川崎の殺人事件、13歳の少年を18歳と17歳の少年が殺害したと言う事件だがこう言う事件が起きるとSNSで必ず犯人(容疑者のうちから)を投稿する事が起きる、今回も被害者が出ると直ぐ容疑者としてこのグループは写真入りでアップされた、逮捕された後はその家族に矛先は向いて画像や家族構成まで次々と上げられていた。
「親の責任だ」と言う投稿がかなりを占めている、同時に被害者の少年の親も「夕飯を食べて出かけて言ったと言うのは駄目だろう」「痣をつけられた時点で何とかしなきゃ」と言う投稿も多い、その事については私も同感だ、中学に入ったばかりの子供が深夜に遊びに0行って帰ってこない、学校に行かない、犯人の少年の処には被害者の友人達が「カミソンに暴力を振るうな」と抗議に言っているにもかかわらずそのまま放置して居た様だ、まあ言っても聞かないと言う事だろうがその結果が殺人犯だ、
しかし、SNSが加害者家族を更にエスカレートして追い詰めるのは意味が無い、犯人もその家族も此れからずっと重い罰をおって生きなければならない、自分の影を隠していてはいくら正論でもやはり「卑怯者」の誹りは免れない、正しいと思うのなら名前を名乗って堂々と発表するのが「正論」の条件だ、
今までも加害者家族を晒しものにする風潮が有ったが本当に必要な事は此れから如何にこう言う犯罪をなくすかと言う事だろう、なぜ起きた、なぜ止められなかったそれを加害者家族に向けるのではなく今子供を育てて居る普通の家族にこそ知らしめるべきだろう、
しかし学識経験者とか言う連中のしたり顔で述べる高尚なお言葉でなく今起きている事をそのまま我が子にも起きうる事と理解し行動する事が重要だろう、殺された被害者が不憫なのは言うまでも無いが親の力が及ばず被害者になった彼等も不憫な「発育不良」の子供達だ、だから許せと言う理論では無い、やった事の責任は全て誰でも負わなければならない、此れを「未だ子供だから、未来を奪ってはいけない」等と言う「学識経験者」「知識人」等と言う輩が居るがそれこそ「立ち直る機会を奪い捻子曲がったまま大人にする、或いは大人になる機会を奪う」事に他ならないだろう、「躓いたら立ち直る機会を与え」と言うなら「躓かない様に」する事の方がずっと重要だ、第一「躓いても立ち直るために」手を貸せば彼等は「躓いても良い」と言う理論にするだろう、犯罪を犯したら相応のペナルティが有る事は理解させるべきであると私は思う、
子供を持つ親は今回の様な事件は他山の石としてもう一度我が子は大丈夫か真剣に向き合って欲しい、子供を怖がってはいけない、もしそれで自分が命を落としても他人の命を奪うよりましだと言う位の覚悟を持って育てなければなるまい、子供に嫌われるのを恐れてはいけない、子供の求める事は大人になる障害になる事の方が多い、子犬にリードをつけるのは突然車の前に飛び出さない為である、子犬の自由を制限してもそれは虐待ではないリードを付けず暴力で対すればけがを負わせるし最悪死んでしまう事もある、仮に肉体的に傷を負わなくともいじけた大人になってしまうだろう、子供を一人前にするのが親が子に残す最大の遺産だろう