていた。そこに防風のため雑木を植えていた。明治以降、農家も松を植えて防風林とした。