人がアイデンティティを考える時、国籍と言うか何国人と言う部分は、ウエイトとしての割合は様々だろうが順序としてはかなり上位ではないかと思う、帰属する国と言う物は人種と国が大体一致している日本人とは違うのかもしれないが「何国人である」」と言った時に思い描く国とは文化であり言語でありそしてエリアとしての国だと思う、コスモポリタンを標榜する人を除いて殆どの人は「何人」或いは「何国人」と言うのは最初に浮かぶ事ではないだろうか、何十年か前に「ルーツ」と言う映画がアメリカで作られたがやはり彼らの中にもアメリカ人になる前のルーツは重要なファクターなのだろう思う、だとすればアメリカ人と言うアイデンティティは我々の物とは若干差異が有るような気がする、WASPと言う言葉が有る、ホワイトアングロサクソンプロテスタントだ、一方ルーツで出たのは南北戦争で開放された黒人奴隷の末裔だ、その他に南米系のヒスパニックが居る、米国民の人口比はどうなっているか解らないが国の施政は人数の比率ではないだろう、国がその文化だとすれば彼らの中のアメリカと言う独立国はどういう風に存在するのだろうか、エリアとしての国、経済としての国、法的な国家だがその文化的基盤は恐らくかなり違う、同じ白人系でもイタリア系、ギリシャ系(ケネディはそうだった?)そして東洋人系、これらの雑多の文化を持った人間が構成するアメリカと言う国と対極に居るのが恐らくユダヤ人だろう、エリアとしての国を持たず、これからも恐らく得る事がかなり難しい国民、しかし其れだからこそ強烈に「ユダヤ人」としてのアイデンティティを持っている様に見える、住む所も関わる仕事も違い、ユダヤとしての統一した政経も無い、しかし確実に自分にとっての「国」がアイデンティの大きなファクターだろう、アメリカ国と言う国家の名前で戦争を起こし、世界の警察を標榜し他国に行って軍事力を誇示する、他国の文化、宗教も「世界的には此れが正義」と言って憚らないのは彼らのアイデンティティと関係が有るのではないかと思う、全ての文化を飲み込んで多数決で構成する国家の法理論はアメリカで成功している(と思っている)から世界的に当てはめられると言う理論ではないのか、日本も宗教に関してはかなり自由だが国によっては宗教教義が法律であるところも多くある、確かにその中で不平等な扱いを受ける人も居る、しかし其れを他の国が強制力を持って介入するのはどうかと思う
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