波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

突然「留学プログラム中止で強制帰国」することに~覚悟はしていたものの複雑な心境・・・

2020-03-19 23:52:01 | 悲しい出来事
今週は、東京で観測史上最速の桜の開花。その4日後に横浜でも開花し、これから次々と開花していきますね。
LINEの画面にも桜が舞っている・・・
ただこれほど桜のニュースを聞いても気持ちが一向に浮かない春というのは、たぶん初めてかも・・・

現在息子の学校では、中3生のほとんどが参加する春休みを利用した2週間のオーストラリア研修を始め、
春休み中の全ての海外研修行事が中止になりました。

そして、今週は留学中の生徒11人の在籍するR組の保護者間LINEが連日深夜まで飛び交いました。

ちょうど今週を前後して春休みに入ると同時に、春休み期間延長の実質的な休校措置を取る国や州が多く、
春休みのツアーが中止になったとか、どこにも行けずお店も閉まってる、帰国後は2週間自宅待機になるかも・・・

最初はそのようなやり取りだったのですが、欧米でのウイルスの凄まじい勢いに1週間でまさかの急展開・・・

団体からは特にまだ今後のお知らせがないけど・・・などのやり取りしている最中に、
ある団体は突然HPで「全プログラム中止」が発表され、「えー!」と驚いている内に、メールでも中止の連絡が・・・

米国に留学している人が圧倒的に多く、米国の場合は感染者の多い州から順次帰国となるようです。
また、ドイツに留学中の家庭にも「プログラム中止で強制帰国」のメールが飛び込み、またもや「えー!」・・・

別の団体は、現時点で中止ではないものの「早期帰国を希望する人は自腹で」とのこと・・・
そして、また別の団体で留学する家庭にも「全プログラム中止で強制帰国」のメールが・・・

文部科学省が推奨する高校生の留学団体は5団体あり、ほとんどがそのいずれかから留学しているのですが、
次々にプログラム中止のアナウンスが・・・

当然、息子の団体からも手紙とメールが届きましたが、その内容は・・・
「原則中止を決定。尚、この状況下でも継続を強く希望する場合は、現地の受け入れ団体とホストファミリーの
同意が得られ、現在保持している帰国便が使えなくなった場合は、航空券の新規購入が条件」・・・とのこと

息子からは「俺は残ることを強く希望する」「今、日本よりもカナダの方が安全だという長文メールを出した」と・・・
何はともあれ、自分の思いを伝えるための猛アピールは息子の得意分野・・・

私としても、日本とカナダの感染者・死亡者の数に人口密度を考えると、現時点では日本の方がリスクが高く、
帰国予定の6月末時点ではどうなっているかは分からないけれど、やっぱり予定期間は全うしたい・・・

ホストファミリーや現地の受け入れ団体からも了解を得て、「継続希望」の連絡を入れ返事を待っていましたが、
今日、ついに留学団体から悲しいお知らせが・・・

「継続希望の連絡をいただいていたので何とかその方向で進めていたのですが、現地の受け入れ団体が、
今日『受け入れプログラム中止』と『全員帰国』を決断しました。本当に申し訳ありません。」

オオマイガー!万事休す!・・・と言って、こればかりは嘆いてもどうしようもありません。
残り3ヶ月を残して息子の留学は突然ブチ切れとなりました。

約8ヶ月ぶりに息子に会える嬉しさと留学期間を全うできなかった悔しさとで、なんとも複雑な心境・・・
それでも、冬出発で1月~2月に留学したばかりの人や、この夏に出発を予定している(していた)人もいる。

今は、世界中の多くの人が多かれ少なかれ被害を受け、辛い思いをしている人も大勢いる中で、
考えないといけないのは、積み残した3か月よりも収穫した8ヶ月への感謝・・・

最初は毒づいていた息子も、今はホストファミリーに何を残していこうか、お土産を何にしようかなどと考え始め、
相変わらずの気持ちの切り替えの速さにホッとしています。

2020年3月19日


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「身体の痛さやキツさ」を他人に分かってもらうことの難しさ~頻繁な会議で背骨痛が悪化

2020-02-21 21:44:41 | 悲しい出来事
ここで病気と闘っている方々も同じかと思いますが、アッピアは闘病中によく身体の痛さやキツさを訴えました。

当時は「痛いか・・・どうすればいい?」「きつかったらそのまま寝てていいよ」というような言葉を返していましたが、
たとえ家族であったとしても、当人の感じている身体の痛さやキツさを本当に理解するのはなかなか難しい・・・

アッピアの思いに寄り添えたか、訴えに答えられたか・・・となると、正直「イエス」と言える自信はありません。
そして、私自身が今その身体の痛さやキツさを他人に分かってもらうことの難しさに直面しています。

私の身体に2年前の手術の後遺症として残っているのが、左足の痺れと背骨の手術跡の痛み・・・

脊髄腫瘍の摘出手術で脊髄を露出させるため、背骨のちょうど真ん中辺の3つの連なる骨をかち割っています。
定期検査のMRI画像を見ると、ゴソッと背骨がえぐられた部分が真っ黒で、正直ギョッとして恐ろしくなります。

えぐられた背骨の部分は修復不可能なため、後遺症として背骨の手術跡にはずっと鈍痛が残っていて、
やっと痛み止めは卒業したものの、長く座った状態やずっと同じ姿勢でいると徐々に痛みが増してきます。

仕事では人と面談していることが多く、面談中は話すことに意識が向くのでほとんど痛みを感じずに済みますが、
面談が1時間も超えて長くなってしまうと、面談を終えて意識が解放された途端に痛みが強くなります。

PC作業も短時間であれば問題ないのですが、長時間集中して作業していると痛みが強くなってくるため、
時々席を外して腕や肩を回したり、背骨を伸ばすストレッチをして、痛みを和らげてから作業に戻ります。

最悪なのが会議・・・長時間じっと座っていなければならず、また人間の感覚というのは不思議なもので、
意識が話すことではなく聞くことに向くと、話しているときの何倍も痛みが増して、耐え難くなってきます。

会議の最中に背骨の痛みが強くなると、両手を椅子の後ろに組んで背中を伸ばしたりしてやり過ごすのですが、
さすがに会議の最中に立ったり座ったり、腕をブンブン振り回す訳にもいかず、結局は我慢を強いられます。

背骨の痛みと張りが酷くなると、元々の鈍痛程度に戻るのに1週間はかかるのですが、最近は会議が増え、
1週間に複数回の会議があるため、背骨の痛みと背中の張りが治まる暇がない状態が続いていました。

そのことを会社に訴えていたものの、「きつくなったら席を外していいから」程度にしか受け取ってもらえず、
約1ヶ月前の会議の最中に、ついに背骨の痛みが肋骨にまで広がってしまいました。

肋骨にまで痛みが広がるのは、2年前の手術前と同じで、どういう寝方をしても痛くてすぐには眠れず、
やっと寝入っても夜中に痛みで目が覚めて、それからは痛みで横になっていることすら出来なくなります。

その週末は連日2~3時間しか眠れず、また手術前の嫌なトラウマがよみがえって精神的にもきつくなり、
週明けに会社に訴えて、当面会議への出席を免除してもらうことになりました。

その後少しずつながら痛みがましにはなって来ましたが、まだ背骨と肋骨の痛みと張りは続いており、
終業までその痛みに耐えるのが難しい時は、夕方から在宅ワークに切り替えています。

この身体の痛みを理解してもらえていたら、会議で我慢してここまで悪化しなかったのにという思いもありますが、
痛みは具体的に見せられるものでもなく、結局「身体の痛みはキツさを他人に分かってもらうことは難しい」・・・

あれから1ヶ月が経ち、その間に国内でじわじわと嫌な広がりを見せる不気味な「新型肺炎」のために、
会社で予定されていたセミナーや研修などは原則中止となり、会議もSkypeでの参加も自由となりました。

「新型肺炎」対策として、オフピーク通勤やテレワーク、在宅勤務を会社が積極的に推奨していますが、
そのお陰で、どうしても参加しなければならない会議だけは自宅からSkypeで参加しています。

それにしても、身体の状態が悪く診察を受けたくても、今は人が混み合う病院にはなるべく近づきたくない・・・
抗がん剤治療をしている方は、尚更感染を防ぐ必要があるのに、通院しない訳にもいかないですね。

「自分の身は自分で守れ」とはよく言いますが、ハンディを持つ人は「自分で守る」のも簡単なことではない・・・
災害時もそうですが、今回のような非常事態の時には、「遠慮なく人の助けを借りて自分の身を守れ」・・・ですね。

「我慢は決して美徳ではない」・・・アッピアが生前によくそう言っていたのを思い出しています。

2020年2月21日


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51歳の知人が「大腸がん」で他界~アッピアと友人の49歳に続きアラフィフ世代がまた一人・・・

2020-02-07 21:03:11 | 悲しい出来事
「ユートピア」さん、コメントをいただきどうも有難うございました。
初めての方に誕生日のお祝いの言葉をいただくのは、少し照れくさいながらも嬉しいものですね。
これからもよろしくお願いいたします。

ところで、昨年末に51歳の知人男性であるNさんが、5年半の闘病の末「大腸がん」で他界されました。
・・・正確には、他界されたことを最近知りました。

大手メーカーを退社して立ち上げた会社が軌道に乗り始めた46歳の時に「ステージ4」で病気が見つかり、
同時に12ヶ月の余命宣告を受けたものの、5年半に亘り精力的に生きられました。

直接話をしたことはなく、二学年違う息子同士が活動していたボーイスカウトのキャンプでお見かけした程度ですが、
複数の企業の経営をしながら、病気との向き合い方についての発信も意欲的に行っていたようです。

享年49歳のアッピア、同じく49歳で昨年8月に旅立った友人のK子さん、そして今回の51歳のNさん・・・
いずれも人生100年時代としては、まだまだ人生の折り返し地点とも言えるアラフィフ世代・・・

なぜ、周りで次々とアラフィフ世代が癌にやられてしまうのか、共通するものは何なのか、色々と考えさせられます。
Nさんが、どう言う思いで病気と向き合って来たのかを知りたく、彼が残されたブログを一気に読みました。

誰もが経験する初期の頃のどうしようもない気持ちを立て直し、病気を克服するために生活習慣を見直し、
標準治療以外の様々な代替医療を調べ上げて積極的に試しながら最適な治療を模索していた様子が伺えます。

ブログからは、自然治癒力を高めて真摯に病気と向き合う求道者のような生き方を垣間見ことが出来ました。
大きな難敵に立ち向かう精力的な生き方には、命に限りがあるからこその覚悟と勇気を見た気がします。

また、治療を中心としたブログの中に表れる、同じ一人息子を持つ父親としての思いに心が打たれました。
以下は、ちょうど今大学受験の真っ只中と思われる、当時中学生だった息子さんについての記事の抜粋です。

 「中1の息子にはいろいろ教えたかった、そして話したかった。
  遊びの話、仕事の話、女の子の話、人生の話。でも、中1の今じゃまだできない話ばかり。
  メールを書こうと思いました。毎年の誕生日に年齢別のメールが送信されるように。」

 「中2病真っ只中の男子は面白い!男親の私にも息子の興味の向き先が良く理解できない。(笑)
  14歳ならまだ何にでもなれる。無理すりゃオリンピック目指せるかもしれないし、学者になれるかもしれない。
  目指すのは勝手だから、何でも目指して欲しい。」

 「大人になってしまうといろんな事情でやりたい事が出来なくなってくる。
  10代は人生の中でも最も楽しくて面白い時期だし、自分で限界や壁を作らなければ何でもできる。
  だから、やりたい事は何でもチャレンジして欲しい。
  その中で一生掛けて自分がやり通すべき事が何なのか見つけられたら最高の10代だよ。」


10代の息子を持つ父親としては、20歳を超えたらお酒を飲みながら男同士の話をしたいと思うもの・・・
それが叶わないのならば、今一番伝えたいことを残しておきたい・・・そういう思いが強烈に伝わって来ます。

アッピア、K子さん、Nさん・・・子供を持ち、アラフィフで早々に旅立った3人に共通する一番の思いは、
「可能な限り子供の成長を見届けたい」という思いだったのだろうと思います。

「あなたはどんな大人になるの?」・・・生前に息子にそう問いかけるアッピアの姿を改めて思い出します。

Nさん、どうか安らかに・・・

2020年2月7日


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息子の母親代わりでもあった方が虫垂癌で逝去~息子が留学で旅立った日に・・・

2019-08-16 21:20:36 | 悲しい出来事
前回、息子とのしばらくの別れに「身体の痛みを伴った」ことを書きましたが、
まさかその同じ日に、今度は「心の痛みを伴う」突然の悲しい別れが待っていようとは、思いもしませんでした。

先週月曜日、息子を空港に見送って帰宅後グダグダに疲れ切った身体を休ませていると、携帯電話が鳴りました。
10年前にボーイスカウトで出会い、偶然にも同じマンションでその後家族ぐるみで長い付き合いのHさん・・・

「今日ついに家内が亡くなりました。」「えっ・・・」
4年前に癌の中でも稀な虫垂癌を発病後、ずっと治療を続けてきた奥さんの訃報でした。

息子とは学年が違うものの、中高生の子供二人とご主人を残してアッピアと同じく早々と旅立ってしまいました。
実は、彼女にはアッピアの他界後は誰よりもお世話になり、息子にとっては一番の母親代わりでした。

小学生の時に学校に提出する緊急連絡先はずっと彼女にお願いしていましたし、
防災引き取り訓練では、いつも娘さんと一緒に息子の引き取りもお願いし、私が帰るまで預かってもらいました。

息子の小学校卒業後しばらくして、発病したことや治療の様子などをご主人や奥さんから直接伺っていましたが、
ご主人は辛い気持ちも正直に話してくれて、折に触れて家族としての気持ちを共有して来ました。

彼女は、社交的で話し好きの明るい方で、お会いする度に「今はこう言う治療をしていて効果が出ている」などと、
前向きに治療と向き合っている様子をいつも明るく話してくれました。

彼女との思い出は、夏キャンプの開放感溢れる自然の中での外飲みで聞いたご主人との馴れ初めや、
毎年恒例の花火大会を我が家の玄関から家族一緒に観て、その後家の中でビール片手に語り合ったこと・・・

中でも私が一番印象に残っているのが、マンションの入口付近で毎朝数人のお母さん方と話をしている姿・・・
訃報を聞いてからは、朝の出掛けや帰宅時に「いつもこの辺りにいたよな・・・」と毎日思い出してしまいます。

小学生時代、集団行動が嫌いな息子はマンション内の同学年の親友と二人別行動で通学していましたが、
マンション内の多くの小学生は毎朝入口前に集合して集団登校していました。

PTAの役員なども積極的に受けていた彼女は、毎朝のように子供達が出かけるのを見送っていました。
数年間、私はその前を「おはようございます」と挨拶しながら出勤するのが日課でした。

いつも彼女を中心に話が弾んでいる様子や、爽やかな声の「おはようございます!」に元気をもらっていたので、
子供達が成長し、もう見送りをしなくなった時には少し寂しさを覚えたものです。

先週金曜日のお通夜と土曜日の告別式に参列して、参列者の多さに驚き、
改めて彼女の交友関係の広さや多くの人に愛されていた明るい社交的な人柄を感じました。

特に、お通夜は葬儀場の外の道路まで延々と列が連なり、多分1時間近くも並んだように思います。

そして、私はこの出来事で「『虫の知らせ』と言うのは本当にあるんだ」と信じるようになったのですが、
実は、亡くなるちょうど1週間前に偶然の誤作動で私のスマホからご主人に電話がかかってしまいました。

 H氏 「こんにちは。お電話をいただいたようで・・・」
 ☆  「あ、失礼しました。スマホが何かに接触したのか勝手に電話がかかってしまったようで、申し訳ないです。」
 H氏 「そうですか・・・実は、近いうちにお電話をしようと思っていたので、何かの知らせかも知れませんね・・・」
   「あれから家内の病状が悪化し、実は現在自宅で介護療養中なんです。」
 ☆  「ええ~、まさかそう言う状態になっているとは知らず・・・」  
     (すぐにでも会いに行きたいところですが、こう言う時に行くべきではないことはアッピアで勉強済み)
 ☆  「ちょうど息子が来週から留学して手も空くので、私に出来ることがあれば何でも・・・」
 H氏 「有難うございます。色々と相談したいこともあるので、一度整理してからまた連絡しますね。」

そして、その1週間後に訃報の電話・・・

そして、これもまた偶然なことに、享年はアッピアと同じ49歳。6年の歳月を経て冥土では同い歳に・・・
今頃、彼女とアッピアは「久し振り~こちらでは同じ歳同士でまたよろしくね!」と話しているのかなあ・・・

まだまだ私の気持ちは晴れませんが、随分お世話になりました。本当に有難うございました。
叶うならば、もう一度あの爽やかな「おはようございます!」が聞きたかった・・・

どうか安らかに・・・

2019年8月16日


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地元の川崎で起きた酷すぎる無差別殺人~これはもう「自殺テロ」・・・

2019-05-31 23:11:08 | 悲しい出来事
今週は、鬱々として気分が晴れません。
原因は、今週の火曜日に地元の川崎で起きた、2人の命を含む19人を殺傷した酷すぎる無差別殺人・・・

凶行の行われた場所は、私が以前に通勤途中に乗り換えていた駅の近くで、
朝の電車には、襲われた学校の生徒がいつもたくさん乗っていて、うるさいくらい元気いっぱいでした。

高学年にもなるとそれなりに節度が出て来るものの、低学年ではまだまだ電車のマナーもなっていなくて、
大声で騒いだり、混んだ車内をチョロチョロしたり、駅のホームを走り回ったり・・・

それでも、しっかりした女の子が「もうちょっと静かにして・・・」と落ち着きのない子を嗜めたり、
母親同士が話しているような大人っぽい口調で話す女の子のグループがいたり、
静かでつまらない朝の通勤電車の中に少し微笑ましい位の賑やかさを持ち込んでくれていました。

それを鬱陶しいと思う人も少なからずいるでしょうが、ギスギスした雰囲気の車内よりは余程まし・・・
数人のグループに付き添っている親もいて、各家庭が交代で子供の送り迎えをしていたのかも知れません。

あの事件以来、私の頭の中には当時の通勤風景が浮かんでは消え浮かんでは消え・・・
そして、その電車に「お前ら、うるさいんだよ!」といきなり男が乗り込んで来て、刃物を振り回して凶行に及ぶ。

今回の事件と私の記憶が相まって、頭の中で勝手に想像が膨張してしまいます。

今回の無差別殺人は、出来るだけ多くの人を道連れに計画的に自殺を図ったと言える「自殺テロ」・・・
世界中で起きている「自爆テロ」と同じことが日本でも起こって来ているという事実が重いです。

私の知人の友人である米国人が、今回の事件を嘆いてこう言ったそうです。
「日本の犯罪は間違いなくアメリカに近づいて来た」「日本では銃の保有が出来ないため、凶器が違うだけだ」

今回の事件で何を思えばいいのだろう・・・?

引きこもりの高齢化に伴い、親の死などによる生活苦・生活破綻による自暴自棄の犯罪が増えること・・・
集団登下校時や学校内での子供の安全のためには、日本でもそろそろプロの警備が必要なこと・・・

残念ながら、何を考えようが自分の命と引き替えに起こす事件を完全に防ぎきることはとても無理・・・
一人ひとりがいつ遭遇するか分からない危険な状況を想定して、危険察知能力を磨くしかないのでしょうか。

息子が小学生の時にも、親にメールで送られて来る不審者情報の多さに驚きましたが、
私は、息子が小学生の時には、何か危険な目に遭いそうになった時は次のことをするように教えていました。

・躊躇なくランドセルについている防犯ブザーを鳴らし、近くの人やお店に助けを求めること・・・
・ブザーを鳴らす余裕がなければとにかく大声で叫びまくること・・・
・無理やり車に乗せられそうになったら、車をボコボコにしても腕に噛みついてもいいので大暴れすること・・・

ただ残念ながら、不意に背中からナイフで刺されればいずれの方法も役には立ちません。

2019年5月31日


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「ブログを書くということ」~小林麻央さん逝去に当たり

2017-06-24 10:16:11 | 悲しい出来事
☆アッピア夫です。

残念ながら、小林麻央さんが逝去されました。
麻央さんは、ブログを通じて多くの方を励ましていましたね。

また、今回のことをきっかけにコメントをいただいた「大野」さん、どうも有難うございました。
息子さんが同じ14歳であることと「マインドフルネス」に興味をお持ちとのことで、本当にご縁を感じます。

二人のお子様との日常は決して平穏なものではないのかも知れません。
それでも「学校に行かなくてもいいので人生を楽しんでほしい」と言う思いに、
色々なことを受け入れて見守っている姿が思い浮かび、こちらが励まされます。

麻央さんの逝去をきっかけに、改めて「ブログを書くということ」について考えさせられました。
私がアッピアから引き継いでこのブログを書いている理由はいくつかあります。

アッピアブログを埋もれさせず、必要とされている方に何らかのきっかけになれば・・・
ブログやアッピアを通じて知り合った方に日常の様子を感じてもらえれば・・・
子供の成長や、日々思うことをアッピアへの報告を兼ねて・・・

そして、もう一つは自分のため・・・

「ブログを書くということ」は、前回書いた「マインドフルネス」にも通じるのですが、
自分の気持ちや考えを整理することが出来ます。

人は日々色々なことを考えて生活していますね。ああだ・・・こうだと・・・
深刻なこともあれば、取るに足らないどうでもいいこともあります。

「人間は考える葦である」・・・これは哲学者パスカルの有名な言葉ですが、
葦は、細くて弱々しい植物です。いつも強風や自然現象に翻弄されて生きています。
一見頼りなさそうに見えるのですが、風が止むと何事もなかったかのように元の状態に戻る。

人間も葦と同じで、決して自然や運命には逆らえない弱い存在だけれども、
人間には「考える」と言う特別の力がある。

「現実を受け入れて、柔軟に変化していくことで葦以上に逞しく生きていくことが出来る」・・・
というようなことを言っていたと思います。
(うろ覚えなので解釈が間違っていたらすみません・・・)

調べてみると、パスカルは生まれながらの天才だったようですが、
子供の頃から病弱で麻央さんと同じく30歳代(正確には39歳)でこの世を去っています。
小さな頃から病気と向き合う中でそのような考えを持つに至ったのでしょうね。

人間は「考えることが出来る」のと同時に「書くことで気持ちや考えを整理出来る」と思っています。

私は、子供の頃から何かを考える時や気持ちがもやもやした時には、ひたすら書き出していました。
ノートに走り書きするような感じで・・・

もしも、思春期の頃のノートを見ることができれば楽しいでしょうね。
残念ながら、そんな貴重品は一冊も残っていませんが・・・

今は、このブログが自分の気持ちや考えを整理するノート代わりになっています。
その時々に思いつくままに雑多なことを書いていきますので、これからもよろしくお願いします。

最後に、麻央さんどうか安らかに・・・

2017年6月24日 アッピア夫


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「自由と放任」「個人主義と無関心」~川崎の事件で考えさせられたこと

2015-03-14 01:48:41 | 悲しい出来事
☆アッピア夫です。地元の川崎で痛ましい殺害事件が起きましたが、自分自身も10代の子育ての真っただ中にあり、子育てと言う観点から色々と考えさせられました。

最近は、子育てだけではなく、職場、学校、地域、家庭など社会の様々な場所において、「自由」と「個人主義」が蔓延っていると感じますが、その反面、「過敏」「過干渉」なことも目にします。そう言う意味ではいびつに二極化していると言えるのでしょうか?

私が子供の頃は、多くの目で「監視」「干渉」されるのが当たり前の時代でした。生まれ育ったのが小さな田舎町ということもありますが、近所の人から郵便屋さん、新聞・牛乳配達の人(当時、牛乳は配達でした)、商店主、駅員さん、お巡りさんに至るまで、町の人は全員顔見知りと言う世界でしたので、何かあれば、正に池に石を投げた時の波紋のようにあっという間に広まります。

前回、学生の頃によく親が学校に呼び出されたことを書きましたが、決して不良だった訳ではなく、(少し)やんちゃだった程度なのですが、とにかく学校で何かしでかすとすぐに家に通報されました。呼び出されないまでも、学校から帰宅するのを、親が玄関で鬼の形相で待ち構えていることもしょっちゅうでした。

中学生となり彼女が出来始めた頃、こっそり一緒に下校したりなどすると、あっという間に話が駆け巡り、近所の情報通のおばちゃんなどからは「○○ちゃんもいい歳になったものねェ・・・」と意味深に言われ、帰宅すると「誰と帰って来たの?」と親からいきなり質問攻撃を受けるのが常でした。家にいても固定電話しかないので、女の子から電話でもかかって来ようものなら、親は耳が顔と同じ位の大きさになっていましたし、当然話の内容は筒抜け・・・町を歩けば人間監視カメラがうようよと言う状態でした。

昔はそう言う中で子供達が育ちましたので、今や絶滅危惧種になっている「ヤンキー」呼ばわりされた不良グループもいるにはいましたが、それ程大したものではなく、ちょっと格好つけてグレている風だけど、皆いいやつ・・・と言う感じでしたね。それが、今は至るところを監視カメラで監視しなければならず、見かけだけではごく普通の人と危険な人の区別もつかず、子育てを含めた家庭のあり方そのものが「自由」となり、社会全体が「個人主義」になりました。

「自由な子育て」と言うと聞こえが良く、「うちは子供の自由にさせています」「『自分で好きなように生きなさい』と言っています」・・・などと言うことが「理解のあるかっこいい親」と思われているように感じますが、本当にそうでしょうか?「自由」には「責任」が伴います。子供に自由を与える前に、まず或る程度の厳しさの中で責任感と自律心を育てるのが先ではないでしょうか?

最近の風潮として、「褒める子育て」が持て囃されていますが、「褒めるだけの子育て」と勘違いしてしまい、「叱る」ことをしない親が増えているということを耳にします。「叱られる」ことに耐性のない子供が大人になったらどうなるのか?ちょっと恐ろしさを感じます。

また、過干渉で、何でも先回りしてやってしまう親に育てられた子供は、転び方も知らず、親のいないところで突然転んだら手をつくことが分からずに顔面を強打するという笑えない話もあります。また、同じマンションに住む高校生位の女の子がいるのですが、その子は毎朝父親と一緒に家を出て、毎晩母親と一緒に帰宅します。この子の将来は一体どうなるのだろう?と本気で心配してしまいます。

まあそのような過干渉の問題はまた別としても、「自由」と言う名の「放任」と、「個人主義」と言う名の「無関心」により最悪の結果を招いたと言える今回の事件・・・家庭や地域のあまりにも希薄な人間関係と、幾多の兆候に気付いていたはずの誰一人として何の行動も起こさなかったという我関せずの世相・・・もっと地域で繋がりましょうよ。災害が起きてから地域の絆と言うのでは寂しすぎます。

2015年3月14日 アッピア夫


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「自己責任」という言葉について~今回の日本人人質殺害事件で思うこと

2015-02-07 23:31:28 | 悲しい出来事
☆アッピア夫です。前回のブログで私のものごとを考える基準は「自己責任」だと書きました。今回最悪の結果となったイスラム国による日本人殺害事件において、改めて「自己責任」ということがクローズアップされましたので、今回はそのことに触れたいと思います。

今回の事件において、「イスラム国」を許せないのは当然のことです。「宗教に名を借りた過激なテロ組織」、「劇場型犯罪組織」、「狂信的なカルト集団」、「無差別殺人集団」、「邪悪な狂気の集まり」・・・形容すればきりがないほど理解不能な集団で、「人間はここまで極悪非道になれるものか?」と思わずにいられませんし、このようなとんでもない集団が国家のようなシステムを持ち、世界の至るところでテロを起こすように指令を出していることに、嫌悪と恐ろしさを感じます。一方、今回の事件については「???」なことが多すぎると感じています。

まず、最初に犠牲となったY氏。彼は根っからの武器マニアのようで、設立したばかりの民間軍事会社のCEOを名乗っていますが、会社の実態は不明。危険な地域に行って何をやっていたのかも不明。ここで疑問なのが、そもそも武器を持つことが許されない日本で軍事会社など設立できるの?また、彼が人脈もなく一人でこのようなことが出来るとも思えません。G氏がわざわざ助けに行ったことと何か関係があるのでしょうか?

また、二人目の犠牲者となってしまったG氏。彼はフリージャーナリストとして幅広く活動していたようですが、私は全く知りませんでした。彼が殺害されたことは大変残念なことです。但し、今回はジャーナリストとして活動中の突発的な出来事ではなく、Y氏を助ける目的で敢えて危険を冒して相手の支配地域に入り捉えられました。そこで、どうしても拭えない疑問があります。「彼は、まともな交渉など不可能で、平気で何でもする無法者の集団の中に、なぜ高いリスクを承知でわざわざ飛び込んで行ったのか?」

G氏の渡航計画を知った政府から、3度に亘り渡航を見直すよう働きかけがあったようですが、それにも関わらず決行したのは、余程の理由があったとしか思えません。「G氏が引き取りに来ないとY氏を殺害する」などの誘いにおびき寄せられたのか、何らかの巧妙な罠に罹ってしまったのか・・・今更あれこれ想像してみてもどうしようもないのですが、彼がイスラム国の支配地域に入る前に撮影したビデオメッセージを見て、改めて「自己責任」について考えさせられました。

「何が起こっても、責任は私自身にあります」・・・彼はビデオメッセージでそう言っていました。いわゆる「自己責任」のことですね。「自己責任」という言葉を調べてみると、ウィキペディアには、「自分の行動には自分に責任が存在することや、自身の行動による過失の場合にのみ自身が責任を負うことと」となっていますが、注釈として「現代社会では多くの意味や用例が存在する」とも書かれています。

「自己責任」はその対象となる物事やその人の立場、その時々の状況によってその意味するところが違ってくるので、定義をするのはなかなか難しいのですが、今回のような身の危険度が非常に高いところに自らの意思で足を踏み入れる場合は、当然のことながら「人質になる」「命を落とす」という可能性を高い確率で想定しているはずです。

もしも、人質になったら責任は自分だけではなく、国も責任を負うことになり「自己責任」とはとても言えないですね。また、命を落とすことになった場合も「自分の命にだけは責任が持てる」でしょうが、自分の家族や、これまで生きてきた中での関わりのある人々やジャーナリストとして活動してきた上での関わりのある人々に対して、またジャーナリストとして強い使命感を持って取り組んできたことが続けられなくなることへの責任はどう考えれば良いのでしょうか?

私は、「そのことの結果に対しての全てを自分で責任を負えない」のであれば、簡単に「自己責任」という言葉は使ってはいけないのではとないかと思っています。今回の件では、身勝手な行動をしているとしか思えない一人の人を助けに行くことの「責任」よりも、生まれたばかりの幼子を含めたご自身の家族や、強い使命感を持って取り組んできた仕事を継続していくことに「責任」を感じて、行くことを思い留まって欲しかったなと思います。もう今となってはですが・・・

因みに、このアッピアブログの内容に関しては、前回のような漢字の間違いも含めて、アッピアから引き継いだ私の「自己責任」ですね。これから、漢字はしっかり調べて書くようにします・・・

2015年2月7日 アッピア夫


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