梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

努力の評価と結果評価

2015-03-09 18:00:14 | 雑記

中学校を卒業し亀戸に有った曰立製作所に臨時エとして就職した、結局学歴の無い自分の居所は見当ず辞めたのだが臨時エから正規雇用になった時正社員教育と言うのが有った、半分は組合が行っていたのだがその中に「これからは年功序列から実力評価になるだろう」と言う話しがでたのだが自分の中に何かもやもやとしたものが浮かんだ、それが表情に出たのだろう、「何か意見が有ったら言いなさい」と言われたが自分でもそれが何んで有るか解らず「いえ、有りません」と言いったのだが今考えると(実力主義で競争社会になったらなったで格差がでる、真面目にずっと勤めても置いて行かれる人も出て来る、確かに永くいるだけで給料も地位も上がって行くと言うより仕事の出来る人の地位と収入が上がるのは公平と言うものだろう、しかしその為にはセーフティーガードが必要では無いのか)と漠然と思ったのではなかったか、

今の大手企業や外資系の企業はかなり実力主義的になっている、その延長線上に非正規雇用の問題と今回の残業手当の廃止があるのだろう、日本は終身雇用制で今までやってきた、それが世界市場でマイナスに働いたと言う事でこうなったのだろうがその結果就職の幅は狭くなり多くの人達が不安定な生活に落とされている、しかしヨーロッパの一部には「終身雇用こそ21世紀の雇用形態だ」と言う意見もあるらしい、実力結果主義になじまないのは「努力が足りないから」と言うのは正確ではない、新たに会社が採用するには学歴と言う基準を設けている、当然高学歴を得るにはそれなりに努力も必要だが努力できる基盤すら無いのが今の格差社会の底辺だ、競争社会が公平だと言うなら生まれてから学業を修めるまでは公的にフォローしなければ「公平な競争」にはならない、親の責任だと言うかもしれないが子供は親を選んで生まれるわけではない、言い方は悪いが運否天賦と言う事だ、こうして格差は継続してゆく、そして更に格差は大きくなる、どんなレースもスタート時点ではリセットされて同じ条件で同じスタートラインから競争は始まる、税金はあるところから取るのが原則だ、人一人生きてゆくに掛かる金額は資産状況とは関係なく同格しか掛からない、「立って半畳、寝て一畳」と言う言葉が一時はやったが人一人が寝るだけならそんなものだ、毎日何十万円も食費が掛かるわけも無い、そんな食事は生活習慣病になるだけだ、

一生懸命働いて、いろんな知恵を駆使して大金を集めるのはその人の能力だ、その事自体悪いわけも無い、寧ろ社会を発展させる効力もある、しかしその子供達は何の努力もしていない、しかし人生レースは常に十分の準備運動や練習をしてかつコースの先の方からスタートする、レースのルールを決めるのも彼らの親たちだ、しかしこうして格差が広がれば恐らくレース自体が成り立たなくなるだろう、彼ら以外は走る気力も体力も無く、最初から競技に参加出来ないようになる、

残業廃止には実力評価が企業に対する貢献度で評価されるのなら企業外の評価基準が必要が有る