社会には強者と弱者が存在する、発展すればするほど圧倒的な権力を持つ僅かな人間と多くの弱者になって行く、社会を強固にし発展させるには中心となる強いリーダーシップを持つ人間が必要な事は間違いないし大きくなればなるほど増える異論をまとめあげるだけの強権も必要な事も間違いない、しかしそれはあくまで個人的な能力の問題であって権力が世襲されてはならない、社会の現在と未来を託されている責任が有るのだからそれに見合った能力が必要なのだ、
戦国時代は実子で有っても能力の無い者には継承させず長幼の列を無視して家系を継承させる事もあった、此れは徳川政府が全国平定した時点で「長男継承」を徹底し順列を替えるには幕府の許可制になったが過去に起きた争いが継承すべき人間の能力ではなく親の或いは取り巻きの恣意的な行動で始まった事に因る事への布石だったと言う、
しかし此れも封建制のシステムなら可能だが現在の自由経済社会ではそれを判断する方法が無い、しかし能力は継承しないが経済システム上では「資産」と言う形で継承されてゆく、多くの弱者と僅かな強者は生まれおちた時から分けられていてその格差と淘汰も「資産」と言う経済的権力で更に広がって行く、
社会を形成する動物は人間以外にも居る、群れを統率し守るリーダーは通常「ボス」と呼ばれているが彼は(彼女の場合もあるらしい)群れの特権階級では無い、餌場を探し維持し外敵に対応して群れを守って居る、群れはボスを慕い出来る範囲で尽くす。
他の群れとトラブルが起きた時、(殆ど餌場のテリトリー争い)ボスは群れを代表して敵対するボスと一騎打ちをする、動物社会で群れ同士が全面戦争をすると言う事は殆ど無いのだ、それでは勝ったとしても群れの力は激減し結局第三の群れに利するだけな事は経験上理解しているからだ。
しかし人間はボスの一騎打ちどころか後方で命令するだけである、戦争は結局国家の体力を削ぐだけの方法で此れに利するのは死の商人(兵器産業)だけだが恐らく人間のボスはこの人間の生命維持システムから逸脱した精神構造、生命体としての能力が欠けた連中からしか出ない様に経済システムを構築し権力の世襲を維持している、
弱者が牛馬以下の生活に耐えられるのは限界が有る、此れを超えれば暴走するか自殺(緩慢な自殺を含めて)するがどちらかだろう、権力者は反乱が起きたらその潤沢な兵器で対応し、死滅に向かっても当面は痛くもかゆくもないかもしれないが牧場から牛馬が居なくなれば食料は手に入らなくなると言う事を知る必要が有る、
どうせ生き続けてもろくな事が無ければ殺される恐怖は半減する、今彼方此方で起きる理由の解らない殺人事件はそろそろ弱者階層に生まれた人達が精神的限界に来ている為ではないだろうか