懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

懐かしい風景  農業用水の石橋

2012年10月21日 | 懐かしい物
撮影場所 倉敷市中庄

岡山県南部は洪積地のため農業用水がクリークのように張り巡らされている。
その農業用水に昔からの石の橋が架かっていた。
護岸もコンクリート三面張りでなく棒杭による土留めのまま
護岸が崩れ段々川幅が広くなる。ここまでの広さはいらないであろう。
棒杭の土留めの時は生態系も豊かであったと思う、ドジョウやウナギも棲みやすいし亀も棲む事ができた。蛙もダルマ蛙は足が短くジャンプが出来ず生息地を減らしている。

ある日、山陽線から見た石橋を撮影にきた。撮影に来たのは二回だけ
何のために撮影にきたのか、どう使おうとしたのか不明のまま
はっきりした目的もなくとりあえず撮っておこうと思ったのか
田圃も宅地にある程度かわるかという思いもあった。
しかし、撮影する以上は500カ所くらい撮影しないと作品にならない。
機関車を撮るにも木造駅舎を撮るにも木の半鐘を撮るにも500は撮影したい。
そんな意識もないまま撮影している。
岡山南部の干拓地をすべて回り「岡山平野の農業用水石橋」というテーマで撮影できたはずだ。










蒸気機関車  雑木林を走る

2012年10月19日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道室蘭本線 沼ノ端郊外

雑木林の間を走る蒸気機関車をむ半日待って撮影した。
平坦な路線のため煙も吐かず正面からばかり撮影するのも面白くないので雑木林の中を走る列車を撮影した。

北海道は本州と違う沼ノ端の平地に近いようなところにも白樺がある。
長野あたりでも1000メートルの高度でないと白樺は存在しない。
白樺湖も1000メートルくらいの高度がある。
長野県の野沢温泉から林道で志賀高原へ抜けた。野沢温泉スキー場の上まではブナ林である。山をどんどん登るとブナ林が白樺林にかわる。さらに登るとダケカンバの林にかわる。
志賀高原は1700メートルに近い。草津温泉の方に抜ける峠では2000メートルを超える
林はトド松林になっていた。
白樺は西日本ではほとんど見かけない。観光用に移植したものしかない。
北海道の東部の標津線(しべつせん 廃線)を走っていたらずっと線路脇に白樺林が続く、こんなところで鉄道写真を撮ったら思ったが、その後、二度と行かなかった。

白樺の樹液は甘いそうだ。早春にドリルで小さな穴を開けて管で瓶に採取する。
メイプルシップのように甘くないが早春の恵みものが飲めるそうだ。

10年ほど前のゴールデンウイークに旅行で撮影場所の近くを通った。このあたりは湿原のため水芭蕉を沢山見る事ができた。






茅葺民家 佐賀平野の茅葺民家

2012年10月18日 | 茅葺き民家
撮影場所 佐賀平野

佐賀平野に茅葺民家が点在する。
風当たりも強いと思うが防風のための屋敷林のある家は少ない。
佐賀平野といえばクリークが有名だが今は整備されて直線的な水路が多い。
田圃の中に茅葺民家があちらこちらで見える。
そんなのを一軒一軒撮影していっていると目印がないので撮影したものを再度撮影している事がある。
構造としては「くど造り」が多い。
地形が平坦で山や林が近くに無いので空の多い写真になる。
三メートルくらいの脚立の上から撮影すると違った風景になるかかも。

茅葺民家もアップダウンのある地形のほうが絵になる。日本庭園のように近景、遠景、背景が必要である。田や畑、森林や山がほしい。草原や川もあればほしい。
少し高いところから撮れば集落全体が見える。集落の中に茅葺民家がどのように存在していたのかもあとになって参考になる。
撮影しながらどんな位置から角度から撮ればいい写真が撮れるか毎回勉強である。





日本茅葺紀行 その6 福島県南会津町

2012年10月17日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 福島県南会津町

早朝に出発して南会津に着くのは夕方である。たっぷり12時間はかる。
磐越自動車道の坂下インターで降りて一般道で南会津町に入る。高速を降りて二時間は走らなくてはならない。
余談であるが坂下町というのは春日八郎の出身地で銅像もあるそうだ。人のブログを見ていたらそんな事を書いてあった。
今は中央道から東北道への連絡が出来て東北道から南会津に入った方がいいかもしれない。
南会津に行って初めて気づいた私の買った東北の地図には南会津や奥会津が載っていない。
東北は六県あり広いと言いながら酷い地図である。
仕方なく観光地図をもらい茅葺民家を探す事とした。
この頃はまだ歩けたので会津高原の高杖のホテルに泊まった。ペンションも沢山ある。
春に行ったので山菜料理が沢山でて山野草も身近に見えて楽しかった。
冬はスキー場になるため健康な人が来るのが前提になっているのでほとんどのところは階段になっている。
今の私はバリアフリーでないと泊まれない。都市部の郡山や福島、会津若松のホテルでないと難しい。今は旅館や民宿に泊まる事もなくなり食べ物に関しても地元の人との会話もなく貧相な旅行をしている。
私が南会津を訪れたのは21世紀になってからである。
仕事をしていて長期休暇を取って頻繁に会社を休める環境ではなかった。
せめて20年前にきていたら素晴らしい茅葺民家に出合えたとおもう。
南会津も急激に茅葺民家は減っているようだ。
茅葺民家の形態は寄棟のもあるが曲がり屋が多い。





懐かしい風景 石橋 玉野市秀天橋 

2012年10月16日 | 懐かしい物
撮影場所  岡山県玉野市秀天橋

玉野市に秀天橋という地名がある。
秀天橋というだけに橋があったからこんな名前がついたのだろうと思っていた。よく通る国道30号線の片側二車線の交通量の多い道路を走っていて助手席から横を見ると昔の橋が見えた。
石と木でできた昔の橋だった。この橋から秀天橋の名が付いたのかと思った。
取り壊しもせず保存している。車の通行はできないが二輪車や人の通行には使っている。
よく通っていたのに気付かなかった。

子供が網を持って川に入り遊んでいる。昔の子供姿があった。
橋の入り口に左下津井の表示がある。




蒸気機関車 日豊線延岡駅

2012年10月15日 | 蒸気機関車
撮影場所  宮崎県 日豊線延岡駅

日豊線の下り貨物、大分県と宮崎県境のきつい宗太郎峠を越えたD51重連の貨物列車が延岡に着いた。D51のナメクジと門鉄デフの重連である。

九州では峠には太郎の名前を付ける。太郎の名を付けて擬人化、愛称として呼ぶところがある。蛙まで「びき太郎」と擬人化するのが面白い。蛙を「びっき」と呼ぶところがある。
びっきに太郎をつけて「びき太郎」といったのであろう。
鹿児島本線にも三太郎峠がある。赤松太郎、佐敷太郎、津奈木太郎の三つの峠の総称である。
特急列車もDD51の重連が峠を駆け上った。私は鹿児島本線で初めてDD51の姿を見た。

ローカルな駅の昼下がりのんびりと時間が流れる。
都会の鉄道のようにひっきりなしに列車が走る光景は田舎にはない。
田舎ののんびりした光景を探してカメラで表現できないといけなかった。
今は無くなった貨車の写真も撮っておきたかった。
フィルムをケチケチ使っていた時代にはなんでも撮る事は出来なかった。40年以上経過してみるとなんでも古臭く見える。





茅葺民家 島根県雲南市の茅葺民家

2012年10月14日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県雲南市

小屋と母屋の二棟が茅葺、手前に木造の倉庫がいい味をだしている。
木の橋までそろっている。
母屋には縁側があり昔のままの姿を残している。
こんな家に出合えるのが一番うれしい。
茅を集め維持管理をするのは大変である。茅葺民家の暮らしは厳しい。
今の若い人では耐えがたい暮らしである。
守り続ける住人の方に敬服する。
島根県の出雲地方の言葉は東北の言葉に似ている。
松本清張さんの小説、砂の器で亀嵩(かめだけ)を亀田と聞き違えた。
砂の器もこの地方を舞台にしている。
地元の老人と民家の氏名を確認する時も聞き取りにくい。
千原は「つはら」に聞こえ新田「にった」も「ねった」に聞こえた。
山間地では小中学校の統合で学校が無くなっている。
こどもがいるだけで集落が明るくなる。
幸いこの地域には小学校があり学校の放送が聞こえてきた。





日本茅葺紀行 その5 大分県天瀬町

2012年10月13日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 大分県天瀬町

天瀬温泉から山に登った天瀬高原に茅葺民家はある、
大分県の日田地方は茅葺民家もあるが杉皮葺きの民家が多い。
日田地方は日田杉の産地だけに杉皮葺きが多いのかもしれない。
この杉皮葺きは雨や曇りの日は真っ黒くなりコントラストが出ずバットしない。
露出もむつかしい露出補正が必要である。
杉皮葺きは大分県に隣接している、福岡県や熊本県でも見られる。
茅葺民家は寿命が15年くらいしか持たない
一方杉皮葺きは30年から50年の耐用年数がある。

写真の家も杉皮葺きで彼岸花が咲いていた。

古い町並み 岡山市今保

2012年10月12日 | 古い町並み
撮影場所 岡山市今保

岡山市今保は岡山市の西側の住宅の建て込んだところ。
足守川と笹ケ瀬川の合流点で洪積地でもある。洪積地のため低く水路が開けている。まだ川舟を持っている家もある。昨年の台風の大雨で川から越流して水害を起こし避難勧告がでた。
そんなところに本瓦葺きの民家が残っている。
水路はコンクリートで護岸ではなく土留めに棒杭が使われている。
水門も石造りで木のドラムで水門のゲートを引き上げる
それとなぜかレンガ積みの倉庫がいくつか残っている。
岡山市の中心地に近いところにこんな風景が残っているのは嬉しいものだ。
水のある風景は気持ちが落ち着く。20年程まえのバブル期にウォーターフロントという言葉がはやったがバブルの崩壊でこの言葉も使われなくなった。










蒸気機関車 雨のプラットホーム

2012年10月11日 | 蒸気機関車
撮影場所  兵庫県姫路駅 播但線ホーム


姫路駅播但線のプラットホーム、雨が降っていた。雨のプラットホームも情緒がある。
ホームの蒸気機関車もさることながら乗降する客を見るのも時代の風俗が分かっていい。
駅のプラットホームは別れや出会いがあった。
プラットホームの付く歌謡曲に「夜のプラットホーム」がある。双葉あき子が唄っていた。
随分以前の歌である、私の年代なら辛うじて知っている曲である。
鉄道や駅を唄って歌謡曲が沢山ある。
歌謡曲は人の別れを歌詞にしたものが多い、しかも、女性が男と別れていく哀愁を唄ったものが多い。

歌謡曲になった曲を列記してみる。
1.哀愁列車 三橋美智也
2.赤いランプの終列車 春日八郎
3.ああ上野駅 井沢八郎
4.終着駅 奥村チヨ
5.私鉄沿線 野口五郎
6.池上線 西島三重子
7.駅 竹内まりや
8.悲しみ本線日本海 森昌子
9.あずさ二号 狩人
10.函館本線 山川豊

ご当地ソングもあり他にも鉄道の曲は沢山あり
歌詞の中に鉄道が入る「津軽海峡冬景色」や「なごり雪」がある。
私は女のせつなさを唄った「駅」と「池上線」が好きである。
田舎者は池上線など知らなくて池袋と上野を結ぶ地下鉄かと思った。
CDを買ったり借りたりしない私はユーチューブが大変ありがたい。
一日の始まりに好きな曲を掛ける。