懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺民家  兵庫県篠山市の民家

2016年11月13日 | 茅葺き民家
篠山市には何度も通った。しかし、時代と共にフィルムからデジカメに代わり四季折々の風景を撮ると何度行ってても限がない。
デジタルカメラも初期のものは画素数が小さくカードは高価であまり撮れない。
フィルムからデジカメと変わっていったが結局ケチケチ撮っていた。

今のカメラなら大きく伸ばせる。しかし、茅葺民家は随分減った。
写真の民家も二軒姿を消した。

私も今、葛藤している。引き続き茅葺民家を追い続けるかもうやめてしまうか。
金と時間を掛けて撮っても何か役に立つのか、一億総カメラマンの時代自己満足でおわりそうに思う。

今後運転する家内も高齢化する。年寄りの事故が余りにも多い。運転技術や判断力に問題がある。こんな事故を起こした老人の免許は取り消し認知や病気の酷いものは取り消しにする。
介護タクシーがあるのでそれを使えばいいと思う。
年寄りがこれからの若者や幼児を殺す。

リスクを持ちながら旅をを続けるか、いっそあっさりとやめるか。自分のボケ防止には刺激のある旅をつづけるべきだが。





日本茅葺紀行 NO,327 兵庫県神戸市淡河

2016年11月12日 | 日本茅葺紀行
神戸市淡河(おうご)は山陽自動車道の南側、高速道の淡河PAがある。
三木市に隣接している。

私が初めて行ったときは田舎の風景が残っていた。茅葺民家も10軒以上あったと思う。いまも何軒か残っている。
淡河には道の駅もありトイレ休憩も兼ねて立ち寄る。
神戸市は都会の近くでも田舎の風景が残っている。
そんな所は神社、寺院、棚田、池や小川や茅葺民家や生垣が意識的に残されている。

母屋と倉も茅葺の民家があった。陽が西に傾いていいた光線のいい時期時間にもう一度こようとおもったらトタンをかぶっていた。

この写真を見ていると郷愁って演出された風景ではなく人々が日々暮した風景に感じるように思う。




船模型、鉄道ジオラマ展に行く

2016年11月11日 | 日記
展示会場 岡山市 中国電力エネルギアプラザ

私が写真展をしたところで船の模型展と鉄道や民家のジオラマ展があったので見に行く。
今回製作した人、二名が写真好きで私の写真展にも毎回来てくれる。
ここは会場が広く無料で貸してくれるのがいい。岡山は田舎なので抽選も半分は当たる。

鉄道ジオラマにも興味があった。
船を作る人は大変根気がいる。製作するのに一年以上かかる。
図面が手に入ればよいが写真を撮影して復元するという。
私の知り合いに茅葺き民家を製作する人がいる。東北、長野に二度見に行った。
家の裏に工房を作り製作に励んでいる。
こんなことに凝るのは男が多い。オタク文化の一つか定年後の男の楽しみのひとつである。
ボトルシープの作り方の実演もしていた。

私の鉄道写真と鉄道ジオラマのコラボで展示会をしないかと投げかけられているが私はもう写真展はやりたくない。


















私の昭和鉄道遺産 その12

2016年11月11日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 福岡県田川市 後藤寺機関区

古臭い木製の機関庫である。石炭を燃やし火の粉が飛ぶのに可燃物の木製の機関庫はいまでは考えられない。今の建築法では不燃物、耐火物で造ると思う。

こんな煤で真っ黒になって黒煙防止の看板が面白い。
こんなのを撮ったところを見ると懐かしさ古めかしさを感じたのであろう。
機関区に入る事も許されずこんな昭和の遺物を撮っておいてよかった。

ここは三井炭鉱の本拠地、伊田駅の裏に炭坑節で歌われた煙突が残っている。
世界遺産にも登録されて訪れる人は増えているのであろうか

私は5年程前に世界記録遺産になった山本作兵衛さんの記録画展を田川市に見に行った。
小学校しか出ていないが炭鉱の作業を忠実に絵や文章に残している。
日本の国宝より先にユネスコが認めるだけの価値がある。
人間は学歴などで価値が決まるものでない。

筑豊地方へは40年ぶりの訪問だった。
廃坑になり町はもっと衰退しているかと思ったが家も新しなりそれなりにみんな暮らしている。日本の中で建設が盛んで生き生きしているのは都会だけである。
田舎は衰退の一途である。


親父ギャグ  その26

2016年11月10日 | オヤジギャグ
1.C級川柳「ノムハリが一言いえば記事になり」野村克也氏、張本勲氏が一言いえばネットの 記事になる時代だ。
 ハリさん喝やはわしじゃ野村克也
 ハリさん余りきつい事いうたら針(張)千本飲ます


2.この商品もう塗装がはげてしもうた。剥離多売(薄利多売)やなあ

3.よく人が辞める病院じゃのう また人が替わった、日替わり定職やなあ

4.家の孫、カーネギーホールでコンサートするって。えらいこっちゃなあ、ばあちゃん間違い、カーネギーホールとは違う。鴨を食わす湖の横のカモネギホール

5.我が家の猫の名前は車のボンネットにはいっていたのでボン 家内は猫に声を掛ける。
 朝はボンジュール、夜はボンソワール 嚙み付いた時はボンタクレ
冬場暖を求めて猫がエンジンルームに入るので乗る前にボンネットを叩くのだそうだこれを 猫バンバンというそうだ。車に猫が入らなよう荒い金網をしてほしいものだ。


6.座る椅子はどこにする。ココがいい、ココ一番(カレーチェーン店)

7.ヒマラヤ(スポーツ用具店)へ行く? ヒマナラ

8.晩秋の高い山は雨が怖い。体温奪われ低体温症で遭難する。ソウナンヤ
 東京の人はこんな言い方はしないでしようが、身近にこう答えた人がいた



2016年茅葺写真展 石垣と民家 その2

2016年11月10日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 兵庫県神戸市

昔からの大きな民家である。
恐る恐るインターホンを押して中を見せてもらう。
玄関のところに長さが一メートルくらいの歴代の当主の名の木札が掛けてある。17代までかかっていた。今が19代と言っていた。
一代が20年としても400年近く
安土桃山から江戸時代の豪族であったのかもしれない、夕方で家は斜光で絵にならず。奥さんが細い道を下れば石垣が見えるという。
家に沿い車一台の細道を下り対岸に登って茅葺をみればまるで城である。
石垣でなく山を切り開いて平地に建てた方がと思うが重機のない時代、岩を削り平地を得るのがかえって難しかったのかと思う。

民家は明治2年の建設で国の重要文化財にはならないと言っていた。
現在は神戸市の指定をうけているようだ。茅葺民家は江戸時代の民家が残っていて指定を受けるのはハードルが高い。

この石垣はいつ頃できたのであろうか400年も前からあったのであろうか
石垣は地震に弱い、震度7ではコンクリートでも基礎が悪いと厳しい。
熊本城は震度7で崩落した。二回目が致命的であったのであろう。
この家も阪神淡路の震度6の地震に遭っている。
あの活断層は淡路島から神戸の沿岸部から山の裾野、西宮方面に伸びている。
この家は六甲山の北側のため沿岸部ほどの震度はなかったか

茅葺民家  山形県川西町の民家

2016年11月09日 | 茅葺き民家
私が東北を訪れたのは21世紀に入ってから定年後になったらゆっくり回れると考えていたたが身体的な障害で一人では行けなくなった。定年後ゆっくりと回ればと思っても家が待ってくれなかったであろう。

日本の古い風景はここ5年、10年で失われている。
訪れるのなら早い方がよい。
紅葉や滝や山などは自然は保護の施策が浸透しているので今後も気候変動、自然災害などがない限り今後も維持されると思う。
一番厳しいのは集落や民家の維持であろう。
保護された地域ならば観光客も呼べるし税金も補填してくれるのである程度は維持される。

田舎の集落は過疎化、高齢化で集落の維持が難しい。
川西町玉庭はそんなに山間部ではないが最初に訪れた時に比べて民家が減った。
廃屋から撤去されるところが多くなった。
私は茅葺民家しか興味がなくそこだけしか撮らなかったが集落の存続にも目を向けて撮っておくべきだった。

写真の民家は現在見ても存在しないようにおもう。撤去されるとどこに家がどうあったのかもさがしにくいものだ。






広島カープ優勝パレード

2016年11月08日 | 日記
11月5日 土曜日に広島カープの優勝パレードの放送がNHKテレビで1時間15分にわたりあった。
中国地方はすべての県に発信されたのであろうか岡山では見えた。
広島のテレビは五局ありすべてがパレードの放送だったそうだ。
パレードは今回が二回目だそうだ。
昭和50年10月20日の初優勝パレード以来という。
ゲストは初優勝監督の古葉さんだった。

私は広島のファンでもないが初優勝や25年ぶりの優勝には感動する。
昭和50年の初優勝はスクラップブックに貼って記録している。
今回の優勝も黒田の日米200勝、新井の2000本安打の記録もあり記憶に残る優勝だった。

昭和50年10月20日は自分はどんな暮らしをしていたのであろうかとふと思った。
今は自分の暮らしの記録のライフログが盛んである。
ブログにしてもSNSにしても個人の生活記録が発信される時代である。

我々の若いころは日記に記録する程度であった。
日記だけでは書き方が下手ではイメージが湧かない。写真や映像があればより具体化してくる。
写真やスクラップブックと日記を併合する人は少なかった。
今はスマホで撮影と文章と送信、発信ができる便利なものができた。

日々起きるニュースに自分の考えを付加するのもライフログであろう。
広島の優勝パレードを見ての感想も映像とともに記録していくと歳をとった時に思い出が残る。


日本茅葺紀行 NO,326 京都市左京区花背

2016年11月08日 | 日本茅葺紀行
晩秋に京都の北部を走っていた。年老いた女性が枯れた茗荷の葉を刈り取って整理をしていた。茗荷を植えているのですかと質問したら京都は柴漬けが盛んでどの家でも漬けるので植えているという。夏の野菜のナス、キュウリ、茗荷、しょうがの塩漬けに梅酢と赤しその葉で漬ける。子供や孫にも毎年送っている。
オバアチャンの柴漬けが一番おいしいと言われれば頑張って作らないといけないと言っていた。
人間は何か頼られたり役に立てば生き甲斐にもなる。
何か一つ生き甲斐がほしいものだ。

茗荷や生姜は酢に漬けると美しくピンク色になるが赤紫蘇は酢漬けでは色素が脱色する。梅酢に漬けるときれいな赤い色素になる不思議なものだ。
私も庭に茗荷を植えている。毎年新しい場所に進出して手間はいらずの強い植物だ。
豆腐の薬味や酢の物に入れる。茗荷の天ぷらの好きな人がいて毎年あげる。
茗荷は7月と9月の二回収獲ができる。雨の多い年はよくできる。



蒸気機関車 C58型釧路川鉄橋

2016年11月07日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道根室本線 釧路川の鉄橋
朝の通勤列車や貨物列車をとる。


美川憲一のヒット曲に「釧路の夜」というのがある。

歌詞はコピーできないので一部だけ。

「おなたの冷たいその瞳

女心も知らないであなたが憎いあなたが憎い」というものだ。

私はこの写真を新婚旅行の途中で撮影した。
私が死んだら息子や孫に新婚旅行は蒸気機関車の写真撮りだったとバラされそうだ。
釧路の夜の歌詞は家内の怨念にも聞こえなくも無い。

私が死んだら夫の残した百の悪態集ができそうだ。

この歌詞の三番に幣舞橋(ぬさまいばし)はこの川の河口にある。
釧路の夜の歌碑があるそうだ。
12月の釧路、雪は多くないが寒い、このあとは釧路原野に向かう。釧網線が湿原のヘリを走っている。赤字がかさむ路線で廃止の危機にある。12月の北海道など観光地は何もない。
大きな魚市場がある毛ガニを買って釧路湿原を見渡せる山でボリボリ食った。

山に登るのにタラの芽のトゲが引っかかって痛い。北海道の原野はタラの芽食べ放題だろう。