梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

なるようになるさ、なるようにしかならんとも言うが

2022-11-27 14:49:48 | 昭和の頃



あの頃自分は何になりたかったんだろう?
多分何にも考えていなかったな、「今を暮らすのに精いっぱいだった」と言えば格好いいのだがまあ本当に何にも考えていなかったな
だから「なれたのか?」と自分に問い合わせても(まあ、こんなもんだろう)としか答えようがない
あの頃から”あゝなりたい“のではなく”あゝはなりたくない“と言うのが望みだった
中学を卒業し臨時工として日立製作所に入り、17歳で正社員になって21歳で退職し色んなことをやって来た、
何しろ中卒の職工だからそれ以上悪くなるのはかえって難しい、普通に働けたら今までより良くなるのだ、時代は高度成長期だったので仕事は幾らでもあった、
しかし36歳で結婚するまでは稼いだ分は全部と言っていいほど使い切っていた、
貯金と言えるような金額はなく好きな道楽にカメラだ、車だと使い、更に飲む、打つ、買う三拍子ではないがギャンブルをしないだけで殆ど飲み切っていしまう、
将来の事を考えないのかと問われれば恐らく「なるようになるさ、まあなるようにしかならんとも言うがね」と答えただろう、
しかし「楽観主義」でも無論「破滅主義」でもないが(これで病気か怪我でもしたら野垂れ死にだな)と言う事はいつも思っていた、
生まれた時から赤貧である、貧乏は本当に嫌だったが苦にはならない、また戻るだけの事である、何処かで(橋の下で野垂れ死にも面白いか)と言う様なところが未だにある
恐らく今の女房と知り合って居なかったらこの歳になる前にそうなっていたかもしれない、惚れたの腫れたのと言う事ではない、(まあ惚れて一緒になったのではあるが)
女房子供を悲しい目に合わせられない、知り合いから「良かったね」と言われ続けるようには(なるようにしかならん)と言うわけにもいかない、
それが苦労ではなく生き甲斐になったことは間違いないだろうな
まあ仕事には適応性があって転職した先でもある程度の評価をいただいて結婚した当時は年収500万程度にはなっていたのだが元来生意気な性格で人に使われるのが苦手
有難いことに当時女房も300万程度の稼ぎがあったので「独立したい」と言った時に家のなけなしの貯金を提供してくれた
40歳で独立しバブル景気のおかげで20年ほど稼いだがバブル崩壊と運命を共にすることになり残ったのは借金だけとなったが、女房の名義で会社を作って何とか食いつなぐことが出来た、
その後区営アパートに当選したので生活するだけなら何とか年金で暮らせる、
今の仕事は自分の我儘、趣味である、家には一銭も入らない
家賃と通信費、交通費が出なくなったら潔く(でもない)会社をたたむと言う約束を女房と娘にとられてやっているのだが会社の資金はある程度の線を割るとどういうわけか入ってくる、
来年1月で後期高齢者になるがまあ「なるようになった」のかもしれない



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