ハムラビ法典の話ではなくドストエフスキーの「罪と罰」の話である
戦場で銃を向けられたのも引き金を引いたのも自ら望んだ訳では無い普通の人達だ、
しかしケアセンターの彼らはその罪を背負い、自らを罰し続けている、
「命令されたから仕方なかった、殺さなければ殺された」とは言わない、「私はあの時日本人を殺した」と泣いた、
「私は貝になりたい」で徴兵され上官に命令されて捕虜を射殺しC級戦犯として死刑を求刑したGHQ(違うかもしれない)の判決にはこう言う彼らのメンタリティーにあるのかもしれない
自分が知る限りでは戦争の悲惨さや戦地の過酷さはよく見るのだが自分が射殺した事に関してはそれを罪だという話は聞かない、
兵役経験者が私たち世代に酔ってはなすのは武勇伝としてだった事の方がはるかに多かった、
当時の先輩たちにこれを責めるのは残酷だ、しかしどういう状況であれ自分は人を殺したという原罪を平和の時代を引き継いだ我々は自覚する必要はあるだろう、
我々の世代がその事を正確に理解し、咀嚼して次の世代にそれを罰として引き継ぐことこそが本当の「戦争はしてはいけない」と言う意味合いを持ち恒久的な平和を達成できるのではないのかとこの本を読んで考えた
戦場で銃を向けられたのも引き金を引いたのも自ら望んだ訳では無い普通の人達だ、
しかしケアセンターの彼らはその罪を背負い、自らを罰し続けている、
「命令されたから仕方なかった、殺さなければ殺された」とは言わない、「私はあの時日本人を殺した」と泣いた、
「私は貝になりたい」で徴兵され上官に命令されて捕虜を射殺しC級戦犯として死刑を求刑したGHQ(違うかもしれない)の判決にはこう言う彼らのメンタリティーにあるのかもしれない
自分が知る限りでは戦争の悲惨さや戦地の過酷さはよく見るのだが自分が射殺した事に関してはそれを罪だという話は聞かない、
兵役経験者が私たち世代に酔ってはなすのは武勇伝としてだった事の方がはるかに多かった、
当時の先輩たちにこれを責めるのは残酷だ、しかしどういう状況であれ自分は人を殺したという原罪を平和の時代を引き継いだ我々は自覚する必要はあるだろう、
我々の世代がその事を正確に理解し、咀嚼して次の世代にそれを罰として引き継ぐことこそが本当の「戦争はしてはいけない」と言う意味合いを持ち恒久的な平和を達成できるのではないのかとこの本を読んで考えた