梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

蝉の声と

2016-08-12 08:42:04 | 雑記
気象庁による先日の東京は最高気温で37.7℃だったそうだが13時頃新宿駅のフォームに立っていたら電車の起こす風が皮膚に熱い、「暑い」のではなくまさしく「熱い」感じがする、
よく言う「蒸し風呂の様な」ではなく「サウナ風呂の様な」暑さでだが自分の感覚では鋳物工場の炉の前の様なと言うのが近い、恐らくあの時点で新宿駅1・2番線ホームは49℃位あったのではないだろうか、
しかしそのおかげで翌日の最高気温が33℃だったのにあまり暑く感じなかったのは一種のショック療法の様な効果があったのかもしれない、人間の体感と言うものも存外いい加減なものとも、上手く出来ているとも言えるかもしれない、
バングラデシュでは51℃を超えたとニュースで聞いたが日本でこんな気温になったら相当の死者が出そうな気がするが大丈夫だったのか、日本の最高気温は山梨県で41,9℃とだったらしい、毎年最高気温は書き換えられているが何時まで上昇し続けるんだろうか、
気温と言う事は大気の温度だろうが太平洋高気圧がらもたらされる温度が陸上に上がると凝縮される形で上昇するらしい、しかしそれにしても異常に気温が高い、その分最低気温も上昇しているが地球の公転半径が短くなったんじゃないかと思うくらいだ。
大森付近の蝉がどうやら油蝉から熊蝉にテリトリーを奪われたようだ、シャンシャンと言う声の陰で必死で鳴いているミーンミンと言う声がかき消されている、
先々代の江戸屋猫八師匠は蝉の声を実に見事に演じていた、最後の「ジッ」と言うところまでやって「小便をかけやがった」と言うのが落ちだったが熊蝉ではどうやったんだろうか、2代目が子猫から猫八を襲名したが50代で逝ってしまったのが残念だ、
声帯模写と言うジャンルは先々代の頃出てきて人間の声と形態を真似して人気があったのは桜井長一郎だったが猫八の方は動物や自然現象と言った言わば「擬声・擬音」だった、
軽妙な話術と卓越した技術で基本は高座だったがテレビになってタレントと言うジャンルから出てくると話術の部分がけったいな服装や化粧で受けを取るようになってしまって折角素晴らしいと思う芸も宴会芸、それも学生が飲み屋でおふざけでやる余興のようなものになってしまい私の様な偏屈には急いでチャンネルを変えてしまう位不愉快な「似非芸」になったのは実に残念だ、もっともこれはテレビ全体に言える事で面白い番組なのに態々漫画やコメントを被せて(どうだ、面白いだろう)と言った演出が多くそのたび折角面白いとみていたチャンネルを変えてしまうことも多々ある、おかげでだんだん見る番組が少なくなって来た、
若者はネットに移行してテレビは見ないという、団塊世代はこのくだらなさについて行けない、テレビの衰退もむべなるかなと言う処だ

酷暑、蝉の思い出

2016-08-09 17:50:29 | 雑記
本当に暑い、新宿駅を歩いていたら風が顔に熱い、(これは体温より気温のほうが明らかに上だな)と思っていたらやはり36度を超えている、ビルの陰では37~38度くらいあるかもしれない
会社に戻って整理をしているが午前中聞こえていた蝉の声がほとんど聞こえない、あんまり暑いと蝉もダウンするのか、
子供のころは蝉の声を聴きながら開け放しの畳敷きの部屋で昼寝をするのが気持ちよかったが田舎の蝉は油蝉ではなくクマゼミなので情緒の無い鳴き声である、しかしそれでもあの声は子守歌に聞こえた、
クマゼミと油蝉は箱根を境に変わると言われていたがここ十年くらい前から都内でもクマゼミの声が聞こえるようになった、それでもかなり少ないが今年は住んでいる蒲田でも大森駅付近でも聞こえる、油蝉より暑さに強いのか夕方先に泣き出したのはクマゼミのようだな。
クマゼミの声は大きいというより群れの大きさが違うような気がする、特に桜の木が好きらしく夏の青々とした桜並木がまるで振動するかのように一斉に鳴く、
20代の後半東北出身の友人と焼津の近く、大崩海岸西側の「浜当目」と言うところまで素潜りによく行った、小さな砂浜の海水浴場があって低い防波堤があり、その下の道路脇に桜の古木並木がある、行き止まりの道路なのでその下に車を止めて日が昇るまで仮眠をしていたが朝日があがって来るのに合わせて蝉が泣き始める、シャンシャンと言う声はだんだん大きくなりとても寝ていられない、東北出身の彼は初めてこの蝉の声を聴いたらしいがあまりの大合唱に「やかましい!ねてらんねえ!」と蝉に怒っていたがまあ怒っても仕方がない、
思い出してみれば子供のころはこの声は夏の定番でこれが納まってカナカナとツクツクボウシが鳴き始めると夏も終わりである、
さらに前、兄の子供を連れて川崎分倍河原近くに梨狩りに行ったが梨の木は蝉の生息に適しているのか梨の木にはセミの抜け殻が彼方此方についている、背の低い梨の幹にもやたらに鳴いていて梨より蝉の方が多かった、
団地の廊下にも力尽きた蝉が裏返しになっているのを見る様になった、3年も土の中で暮らし、子孫を残すために必死で鳴き飛び回り力尽きて果てる、人の一生も同じようなものかもしれないな、


都知事選雑感(独断と偏見で)

2016-08-01 08:34:44 | 雑記
都知事選が終わった、結論を言うと私が一番なってほしくない人物が当選してしまった、
かと言って代わりにこの人を是非という候補者も居なかったので仕方ないといえば仕方ないのだがこの人は一番嫌だったことは確かだ、
争った候補者自身の内容は側聞だからほとんどは印象でいわゆる「独断と偏見」であるが小池女史の印象はよく言えば上昇志向だが極論すれば「権力志向」に見える、と言うよりそれにしか見えない、今回の都知事立候補も国政の中で自身の伸び代が見えたことによる乗り換えの絶好の機会だったと思う、彼女は「都政を担う」ということより「都知事になりたい」と言うようにしか見えない、(このあたりが偏見そのものだ)
中で鳥越氏は一番いろいろと見聞きする機会の多い候補者だったがその範囲で判断すれば「都政の運営は無理」だと判断せざるを得ない、この件に関しては「独断」ではあるが「偏見ではないと思う、どだい青島氏以来石原氏を除いて猪瀬氏→舛添氏と同じ様な職業の方が続いたが結果がこの途中降板だった、政権を担うには力不足の上に突然手に入れた権力に取りつかれて今まで築いてきた筈の信用を台無しにしてしまっている、
政治と縁台と一緒に行っては申し訳ないが所詮「岡目八目」である、政はきれいごとだけで済む話ではない、ぎりぎり対立する意見を集約して判断し落ちた方策のフォローもしなければならない、巨大な利権は賂も生む、残念だがこの辺りは汚れた川を泳いてきた連中にはかなわない、真っ白な布はすぐ汚れてしまうのだ、
野党連合が何で彼を担ぎ上げたか全くわからないのだが又「庶民受けする人気」を狙ったとすれば都民の目を舐めているとしか言いようはない、マスコミ受けはうんざりしているのだ、第一マスコミを信用している都民なんかは一握りだろう、
増田氏に一縷の望みをとおもったのも小池氏を当選させたくなかっただけで彼に期待していたわけではない、安倍政権追随では新しい都政はミニ国政になってしまう、
いずれにしても結果は出てしまったのだ、折角自民党から除籍まで言われて当選したのだから今更自民党に戻るなんぞという浅ましい事をしないで反小池派が「見直しました」と言えるような運営を期待する事にしようと思う