懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

4月10日は良い父さんの日?

2019年04月11日 | 日記

介護施設で朝の挨拶伝言 今日は何年何月何日 何曜日ときく。

毎日が日曜日の人ばかりで意識しないと月日もわからない事が多い。

介護に来ているので曜日はわかつているのだ。

今日は何の日かと聞いてきた。出まかせに「よい父(とう)さんの日」といったらそんなのありません。良い戸の日で建具の日だそうだ。影の薄い父さんのためによい父さんの日があっってもいいと思う。

しかし、いい父さんと尊敬されているのは何割か私など「どうでもいい父さん」類であろう。

いい夫婦11-22の日も当てつけがましい日だ。マスコミも報道すので私には嫌味に聞こえる。

老後は曜日や日付を気にしないので何日かわからない事もある。

カレンダーやスケジュール表に予定を記入して結果を書かないと忘れる元である。

私はExcelの表をスケジュー表にして15年使用している。予定実績に出来事 ニュース 雨量 スポーツ結果 いただき話を記入する。

Excelは横はずっと広いし図形で矢印を使えるし写真も貼れるので使い勝手がいい。しかしパソコンだから定期的にバックアップを取る。

Excelだと過去の桜の開花や花見の実績や蕨採取の日もすぐにわかる。

介護タクシーの運転手とよく世間話をする。利用者のところに行っても病院に行くのも介護タクシーを頼んでいるのも忘れる人がいる。 送って行って帰りは頼みますと言ったのに別のタクシーで帰る人もいる。

スケジュール管理がちゃんとできれば頭は正常か


蒸気機関車 釧路川

2019年04月11日 | 蒸気機関車

撮影場所 北海道根室本線 釧路

釧路川に架かる鉄橋をC58型の蒸気機関車の貨物が走る。ここの線路は根室本線と釧網線が共用で走っている。

釧網線は途中から分かれ網走に向かう。

釧網線は釧路川に沿い釧路湿原の中を網走に走るが人口のめ少ない場所を走るので大赤字で存続の危機にある。

釧路と言えば美川憲一の釧路の夜のヒット曲がある。霧の釧路も歌詞に入っている。

歌詞の内容が強烈である。女の恨み節である。

女心も知らないで あなたが憎い あなたが憎い

私にはこんなに女に惚れられた事も女を弄んだ事がないので何にも言えない。

女遊びの過ぎた男はこの歌にドキと来た事であろう。

釧路の夜の三番に幣舞橋{ぬさまいばし}の歌詞がでてくるが一番河口に近い橋だ。

余談だが美川憲一と言えば北陸自動車道の旧美川町の看板に美川県一と書かれた親父ギャグ風のがある。

美川町は石川県の海岸線砂丘の町で元プロ野球選手の松井秀喜の出身地の近く

 


懐かしい物 蔵のある風景

2019年04月08日 | 懐かしい物

撮影場所 岡山県早島町

蔵の続く通り窓がなく殺風景な風景に見える。店屋ならば楽しいが蔵は面白みがない。自転車が古い。

昔は漆喰とナマコ壁の蔵が古い町には点在していた。

こんな蔵も構造部は木材である。柱に板や小舞の竹と粘土

外側は防火のために漆喰とナマコ壁で覆った。

小舞と言っても昭和の死語になっている。現代の建物は壁に断熱材を入れ小舞と土でやる家は少なくなった。

竹は冬場に刈ったものを使わないと竹食い虫が入っていてボロボロになる。

小舞は真竹を割って縦横に編み合わせていく。これを小舞を掻くという。小舞を編むとは言わない。

断熱材もウレタンが手っ取り早いが燃えると有毒ガスを発生し消火が難しい。不燃性のクラスウールの断熱材を入れるところ不正が発覚したマンションがあった。発泡ウレタンは作業が簡単で安いので防寒断熱に安易に使われた時期があった。


田舎がブーム?

2019年04月07日 | 日記

旅という雑誌がある。20年前に図書館でよく読んでいた。

それによると今後は田舎がブームになると記事に書いてあった。

その後、田舎ブームに注視していたが一向になる気配はない。

田舎の置かれた環境は日増しに厳しくなる。

過疎地から限界集落、消滅集落の言葉が聞こえ人口流出が止まらない

小学校中学校は閉校と合併か続く、増えるのは空き家ばかりである。

この20年で増えたのは海外からの旅行客である。

田舎ブームは起きない代わりにテレビ番組で田舎や過疎地を取り上げた番組が増えた。

ポツンと一軒家や秘境駅、充電させてください。人生の楽園、ローカルバスの旅など

ダーツの旅や鶴瓶の家族に乾杯はもともと田舎が舞台であった。

海外からの旅行者が増えいるなか田舎が注目される時期がくるのか都会にない田舎のよさを発掘できるかに期待したい。


茅葺民家 孫と祖父

2019年04月07日 | 茅葺き民家

撮影場所 佐賀県旧白石町

孫娘とお爺ちゃんが何か掘っている。玉ねぎの収穫か学校の宿題の課題でもさがしているのか

声を掛ける女の子は帰ってしまうのでこっそり撮る。この茅葺き民家で住んでいるのだろう。

子供の頃に茅葺民家に住んだ人は劣等感だったという。茅葺民家は貧乏人のイメージが強く瓦の屋根に住みたかった。

孫と祖父の触れ合いは爺にとっては嬉しい事だ。

私は孫が遊びまわる頃は車椅子生活だったので孫と遊んだ記憶はない。それでも月に二、三回は夕食を食べにくるので孫の成長はみられる。

孫にとっても存在感のないジジイに写るだろう。

 

 


嫁に行く、嫁にもらわれる。

2019年04月06日 | 日記

介護施設で高齢女性と若いスタッフが会話している。

高齢女性がお嫁にいっているのかと聞く、若いスタッフは-ええ-と答えて嫁にもらわれましたと答えた。

貰われるとはよく聞くがおかしいと思う。犬や猫やヤギの子供じゃあるまいし貰われるはないだろう。

嫁に行くにしても私のようなサラリーマン家庭の次男三男と結婚するのは家にたいして財産も不動産もない。

嫁にやるほどの家柄でもない。

女性もへりくだって卑下する必要はない。結婚は男女対等である。

嫁にやる嫁も貰うの言葉は男女平等をうたいながら長年浸透している女性軽視の言葉だと思う。

金を持たない者同士が結婚して子供を育て家を建て老後の資金を残して一生を終える。

子供一人に2000万円掛かるといわれている。三人も育て老後も生きられるのは夫婦の努力と節約でもある。嫁の力なしではやっていけない。

 

桜の満開の季節  宮本輝の小説の夜桜を思い出す。

神戸の海の見える高級住宅地に大きな桜のある邸宅がある。初老の女性が一人住む。

夫の浮気で離縁し財産に邸宅をもらう。しかもその後に息子を事故で亡くし悔やむ日々が続く。

寂しいので邸宅の二階を下宿で貸す張り紙をだす。

若い男性が一晩泊めてほしいとお願いにくる。

渋々返事をしたら若い女性を連れてきて泊まる事となった。

物音もせず照明も消され自殺でもされてはと不安がよぎる。

翌日話を聞くと二人は結婚したが貧乏で新婚旅行にもいけず桜の咲く時期に海の見える豪邸で泊まってみたかった。

ずっと夜桜と海を眺めていたという。電気工事で立ち寄っていたので桜の存在はしっていた。

人生に希望を失いかけていた初老の女性は若い夫婦に応援を送るとともに生きる希望が湧いてきた。


日本茅葺紀行 NO,499 桜の咲く風景

2019年04月04日 | 日本茅葺紀行

桜との茅葺民家の写真を撮るには桜の咲く時期に茅葺民家のあるところへ行かないと撮れない。

茅葺のある場所も少なくなった。京都の南丹市が桜も多いしいい。

思い立ったらたら吉日で行動することか。人間は行く途中で交通事故を起こしたら仏滅だからとか行かない屁理屈を並べて行動しない。ガソリン代も掛かり高速代も掛かるのて止めようとなる。

来年また行けばよい暇があるからいつでも行けるがいけない。来年まで生きていられる保証もない。

定年後時間があるのに行動を先伸ばしする死ぬ間際に五十の悔いを残す。

「検討に調査は入念なにもせず」

「危険予知やりすぎ今日はやめとこう」

人生は日々の小さ行動の積み重ね。


うどん屋で失敗

2019年04月04日 | 日記

うどん屋で失敗

時々いくうどん屋でぶっかけうどんを頼む。うどん本体は380円 トッピングを別皿に入れて食べようと唐辛子掛けようとキャップを取ったため唐辛子がドバッとうどんに入る。

手の感覚が悪くなり味噌汁をこぼしたり魚を落したりと度々ミスをする。

箸で唐辛子をすくおうとしたがなかなか難しい。家内にスプーンを借りてきてもらったら店の若い従業員が作り直しますと新しいうどんを作ってくれた。

私は380円のうどんを作り直してはいくらの儲けにもならない、誠に申し訳ありませんとお礼をいった。身体が満足に動かない、これから生きてゆくためには多くの人に介助してもらわないと生きられない。こんなに恥をさらしてみんなに助けられるなら死んだ方が楽とよく思う。

それでもやることが沢山残っているので死ぬわけにはいかんな。恥を重ねても生きていくしかない。

あっさりしたうどんや蕎麦が一番食べたいものになってきた。うどんは消化がよく胃にやさしい。

うどんは讃岐うどんだが打ち立てゆでたてが食べらけれると限らない。

大量に作りおきしていてうどん玉を湯で戻すところが多い。加ト吉の冷凍うどんの方が美味しいと思うところがある。香川まで高速道路を使い300円のうどんを食べに行くより近所がいい。ウィキペディアで調べると各地のうどんが紹介されている。

ぶっかけうどんは讃岐うどんが発祥かと思ったら倉敷のうどんだそうだ。讃岐は「かまたまうどん」のようだ。釜揚げうどんに生卵を落し醤油か出汁を掛ける。サッカーチームのカマタマーレの語源になっている「かまたまうどん」。

各地のうどんも食べ比べてみたい。大分のだご汁や名古屋のきしめん、伊勢うどん、山梨のホウトウは食べたが関東のうどんは食べた事がない。耳うどん、お切込みの郷土食に広幅のうどんも食べてみたい。

最近は小麦粉を使ったパンやうどん、ラーメンの消費が増えて米の消費が著しく低下している。

江戸時代に東北が冷害で10万人が餓死している。司馬遼太郎氏は街道をゆくのなかで寒さに強い麦や雑穀を植えていれば あれだけの餓死を出さなかったと書いてある。江戸時代の各藩の石高は米の生産量で評価された。米のおいしさが日本人の食生活にあったのだろう。麦は作っていたが小麦ではなく大麦だった。小麦には厚い皮があり炊いて食べるのには向いていなかった。小麦をメリケン粉にしてパンやうどんにして食べる発想はなかったのかと思う。


私の昭和鉄道遺産 そのNO,96 赤いランプの列車

2019年04月02日 | 私の昭和鉄道遺産

C級川柳  令和より昭和を探すジジひとり

令和の時代がこようとしているのに未だに昭和の写真を探し昭和の懐かしい痕跡をカメラを持ち探すジジィがいる。

 

春日八郎のヒット曲に赤いランプの終列車がある。そのテールランプや列車は写真のような客車であった。

電車でも気動車でも列車の最後部には赤いランプを点けるようになっているようだ。

先頭と最後部を識別するため後部には赤色灯を点ける。

駅員や線路工事の人は後部の赤色灯を確認して列車の通過とする。

倉敷駅の伯備線ホームで蒸気機関車が交換している。高校生が身を乗り出している。

赤いランプの終列車も哀愁列車も男女の別れの歌である。

駅や列車は男女の別れの場でもある。竹内マリアの駅やあずさ二号 池上線 なごり雪と昭和の別れの曲だった。 

 

 


優雅な桜見物

2019年04月01日 | 日記

介護施設での会話

私より10歳年上の男性と話しをていた。

80歳を過ぎているが一人暮らしで買い物程度は車を運転する。花見のシーズンになったのでどこかへ出かけるのかと聞いたら家に爺さんの植えて60年になる大きな桜が三本あるので見に行かないという。

家に大きな桜が三本とは優雅な暮らしだ。敷地もないと桜を三本も植えられないだろう。

家は山の裾野の20メートル程登ったところに自宅がある。

その山も自分の山で昔は果樹や酪農もやっていた。山なので資産価値はないという。

山の裾野だから桜の大木を植えられるのだ。平地には田畑も持っているので私のようなサラリーマンとは資産が違う。

親から資産や金を受け継いだ者と大した遺産もない親を持った者では大違いだな。

しかし昨年に奥さんも娘さんも亡くした。奥さんの死は入院も長く年齢的に覚悟はしていたが娘さんは50代で高校生の息子もいて辛かったという。

家族の死はそれ以来口にする事はなかった。介護施設で身内の死についていつまでもぐずぐずいう人はあまり話はしたくない。

自分の顔にも同じ話ばかり抹香臭い話ばかりしてと顔にでていると思う。辛くて話を聞いてもらい気持ちが晴れるのはわかるが聞かされる者は逃げたくなる。

こんな歳になると陰気な話や自慢話も聞きたくない。学歴のない者のひねくれかもしかれないが主人や子供の優秀な話は聞いても自分に何か参考になるか?。つまらんと腹が立つだけだ。

家族を亡くして辛い一人暮らしだが介護では明るく冗談をいう、みんなに後妻業で近づく女に注意と言われている。