吾唯足るを知る、竜安寺の蹲で有名な言葉だ
釈迦の言葉だと言う
ネットを見ると色んな解釈が有るがまあ一般的には欲は無限に膨らんでゆく、現在に満足をすれば心は安らぐと言う様な事だろう
欲望は求めればきりがない、それがかえって自らを苦しめる
幾ら食べても飢餓感が消えない、六道の内地獄の前にある「餓鬼界」の苦しみか、
人の欲が文明を発達させ、文明の発達が人の生活に格差を生み、餓鬼道に落ちた者たちがもがき苦しみその本質に気が付かず更に飢餓感に襲われる
僅かな餓鬼どもに唯生きるだけの生活まで搾取された者たちは生きながら地獄を彷徨う
イーロン・マスクや孫正義やドナルド・トランプや政治家や経済界の重鎮などが餓鬼道界を勝手に彷徨うのは構わないが本当に飢えた民を何とかしてもらわなければ宗旨が違うが「黙示録」の世紀が来たのかと思ってしまう
充分に「足るを知る」歳にはなった(諦めとも言うが)、
しかしもっと欲をかかなければならなかった事も多々ある、
勉強が足らない、知恵が足らない、金の足らないのは仕方ないがこっちは自分のだらしなさだ、(まあ金の足らないのも人のせいではない)
そしてこの歳になると更に足らないものが増えて来る
根気が足らんん、記憶も足らん、寛容さも足らん
(こんなこっちゃいかん)と考えてもどうしても足らん
もっとも若い頃からこっちの欲はあまり強力にあったとは言い難いが
まあ仕方ない「我唯足知」と老害自認して現役世代に迷惑を掛けない様に距離を保って逼塞して生きて行くしかないか
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