梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

蝉の声

2020-08-04 15:34:58 | 昭和の頃
やっと梅雨が空けて雨空が消えた途端一斉にセミが鳴き始めた

東京はアブラゼミでミ~ン ミ~ンでこっちに来て既に50年を超えたのでおなじみになったが生まれた静岡はクマゼミでシャン、シャン、シャンと鳴く、

子供頃の記憶には景色として青空に入道雲、開け放した部屋から聞くセミの声と宿題だがそのセミ声がいつの間にか「ミ~ン、ミン」になっていた

実際聞いていたのはクマゼミの筈で静岡ではアブラゼミはいなかったはずなんだが記憶の画面ではアブラゼミになっている

夏休みの宿題は毎年「初めに全部終わらせてゆっくり」楽しむつもりではあったが成功したことは一回もなかった、

近くの川で唇が紫になるまで泳ぎ、裏表が解らないくらい焼いて畑からトマトや甜瓜や胡瓜を採ってまるかじりして開け放した畳の上で只管寝る、

河原ではアブに喰われ、家で昼寝していれば蚊に喰われるが物ともせずに寝続ける

風が気持ちよく汗が畳に形を作っても只管寝た 、目が覚めれば夕飯である

おかずなんか殆どない、昼のおやつと同じでトマト、胡瓜、茄子の味噌汁と運よく行商が来れば味噌漬けの鯖か秋刀魚の開き干しの焼いた奴、

それでも麦飯を数杯流し込んで蚊帳に潜り込めばすぐ寝てしまう

テレビどころかラジオも無かった時代、それでも退屈どころか時間は幾らあっても足らなかった気がする

何しろ、宿題する時間なんかどうやったって出て来ない位時間は足らなかった、

雨戸どころか障子まで外して開けっ放しの八畳間に蚊帳をつって寝ているのだから裸電球を消したら外が良く見える、

川を挟んで向かい側の山の稜線に切り取られた空に星が一杯見える、

カジカの笛の様な声が聞こえたり、食用蛙の牛の様な声が聞こえたり、親父が「うるせえ!」という位殿様蛙が鳴き続けたり、ゴイサギの不気味な声が響いたり田舎の夏は結構賑やかなのだ、

もしかしたらゴイサギは季節が違ったかもしれないがまあ記憶なんかそんなもの、 何しろいる訳の無いアブラゼミが鳴いているくらいだからな

夏休みの終えるころになるとセミは日暮に変わってくる、夕方はだんだん涼しい風に変わって来るのだがやはり泳ぎ続ける、やはり宿題はやらない、

後三日位になって大騒ぎで片付けるのだが片付いた事はなかった、

あの頃雑貨屋では必ず「昆虫採集セット」と言う奴を売っていたり小学校何年生と言う雑誌の付録についてきた、

宿題の自由研究と言うのは「朝顔の成長絵日記」か「昆虫採集」が多かったがあのセットの中の注射器と薬液は何だったんだろう、

「腐敗防止」のような事を書いてあった気がするが大体昆虫は腐敗する事はない、 ボール紙の箱の中に虫ピンで止めて作るのだが季節がらセミ以外は殆どいない、蝶は春だしトンボもバッタもイナゴも秋である、

一体何をそろえたのか覚えていない、どころか完成した記憶もない、

あっという間に過ぎた子供時代だが今考えても濃密な記憶の時代だった、 貧乏だったが決して不幸ではない、夢中に生きる事が出来た貴重な時代、今の子供達には想像も出来ないだろうがそれなりに輝いていた記憶の話である