介護疲れによる殺人と言う記事が載った、老々介護の末、思いつめての無理心中だが相手を送った処で力尽きて通報する事も実際に自殺してしまったケースもあるらしい、
最近の半年で全国で160以上の事件が起きて居ると言う、全く悲惨な話で同情を禁じ得ない、連れあいは寝たきりで自分も食事や下の世話どころか這う様な生活を続けて居て経済的にも切羽詰まる、体が改善する事は年齢を重ねるに従ってどんどん不可能になって来る、何の望みも無ければ当然楽しみも無い、毎日、何時訪れる死を不安にそして一方で心待ちになる、(こんな苦しい生活を続けるならいっそ)と思う気持ちはちょっとしたきっかけで実行に移される、
わずかに残された社会のと接点、TVか新聞の報道で「介護疲れの・・」と言う記事を見ると言うのが自分の境遇にかさなり、(ああ、それで良いんだ)と思う、動かない体で一生懸命自分の世話をするつれあいを見て居る側も本当に苦しいだろう、殺してくれとも一緒に行こうとも何度も話しているだろう、其処にこう言う記事が出る、救われたと思うかもしれない、そして自らの人生を閉じる、こんな結果を産まれた時に誰が祖像しただろう、彼らを知っていた人達も誰が想像したか、
事件の報道は当然必要な事かも知れないがこの記事は此れからの超高齢化と格差社会の底辺に居る同じ様な境遇の人達の背中を押してしまって居ないか報道を見るたびに考える、
高齢者に廻す金を若者に廻せと言う意見も聞く、しかし彼等もやがて齢をとる、自分に置き換えて考える事が出来ないのか、確かに今の社会では若くとも希望を持てない社会ではあるが若いという財産を既に消化し、経済的に恵まれず徒ただ衰えながら死に向かうしかない社会を何とかする事が若い世代の責任で「役に立たず金が掛るから野垂れ死には仕方ない」と言いう様な考え方は余りに寂しい、現代と言う時代はこうだとすれば人間社会の将来は暗澹たるものだ、現在の政治社会は格差の上部に居る人間が耳触りのよい政策を放言しているがする事は全く逆の政財官の為にしかならない政策を進めている事こそ若い世代が何とかしなければならないのだと行動して貰いたい物だ、
悲しい報道が悲惨な事件を加速させないように願うばかりだ
最近の半年で全国で160以上の事件が起きて居ると言う、全く悲惨な話で同情を禁じ得ない、連れあいは寝たきりで自分も食事や下の世話どころか這う様な生活を続けて居て経済的にも切羽詰まる、体が改善する事は年齢を重ねるに従ってどんどん不可能になって来る、何の望みも無ければ当然楽しみも無い、毎日、何時訪れる死を不安にそして一方で心待ちになる、(こんな苦しい生活を続けるならいっそ)と思う気持ちはちょっとしたきっかけで実行に移される、
わずかに残された社会のと接点、TVか新聞の報道で「介護疲れの・・」と言う記事を見ると言うのが自分の境遇にかさなり、(ああ、それで良いんだ)と思う、動かない体で一生懸命自分の世話をするつれあいを見て居る側も本当に苦しいだろう、殺してくれとも一緒に行こうとも何度も話しているだろう、其処にこう言う記事が出る、救われたと思うかもしれない、そして自らの人生を閉じる、こんな結果を産まれた時に誰が祖像しただろう、彼らを知っていた人達も誰が想像したか、
事件の報道は当然必要な事かも知れないがこの記事は此れからの超高齢化と格差社会の底辺に居る同じ様な境遇の人達の背中を押してしまって居ないか報道を見るたびに考える、
高齢者に廻す金を若者に廻せと言う意見も聞く、しかし彼等もやがて齢をとる、自分に置き換えて考える事が出来ないのか、確かに今の社会では若くとも希望を持てない社会ではあるが若いという財産を既に消化し、経済的に恵まれず徒ただ衰えながら死に向かうしかない社会を何とかする事が若い世代の責任で「役に立たず金が掛るから野垂れ死には仕方ない」と言いう様な考え方は余りに寂しい、現代と言う時代はこうだとすれば人間社会の将来は暗澹たるものだ、現在の政治社会は格差の上部に居る人間が耳触りのよい政策を放言しているがする事は全く逆の政財官の為にしかならない政策を進めている事こそ若い世代が何とかしなければならないのだと行動して貰いたい物だ、
悲しい報道が悲惨な事件を加速させないように願うばかりだ