故郷の徳島の畑に柿とりに帰る。
家内の持っている畑に柿の木が二本ある。
高速道路代とガソリン代を考えると柿を取って帰っても割が合わない。
年寄りにはそんなにいらないので買った方が安い。家内には土地に愛着があり柿が鳥の餌になるのが気にくわぬ様子だ。
甘い物を摂りすぎて血糖値が上がるのも怖い。
しかし孫はいくら甘い物を食べてもエネルギーが足りず腹減ったが口癖た。
私が付いて行っても役に立たないが渋柿を吊るせるように枝き切りを手伝だった。
結局は渋柿はダンボール4箱と甘柿100個取って帰る。
ジジババも孫のためにがんばっているのだ。
私など車椅子生活で孫と遊んでもやれないし金を出すのは家内だし影の薄いジィサンがいたなあくらいの記憶にしか残っていないだろう。
墓参りをして徳島に住む姪から徳島ラーメンの美味しいところを聞いていたので立ち寄る。徳島市鮎喰町の名東軒(みょうどうけん)
余りの人気店では車椅子では迷惑が掛かる。段差のある店には入れない。
最近は身障者もくるので段差はないようにしている。
徳島のラーメンは黒い汁.黄色い汁.白い汁の三通りがあるそうだ。
行った店は黒い汁系だった。ラーメン並550円 徳島はラーメンと御飯を一緒に食べる。年寄りはラーメン並みで腹一杯 美味しかった。
私が子供の頃は支那ソバといっていた。白い白濁のスープだった。50円を持って支那ソバを一人で食べに行くのが中学の頃の楽しみだった。
私が故郷を離れて半世紀以上になる。 いつしか昔の支那ソバに代わり黒いスープの徳島ラーメンになっていた。徳島ラーメンが知られるようになったのは1999年の新横浜ラーメン博に出店してからだそうだ。
この前 チコチャンに叱られてで何でラメン―ていうかをやっていた。
諸説あるが北海道の札幌の中華料理店で中国人のいうラオミェンやラーミュエンから来ている説がある。支那ソバがその当時の呼び名であったが支那は日本の支配下の呼び名 いまでは禁止用語でもある。台湾や中国からの留学生が支那そばの言葉に嫌な顔をしたので女主人がラーメンに変えたという説が一般的か
全国にラーメンの言葉が広まったのは日清食品が発売したチキンラーメンだそうだ。昭和33年
ラーメン 餃子 辛子明太子は戦後生まれの食べ物で言葉でもある。