梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

何でも他国の文化を有難がらない

2016-02-17 18:15:16 | 雑記
最近(でもないか)日本人論みたいな本が随分出ているらしい、ネットにも幾つも出ている、先ほどフランス人ジャーナリストの本と言う紹介記事を見た
曰く「日本人が生きにくいのはロリコン文化のせい」だと言う、内容を読むとかなりディフォルメされているが「フランスは恋愛に寛容で結婚と言う制度が不人気になって来ている」と言う、「不倫に寛容」だそうだ、「恋愛は自由」だそうだがこう言う論調を見て居ると何時も裏切られた方の気持ちを無視している、無論「不倫は裏切りでは無い」と皆が考えて居るならそれこそ「結婚制度」は殆ど意味をなさないだろうが。
人間は何万年か継続して社会を営んできた中で「一夫一婦制」が社会構造を維持するに適していると言う事で選択した筈だと思う、選択と言うより「淘汰」の結果ではないだろうかと思う。
その前に長く続いた「一夫多妻制」も「通い婚」の様な制度も社会集約が進んで来て経済社会が発展の基礎になると経済的な格差で婚姻関係(これが古い制度だと言っているので“ペアリング”とでも表現するか)を一夫一婦制になったのだろう、たしかに此れを推し進めれば結婚制度より気に行ったパートナーとその時々にペアリングすれば良い訳だがやはり感情がある、芥川龍之介の「朱儒の言葉」の中に「私が彼女を好きになった時彼女が私を好きになってくれた様に私が彼女を嫌いになった時私を嫌いになってくれたらいいのに」と言うのが有るが互いに好きあっても何時か好きで無くなる時も当然あるだろう、確かに嫌いになった相手と暮らすのは苦痛でしかなく不合理極まりないがその時その時の感情で一緒になったり(フランスでは一緒になるわけではないのか)別れたりするのに精神的トラブルが無いのか言う事が抜け落ちているのではないか?
ベッキー騒動も核になったのは当然不倫された新婦の方だし法的にも損害賠償が請求できる民事事件だ、
自由は常に責任が伴う、「本来人間は自由だ」と言うのは「言われの無い制圧を受けない」と言う事だが「行った行為で起きる様々な障害に関しての責任は負わなければならない」事はごく当たり前の事で何かを手に入れるには対価が必要だ、さらに言えば「人の心に与えた負担は対価に置き換えるのは難しい」と言う事を理解しなければならない
昔の農村では年に何回か闇祭りと言う無礼講があり男女の関係は勝手と言う風習が有ったと言う、そこで産まれた子供は村全体が責任を持って育てるという暗黙の了解があった、狭い耕地で安定した収穫を得るには長男相続でたの兄弟はその下で協力して働くのが一番効率が良い、と言うより成り立たない事は農業を知って居るとよくわかる、
此処から「戯け者(田分け者)」と言う言葉が出来たと言う説が有る位だ、
昔からそう言う仕来たりでやって来ていれば子供に精神的な負担が有ったとしても現在の「非嫡出子」とはかなり違うだろう、しかしそう言う処に産まれたらその子の将来は既に決まって仕舞う、キリスト教が教育に入って来るまでは性に関しては日本は寛容だった様だが個々の個人レベルではやはり生まれつきハンディが有った、
今でも父親のいない子供にハンディが無いかと言えば恐らく他人からは計り知れないストレスが有るのではないか、
最近立て続けに幼児が親の手に掛る事件が起きた、母子家庭に入り込んだ男が虐待の末殺害したケースだが一つは母親自ら虐待し「居なければ良かった」と言っている、
全てとは言わないが「自由」のはき違いがこう言う悲惨な事件を起こす、若い時の恋愛感情は「性欲」の事も多い、動物として繁殖期(人間だけは一年中だが年齢的に)に制御が利かないのは仕方ないが避妊位しろ、簡単に手に入るのだから、
脱線したが文化の違う連中が分かった様な事を言うんじゃないよ!

「理に働けば角が立つ」ト言っても角は立っても仕方ない事もあるが

2016-02-15 10:11:19 | 雑記
「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
漱石先生は山道をのぼりながらこう考えたそうだ、私は家で女房や娘と話す時こう考える、智と言うほどの事を云えるほどの頭では無いが物事は理屈だと考える性格で結果「理に働けば」角が立つになる、情に掉ささなくても流される、意地を通すなぞとんでもない、
姉が二人いて子供の頃は「理に働いて」しょっちゅう喧嘩をした、最後に言われるのは「あんたは理屈っぽい」と言う台詞だ、「理屈の通らない事を言っているのがおかしいだろう」と言えば「だから嫌われるんだよ!」と言われる、確かにそうかも知れないとその当時から思ってはいたが(理屈の通らない人間と生活するなんて耐えられない)と独り身を通して来たがひょんなことで今の女房と一緒になった、子供が二人とお袋さんが付いて来たが子供と暮らして見るとこの「理不尽な」人間と暮らすのも悪くないと思うようになった、
成人している女房の方はと言うとやはりかなり「理不尽」なやつである、しかし姉と違うのは「私は理屈は関係ないから」と宣言していて自覚しているところである、
つまり私と子供以外には(特に私以外)かなり謙虚なのだ、無論後で私に不満を吐き出すのだが「私が絶対正しい」とは言わない、「お互い様だから」と納得していてその上で「なんか悔しい」と言うのである、一緒になった頃は「仕方ないじゃないか」と言う様な事を云っていたがだんだん彼女が望んでいるのはそう言う事ではなくもやもやのはけ口を求めているだけで理屈より「そうだそうだ」と言う返事だと解ってきた、
しかし、夫婦二人だけの生活になってきて女房が一緒にいる時間の多くを亭主が占めるようになるとどうも一挙手一投足がチェックの対象になるらしい、
どうも女性と言うのは亭主は子供の一人と言う感覚があるらしくその言い方がかなりきつい、これはわが女房と言うより親戚や友人が夫婦で集まって酒を飲んだりすると他の奥方もご亭主に何かを言う時の言葉が叱りつける様な言い方が多いのだ、
それもこれもだが此処で「理」を説いても「仕方ない」と言うより大変な事になってしまう、取りあえず「はい、はい」と言っておくと「“はい“は一回!」と言われてしまうがまあ女房の方にも同じ様な思いはあるんだろうな。
「とかく人の世は住みにくい」がそれ以上「我が家は住みにくい」では落ち着くところが無い、晩酌をのんだらうとうとと寝てしまうのが良い

中国はファンドと全面対決、それは素晴らしい事だ

2016-02-14 09:38:38 | 雑記
 【北京時事】中国人民銀行(中央銀行)の周小川総裁は13日までに同国誌「財新週刊」(電子版)のインタビューに応じ、海外のヘッジファンドなどが人民元売りを仕掛けていることについて「投機筋には市場を主導させない」と述べ、対決姿勢を鮮明にした。

 中国の景気減速で元安圧力は根強く、人民銀は外貨準備を取り崩して元買い・ドル売りの市場介入を続けている。中国の外貨準備は依然世界一を誇るが、介入で急減しているため、周総裁は「弾薬(外貨準備)を有効活用する」必要性を強調した。

こんな記事が出た、中国の政策は国際的にとても通用しない事が多い、中華思想と言うらしいが中国が世界の中心であらゆる国は中国の属国であると言う様な考え方らしいがまさか本気でそんなことを考えてはいないだろうとは思うが行動を見ているととりあえず隣接する国に対しての態度はまさしくこの考え方に近い行動だ、(「軍事的に優位な国に対して」と言う制限付きだが)しかしこの思想はかなり昔アジアの近隣国に対して持ちだした発想のようだが中国という国家は数千年間で何度も支配は変わり政変のたびに粛清を繰り返している国だから正当な中華と言う国は存在しない、当時は皇帝の私物の表な国家形成だったが現在は一応「社会主義」と言う形態をとっているが基本的には昔とあまり変わらない、国の名前の後ろが人民共和国となっただけで「共産党」と言う独裁国家にしか見えない強権国家のようだ、しかしその独断専行強権政府であるからこそ、そして「自由主義経済」は「人民共和国」の敵でしか無いと敢然と国家を上げて戦う事ができるのだがこのことに関しては諸手を上げて賛同したい、
「アメリカ式自由経済」はそろそろ臨界点に近づいている、ここ迄資産の偏りが進めばバランスは崩れ飽和点に達した経済構造は大きな転換を起こすだろうが世界の経済社会に大混乱をもたらすだろうと思う、世界の全資産90%以上を1%以下の人間に集中していると言う世界では臨界点に達しても1%以下の人間の崩壊だけででバランスが戻るわけもない、数人の資産が小さな国家予算を超える経済を意図的に運用し国家を破滅に追い込んでも「自由」であると言ういう現在の自由経済主義に対して本来はあらゆる国家が足並みを揃えて対抗すべきだが「経済は自由であり敗北は自己責任」と言うアメリカ発の(イギリスのロスチャイルドが大本らしいが彼らは正当化してはいない)人間社会性という視線を取れないモンスター理論に理では対抗が難しいことと、「勝ち組にゆけば良い」と考えているとしか思えない経済的優位者の支配する政府、戦うコストとリスクの故か「我々はファンドと全面的に戦う」と言う国が現れなかった、また戦いたくとも国家予算が個人資産に届かない国はこの悪意の前に為す術が無かった、
外貨準備高世界一の中国が本気でファンドと戦いを挑むなら取り敢えず小異を捨てて日本以下ファンドの脅威に晒されている国家は中国と足並みをそろえるのも良いのではないか、無事ヘッジファンドを駆逐できたら全面的とはいえないが中国という国をほんとうの意味で大国と呼ぶことに異論はない

洒落にならん

2016-02-13 08:29:48 | 雑記
島尻沖縄北方領土問題担当大臣が歯舞と言う原稿が読めなかった、原稿が有って読めないのである、原稿はあっても確認用程度まで読み込んでおくべきだが今の政治家にそれを求めても仕方がない、しかし北方四島の名前くらいは小学校で教えているだろう、直後にロシアとの領土問題交渉があるがこれでは真剣に返還を望んでいるようには見えるわけもない、
総理大臣の任命責任と言うのはよく聞くが金の問題や下半身の問題は多少は(気の毒に)と言う気持ちも働くが今度のことは「何を持って彼女を担当にしたんだ?」と言われても仕方ないだろう、日本と利害が対立する国との交渉というのは国内問題の比ではない、それを責任を持って担当できると判断し任命したというのは現在の困難な状況に対応できる能力があると判断したのだろうが懸案の文字が読めない人間がどう対応するというのか、
官僚が延々とこう言う問題に携わり彼らが裏表の複雑になった問題、現在までの経過を理解している事は確かだが彼らはあくまで事務方であり責任が有ると言っても事実関係の把握に関してだけである、確かに彼らの協力が無ければ成り立たないが島尻大臣のスキル(スキル以前の問題だが)では日本の外交は官僚が全てという事になってしまう、しかし官僚は選挙で選ばれた国民の代表ではない、継承で築かれた巨大な権力機構である、見る限り国の利益イコール官僚機構の利益と言う体制が透けて見える、それを本来の専門職、事務方として効率的に活かすかというのが政治家であり、官僚の目的を達成するには国会という機構を通さなければならない様になっている、そのためには政治家は事務方を使い廻せる知識と技量が居る、他国からはそれが透けて見えるから日本の政治家を重視しないのだと言われている事を知るべきだ、今回のことは明らかに政府の失態だ、まずは大臣を変えるのは当然のことだがロシア、中国、韓国、台湾が嫌がる能力のある人間を民間からでも任命すべきだろう、
しかし「沖縄、尖閣問題」と「北方四島問題」を同じ担当大臣という事自体無理がある、領土問題は「完全に円満解決」は不可能な問題なのだ、たとえ国際裁判で結論が出ても関係国民が納得する判決などありえない、尖閣は無人だが北方四島は明治以降日本人が住んでいたが敗戦後70年はロシア人が生活しているのだ、仮にロシア政府が経済的に日本に返還すrとしたら島民をどうするか、そこで生まれ育った人間が間違いなく居るのだ、
しかし安倍内閣の閣僚は問題を立て続けに起こすがそれでも国民の声に答えているとは思えない、野党の奮起を真剣に願うしかない、

安陪政権はどこを目指して暴走している?

2016-02-09 09:10:17 | 雑記
[高市早苗総務相は8日の衆院予算委員会で、放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性に言及した。「行政指導しても全く改善されず、公共の電波を使って繰り返される場合、それに対して何の対応もしないと約束するわけにいかない」と述べた。
 民主党の奥野総一郎氏が放送法の規定を引いて「政権に批判的な番組を流しただけで業務停止が起こりうる」などとただしたのに対し、高市氏は「電波法の規定もある」と答弁。電波停止などを定めた電波法76条を念頭に、「法律は法秩序を守る、違反した場合は罰則規定も用意されていることで実効性を担保すると考えている」と強調した。
 そのうえで高市氏は、「私の時に(電波停止を)するとは思わないが、実際に使われるか使われないかは、その時の大臣が判断する」と語った。
 放送法4条は放送の自律を守るための倫理規範とされてきたが、高市氏はNHKの過剰演出問題で、行政指導の根拠とした。この点についても「放送法の規定を順守しない場合は行政指導を行う場合もある」との考えを重ねて示した。
 「政治的な公平性を欠く」の事例については、「国論を二分する政治課題で一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当時間にわたり繰り返す番組を放送した場合」などと列挙。「不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められるといった極端な場合には、政治的に公平であるということを確保しているとは認められない」とした。]

「国論を二分する政治課題で一方の政治見解を取り上げずに」と言っているが国会中継は一方的に政府見解を強硬に言い立てて野党の質問に対しても真摯に回答しているとは全く思えない、その点を論議すればどうしても「政府の見解はこの点がおかしい」と放送する事になる、第一民放全局が政府の方針がおかしいといっていると言うのは「不偏不党」であると言う事だし既にこの時点で「国論は二分されていない」と言う事だろう、
放送法4条が放送の自立を守るための倫理規範だとしたら批判を受けた政府が放送権を持って行政指導と言う言い方で制限を掛けてくると言うのは全く「自律」の精神に反している、
政府を批判すれば放送認可を取り消すと言うのは中国共産党位のものだろう、放送出来る対抗勢力はないとは言えイスラム原理主義国でもそんな事はしていない、
戦時に備えて民間船を徴用できる法律を作ろうとかどこでも戦闘が出来るようにとか、兵器を輸出するとか安陪政権になってから日本はどんどんおかしくなって来た