懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

2016年茅葺写真展 石垣と民家 その1

2016年11月06日 | 2016茅葺写真展

撮影場所 山形県大江町

月山から酒田方面へ行くのは月山自動車道経由が走り易いし時間が短縮できる。
しかし、茅葺民家を探す旅は便利、走り易いところから脇道、細道、怖い道も走らなくてはならない、
山の中に入る前に大石田の外れの蕎麦街道の店屋で蕎麦を食べる。
以前、鶴瓶の家族に乾杯で大石田町での取材があった。高橋克美がゲストだった。蕎麦が食べたかったのに夕方三時には店を閉めるので食べそこなう。
誰もが蕎麦街道の蕎麦はどこで食べても美味ししいといっていた。
私は大江町に入る手前の蕎麦屋で食べた。店には段差があり入れないので駐車場の片隅にビールのケースを並べて家内と食べた。

大江町の細い道を入り小さな集落に着いた。4軒茅葺民家が残る。以前来たときは県道を通り月山に抜けた。あの時は途中にも茅葺があったが姿を消している。

丸い河原の石を集めて石垣にしている。かなりの数を集めている。
丸い石は石垣としては築きにくい。接地部が少ないのでセメントで隙間を埋める必要がある。
今の時代ならばコンクリートで防護壁を作った方がやりやすい。
しかし、写真撮影には丸石が断然よい。




茅葺民家  新潟県旧大島村の民家

2016年11月05日 | 茅葺き民家
大島村は現在、上越市だ。松之山に向かってどんどん山の中に入る、
冬は雪が多いのだろう。壁は板張りで建物が高い。梯子を掛けてある。
大島村のすべての道を走るため何度か訪れた。
訪れるたびに茅葺は減った。
初めて行ったときは昔の風景や民家が残り感動ものだった。
農業は棚田での稲作だ。日本三大棚田地域のひとつでもある。

棚田の写真を撮るためにアマチュアカメラマンが早朝におとずれる。
昼間はそんなカメラマンには出会わないが草が踏み倒され歩いたあとがあるので人がきたのがわかる。
私が新潟県を訪れたのは21世紀に入ってだ。10年遅かったと思う。
仕事をしながらの撮影で致し方ない。
定年後にゆっくり撮影を計画しても茅葺が撮れるほど残っていなかったと思う。




干し柿

2016年11月04日 | 日記

「干し柿を眺める景色もあと幾度」来年も干し柿がみられるものか

今年も干し柿を干すシーズンが来た。
温かい日々が続き今年の干し柿はカビがはえるのではと心配をしてたが気温が下がり北風が吹き干し柿日和になった。
10年ほど前に11月になり雨や温かい日で全部カビが生えて駄目にしたことがある。

カロ―が高く糖もあり私は余り食べらられないが柿を干す風景は眺めても嬉しくなる。
今年もうちの庭と畑に400個なった。
畑の柿は義父が植えてくれた愛宕柿、うちの柿は甘柿の食べた種から芽がでたもの。
渋柿で種ばかりで小さいボロ柿だ。接ぎ木をしようと思ったが大きくなり実を付け始めて放置していた。実を付けるのに12年かかった。
最初は熟して鳥の餌になっていた。
100個以上なりだしたら鳥に食べられる前に収獲して菓子箱に入れて熟れるまで置いていた。熟れた物を一個づつ私が食べていた。
それを家内が見て食べた。こんなおいしいのを鳥に食べさせることはないと干し柿にした。
貧相な野柿を干し柿にするのは恥ずかしい気がした。貧相だが甘く捨てがたい。

茅葺民家を撮りに行くとほとんどの家に柿の木はある。
愛宕柿の大きな実を木の箱に並べている家があった。カラスやツグミに食べられるので赤く色づくと取って縁側にならべてある。毎日熟したのを食べるという。私にも大きなのを一個くれた。種がなく食べやすい。

息子と孫が来て柿は収穫してくれる。
社宅住まいの息子の家にも沢山干し柿を干してある。となりの人も柿を干し始めたそうだ。
子供の頃からなんでも体験するのが必要だ。
孫は動きまわるので干し柿をいくら食べてもエネルギーが足りることはない。
昔からの干し柿のような物をおいしそうに食べてくれるのが嬉しい。
親から子にまた孫に生活の習慣を受け継がれるのはいいものだ。


日本茅葺紀行 NO,325  長野県大町市

2016年11月04日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 木崎湖の周辺

今頃、長野に行くと各地で紅葉が見られる。
高速の中央道で恵那山トンネルを抜け長野に入ると紅葉最前線に入る。
長野は観光地が多いのでどこも紅葉が美しい。我々のところのしょぼい紅葉を10回みるより長野に一回行った方がよいと家内とはなす。カラ松林が多いのも紅葉を美しくしている。
東北なども紅葉の名所をすべて回ったことはないがいいところがあるのだろう。

木崎湖の周辺に茅葺き民家があり撮影する。
茅葺民家の上に道路がある。民家のあるところは探せば道路がある。今のカメラはズームレンズなので歩けない私でも車の中から撮影できる。
道路とズームレンズとオートフォーカスが助けてくれる。
私には動く被写体は撮れないが静止している物ならばある程度撮れるのは有り難い。


千曲川


私の昭和鉄道遺産 その11 函館本線小沢駅

2016年11月03日 | 私の昭和鉄道遺産
北海道へはほとんど冬に行っていたが初めて夏場に行った。
北海道には梅雨が無いの言葉を信じて行ったが毎日曇り空。
夏場行けば撮影できる時間が沢山あるのがメリット、しかし、温かい分、蒸気や煙は期待できない。
列車を待っていたら電線の上でカッコーが鳴き始めた。
九州でも中国地方でも北へ渡る途中に高山でカッコ―の鳴くのは聞いたが平地の電線の上で鳴くのは北海道だと思った。近くで鳴くので結構大きな声だ。
綺麗な鳴き声だが何んで日本では閑古鳥が鳴くの言葉がうまれたのか
欧米にはカッコーワルツといういい曲があるのに。

倶知安機関区の9600か型蒸気機関車の二つ目が停車していた。
前照灯が二つあるので二つ目の名がついた。
ここから岩内に向けて岩内線が走っていた。
時間があったので岩内まで気動車に乗り入場券を買いにいった。
北海道の盲腸線や大赤字路線はほとんど廃止になった。
岩内線も当然廃止になった。

しかし。岩内駅やホームでの気動車の写真は一枚も撮っていない。
港でイカ釣り船を何枚か撮っている。馬鹿な時間を過ごしたものだ。
こんな行動は写真があるので今でもしっかり記憶に残っている。


2016年茅葺写真展 牛のいる風景 その3

2016年11月02日 | 2016茅葺写真展
青森県で茅葺民家を撮っている人から茅葺民家の所在を教えてもらった。
その頃、聞いてから5年は経過していた。残っているか疑問であった。
姫神山の周辺にあると聞いた、盛岡から一般道で姫神山周辺を目指す。
東北にしては道幅が狭い、雪の降る所は除雪した雪を寄せるスペースを持っているがそれが
ない。我々の住むところと同じくらいの対面すれ違いできない山間道路である。
このエリアは戦後、開拓の酪農で入植したのであろう。
今は高齢化もあり酪農の置かれた厳しい環境もあり廃業するところも多い。

廃業し壊れた民家も見掛ける。そんな中、残った茅葺民家を探す。
北上山地の風景である。山登りでもする人、以外訪れる場所ではない。
そんな中、草棟の牛小屋の前に牛が座っていた。
大声をだして牛を呼んだら立上がり駆け寄ってきた。
飼い主に叱られるので大声を出して呼ぶのは止めてと家内が言った。
人に慣れている牛は呼ぶと立ち上がり寄ってくるものだ。

東北も黒毛の牛が多い、角の短い黒毛短角牛がこの地域のブランド牛のようだ。
肥後の赤牛の名の通り熊本は赤牛である。大分は黒牛だが熊本に一歩入ったら赤牛になる。
あの徹底しているのに驚いた。しかしクマモンは黒だ。

旅行の時は図書館で横浜カセット(今はCD)文庫を借りてきて聞く。
文学作品を朗読してくれる。1000キロ近くの長距離を移動するので疲れるがこれを聞いていると随分楽になる。この時、聞いていた作品が優柔不断で自分勝手な男と女性の物語だった。朗読が終わったあとに家内がこの男と私が同じだと言い出した。
反論する理由もなかった。言われる通りだ。
いままで面白くもない茅葺民家の撮影に運転させられ付き合わされ我慢していたのが爆発したのである。

今日の撮影はもう駄目だ観光に行先を変えた。松尾八幡平の温泉、ドライブに切り替えた。
茅葺民家の撮影を24年もやっていたらトラブルも言い争いもいろいろあるわな。人生には楽しい事ばかりではない。苦しい事、トラブル失敗もすべて人生だ。


茅葺民家  広島県旧比和町の民家

2016年11月01日 | 茅葺き民家
茅葺民家の撮影を始めた頃に広島の県北に足を伸ばす。
モノクロでしか撮影していない。これから高野町に足を伸ばす。
昔ながらの田舎の風景がのこっているのに感動する。
もちろん一般道でのんびりと行った。

何かに熱中している時、人間は一番楽しい。
しかし、4年、五年とやっていると次第に感動が薄れてくる。

マンネリ化するとこんなの止めてしまおうと思う。
ここが一番我慢のしどころだ。活性化するための策をださないといけない。
人生でも夫婦生活でも工夫と我慢をしてきたと思う。
歴史でも政治が腐敗やダレてくると中興の祖という人が出てきて立て直しをはかる。

自分の趣味も人生も中興の祖になる刺激を入れながら継続していく必要がある。
どう工夫して生きてきたかが人生なのかとおもう。
人生を長くやってきた人々からこんな話を聞き出すのを趣味にするのも面白いかもしれない。

展覧会に行き趣味を継続するコツ、秘策を聞き出すのを必ずやってみよう。
人間はどうしても自分の自慢話をしたがる。
歳をとると人の話を聞かない傾向にある。あれはいけない反省だなあ。