プライドを辞書で引くと「自尊心・矜持」と「思い上がり」が出てくる、
俗に「プライドの高い奴」と言う言い方はあまり良い評価とは言えないから「思い上がりの勘違い野郎」と言ったニュアンスが強くあるのだろう、
これは英語のプライドが持つ意味合いだが日本語の「自尊心」と言う意味は少し違う気がする、
プライドが傷つけられたと言う輩が居る「他人が自分を傷つけた」と言う様な言い方だが自尊心と言う言葉は元来「自らを律する」という意味合いで他人が傷つけたと言う意味は含まない、
あくまで自分の生き方が傷つくのは自らを恥じると言う事でありそれを他人に気づかされても「プライドを踏みにじった」と言う様な発想は無い、
生き方のポリシーは人それぞれだがやはりこう生きる、と言う方向性は自らとらえておくべきだし、意識しないとしても必ず生活する中での基準の様なものは各々持っている筈だ、
状況によってあるいは立場によって毎回いう事が違う、出す答えが違う、行き当たりばったりだったり、楽な方向だったりと言う者達は本当に「プライドはあるのか」と言う
この時のプライドはそれこそ「自尊心・矜持」と言う意味で決して「思い上がり」ではない、
拙いブログの中で「大友柳太郎の自殺と認知症」と言う記事がよく見てもらっている、
この生き方と閉じ方こそ「プライド」であり「自尊心」なんだろうと思う言う思いで書いた、
時々正気に戻ると自分でも信じられない様な行動をしてしまっている、
このまま正気の時がどんどん減ってしまい自分が自分でなくなってしまう、しかし間違いなくそこにいるのは自分だ、
それこそ「自尊心」として、プライドを保つために自らの「大友柳太郎」の生涯を閉じた、
又、先般元農水事務次官が我が子を殺して自首した、それは俗にいうプライドとは一線を画すんだろうがこれもやはり「矜持」と言う事なのだろう、
我が子が他人を害するかもしれない、それは産み育てた自らの責任だ、これ以上そのままには出来ない、その為自ら殺害し自首をした
その後自殺してもおかしくないが毅然と顔を上げて司法に身をゆだねた、それは思い上がりなんかではなく彼の矜持だったのではないかと思う
政財官の連中の生き方にその矜持があるのか、いや現在社会において殆どの人達はこの「プライド・自尊心」が有るのか、
日本は「恥の文化」と言われたのは何年前か、最もその出典である「葉隠れ」は武士の生き方の話、民百姓はそんなものは薬にしたくとも持っていなかったのかもしれない、
しかし江戸時代の庶民を見てみると「気っ風と瘦せ我慢」の文化が有った
粋と意気で暮らしていたと言う時代は文明開化とともに消えてしまって最近はその腐敗は目に余る
俗に「プライドの高い奴」と言う言い方はあまり良い評価とは言えないから「思い上がりの勘違い野郎」と言ったニュアンスが強くあるのだろう、
これは英語のプライドが持つ意味合いだが日本語の「自尊心」と言う意味は少し違う気がする、
プライドが傷つけられたと言う輩が居る「他人が自分を傷つけた」と言う様な言い方だが自尊心と言う言葉は元来「自らを律する」という意味合いで他人が傷つけたと言う意味は含まない、
あくまで自分の生き方が傷つくのは自らを恥じると言う事でありそれを他人に気づかされても「プライドを踏みにじった」と言う様な発想は無い、
生き方のポリシーは人それぞれだがやはりこう生きる、と言う方向性は自らとらえておくべきだし、意識しないとしても必ず生活する中での基準の様なものは各々持っている筈だ、
状況によってあるいは立場によって毎回いう事が違う、出す答えが違う、行き当たりばったりだったり、楽な方向だったりと言う者達は本当に「プライドはあるのか」と言う
この時のプライドはそれこそ「自尊心・矜持」と言う意味で決して「思い上がり」ではない、
拙いブログの中で「大友柳太郎の自殺と認知症」と言う記事がよく見てもらっている、
この生き方と閉じ方こそ「プライド」であり「自尊心」なんだろうと思う言う思いで書いた、
時々正気に戻ると自分でも信じられない様な行動をしてしまっている、
このまま正気の時がどんどん減ってしまい自分が自分でなくなってしまう、しかし間違いなくそこにいるのは自分だ、
それこそ「自尊心」として、プライドを保つために自らの「大友柳太郎」の生涯を閉じた、
又、先般元農水事務次官が我が子を殺して自首した、それは俗にいうプライドとは一線を画すんだろうがこれもやはり「矜持」と言う事なのだろう、
我が子が他人を害するかもしれない、それは産み育てた自らの責任だ、これ以上そのままには出来ない、その為自ら殺害し自首をした
その後自殺してもおかしくないが毅然と顔を上げて司法に身をゆだねた、それは思い上がりなんかではなく彼の矜持だったのではないかと思う
政財官の連中の生き方にその矜持があるのか、いや現在社会において殆どの人達はこの「プライド・自尊心」が有るのか、
日本は「恥の文化」と言われたのは何年前か、最もその出典である「葉隠れ」は武士の生き方の話、民百姓はそんなものは薬にしたくとも持っていなかったのかもしれない、
しかし江戸時代の庶民を見てみると「気っ風と瘦せ我慢」の文化が有った
粋と意気で暮らしていたと言う時代は文明開化とともに消えてしまって最近はその腐敗は目に余る
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます