梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

戦争ではないのに「罪と罰」は

2020-08-18 16:42:48 | 雑記
戦争の歌が聞こえる」から見えたアメリカ人が持つ「加害者」としての傷跡にそのメンタルに感銘したのだが実際の所彼らは少数でかつ異端なのかもしれないという面も否めない
今アメリカ全土で警官の黒人に対する暴行殺害に多くのアメリカ人それも白人も含めて広がっている「Black Lives Matter」と言う運動を見ると多くのアメリカ人の持っているメンタリティーは「加害者」として同胞に訴えて広がっている運動かもしれないが一方で南部のアーカンソーなどではこのプラカードを持って道路に立っていると通り過ぎる車のほとんどから罵詈雑言が浴びせられ中指を突き出されている
中には危険を感じるような場面もあったがそれが録画されていると気が付いて事なきを得ているが録画に向かって「“Nワード“に人権?何を馬鹿な事を言ってるんだ!」と平気で声高に叫んでいる、
恐らく彼等、黒人を射殺した白人たちは「私は彼を殺した!」と言って泣くことはないだろう、
日常における「罪と罰」は自分の行いに罪を覚えない限りその罰は負わない、
日本人が特にと言う事ではないのだろう、ある一定の割合でこう言う人たちは存在するのだろう、
人種偏見、白人至上主義者あるいはナチスの様に民族浄化を本当に行う連中は恐らく日本人にはいないだろう、
しかし相模原やまゆり学園の犯人は全くこれと同じようなことを本気で思っている様だ、
しかしこれは本当に稀有な事件で日本で民族憎悪と言えばいわゆる「嫌韓・嫌中」だろう、
が「出ていけ!」と言う輩はいても「殺しても何が問題なんだ」と言うことも行う事も無いだろう、
戦争でない状況では人を殺すという事はやはり許されざる事でそれは恐らく自分の中で「罰」としての凝り続けるだろうしそうあって貰いたい
3歳の子供を2週間も放置して餓死させるという事件があった、その前には躾と称して衰弱死させた事件もあった
この犯人の心に重い罰がずっしりと圧し掛かってこそ「罪と罰」なのだが
今自分がしている相手が自分だったらと言う事を思う、それが群れを維持する最低限の常識コモンになるセンスなのだ
親が子に伝えなければならない最初で最大の教育以前の問題なのだろう