波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

「世界一の楽器の町」の歴史を知るとピアノが愛おしい~ブラタモリ「浜松」編を観て

2020-01-31 21:06:52 | 感動の出来事(テレビ番組)
1月27日に誕生日を迎え、また1つ加点されました。取り敢えずは100点を目指して気持ちも新たに・・・

誕生日が正月に近いこともあり、昔から1年の目標は正月に決めずに誕生日に決めることが多いのですが、
今年の目標はもう半年前に決まっています。息子が留学から戻ったら華麗なピアノ演奏を披露すること・・・

去年の8月から始めた完全ど素人の「ピアノレッスン」ですが、あれからもう半年が経ちました。
最初の3ヶ月位は指が筋肉痛になったり、腕や肩が痛くなったり、まあ無駄な力が入りまくっていましたが、
最近はリズムを刻む左手とメロディーを弾く右手の異なる動きが、割と自然に出来るようになってきました。

とは言え、曲の途中で指が迷子になってしまったり、指を見ていると譜面の場所が分からなくなったり・・・
まだまだ初心者の域を脱していないので、短時間であっても毎日ピアノを弾くようにしています。

ところで、先日の「ブラタモリ」で「浜松編~なぜ世界一の楽器の町になったのか?」が放送されました。
「浜松」は、世界的なピアノ作りの町として有名ですが、何と今では4種類の楽器で「世界シェア№1」

ピアノは40%の世界シェアを誇り、それ以外の「世界シェア№1」は、電子ピアノ、鍵盤ハーモニカ、管楽器・・・
鍵盤楽器はピアノの派生として当然としても管楽器まで№1とは知らなかったので、新しい発見でした。

まず、「浜松」は戦国時代に徳川家康が17年間居住し、浜松城を建てたことで城下町として発展しました。

江戸時代には、温暖な気候風土から綿花の栽培が盛んとなり、綿花と綿織物の一大産地となっていきますが、
当然、織物のためには木製の織機が必要となり、織機を作る木工職人もたくさん集まって町が栄えました。

その後、明治へと時代が変わり、唱歌教育が行われる中で小学校に米国製のオルガンが導入されました。
当地で機械器具全般の修理を行っていた「山葉寅楠(やまはとらくす)」氏(後の「ヤマハ」創業者)が、
米国製オルガンの修理を請け負ったことから、その構造を学び、日本初のオルガン作りを始めます。

会社を起こした山葉氏は、渡米視察によって今度はピアノ作りを学び、日本初のピアノ作りも始めますが、
ピアノを作るためには多くの種類の木材と、その木材をしっかりと乾燥させる必要があります。

「浜松」は天竜川によって南アルプスの木材が運ばれる集積地でもあり、元々木材が豊富で、
常に乾燥した空っ風が吹き下ろし、木材の乾燥にも適していてピアノ作りの条件が揃っていたようです。

こうして「浜松」がその地理的条件と木工職人の腕で、世界一のピアノ作りの町として発展していくことになります。

番組では、薄い板を重ねて独特の形に曲げていく、グランドピアノの製造現場を見ることが出来ましたが、
ものづくり自動化全盛の今の時代に、職人によって一台一台丁寧に手作りされていることが新鮮な驚きでした。

グランドピアノの形を上から見ると、まさにPianoの「P」をガバッと広げたような形だなと思ったことがありますが、
薄い板を何枚もくっつけての手作業であの独特の曲線の形に作り上げていく作業工程は美しかった・・・

多種類の木材を重ねることで良質の音色を生み出せ、最高級のグランドピアノは何と完成に3年もかかるそうです。

そして、その後戦争の時代となりますが、「浜松」は東京と大阪のちょうど中間にあることや、
平らな土地が広がり滑走路を作るのに適した場所でもあったことから、航空自衛隊の最初の基地が作られました。

ピアノ作りの技術が、当初木製だった戦闘機のプロペラ作りに活かされ、その後プロペラが金属製になることで、
今度はその金属の加工技術が管楽器作りに活かされていく・・・という連鎖があったようです。

世界の管楽器の3分の1を製造する工場も見ることが出来ましたが、ここでも一台一台手作りされていました。
脈々と続く歴史と、地形、気候風土、多くの職人の腕と音へのこだわりにより、浜松が「世界一の楽器の町」に・・・

家にあるのは残念ながらグランドピアノではなくアップライトですが、こういう背景を知るとグッと愛おしくなります。
元々アッピアが子供の頃に使っていたピアノなので、弾き手は「アッピア⇒息子⇒私」と家族の歴史でもあるし・・・

益々レッスンに気合いが入りそうですが、そろそろ調律もやって労ってあげないと・・・

2020年1月31日


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女子中高生向け「ファッションレンタルサービス」~息子の学校の生徒を含む「女子高生3人組」が起業

2020-01-24 20:50:22 | はじまりの出来事
人生一度は起業を・・・と考える人は結構います。そのタイミングがいつかは人それぞれですが・・・
私は、31歳の時に会社の先輩と一緒に起業し、社会人になってから描いていた一つの夢を実現しました。

ビジネスは順調に立ち上がり、会社は3年目で何とか黒字となり、6年目には設立時の借入金を完済・・・
その後諸々の事情から会社を離れることになるまでの14年間、必死にもがきながらも楽しく走り続けました。

起業した限りは「何としてでも成功してやる」と色々と試行錯誤をしましたし、失敗もたくさん経験して、
そう言った経験の中から「やれば出来る」という自信を得られたことが何にも代え難い財産になっています。

当時は株式会社を創るのに1000万円の資本金が必要でしたが、今は資本金1円でも会社を創ることができ、
25万円程かかる会社の登記費用、オフィス、当面の運転資金さえあれば起業は難しくない時代になりました。

今から2年前、某大学が主催する「新しい価値やサービスを生み出す高校生向け講座」が初めて開講され、
息子の学校の女子生徒が参加するグループのプレゼンした企画が、最優秀賞を受賞しました。

そして、去年9月には女子高生3人グループにより、その企画を実現するための新しい企業が立ち上がりました。
現役の女子高生が、今の女子中高生達が必要としている新しいサービスを創り出して行くために・・・

その第一弾として、女子中高生が放課後や休日に利用するファッションレンタルサービス「放課後マネキン」が、
2月9日から開始されることになり、今はそのために原宿に開く「Pop Up Shop」の準備が進められています。

ファッションに敏感な女子中高生達が、気になるブランドや少し背伸びした大人のファッションを、
お小遣いの範囲内で、半日~1日だけ身につけて遊ぶことが出来る、安価で手軽なサービスです。

店頭に並んでいる洋服や小物の中から好きなものを選んで借り、更衣室で着替えて自分の服をお店に預け、
遊び終わったらお店に戻り元の服に着替えて、借りていた服や小物を返却するというもの・・・

新しいファッションに挑戦したい、学校帰りに私服で遊びたい、でも着替えを持って来るのは面倒・・・
既存の洋服レンタルサービスは大人向けしかなく、気軽に借りて遊んで気軽に返せるサービスがあれば・・・

興味の移り変わりの早い女子中高生達の、「その時だけこうしたい」「次には違うことをしたい」という思いに、
既存のサービスで対応出来ないのであれば、「どうすれば実現できるのか・・・」を考えて実行する行動力・・・

「『〇〇だから』という常識に縛られずに『あたりまえ』に疑問を持って、ワクワクした未来を創っていきたい」
・・・それが、現役の女子高生という存在である彼女達が、起業しようと思ったきっかけのようです。

遊びたい盛りの彼女達が、人より早く実社会に出て自らビジネスを立ち上げる経験をすることは、
学校生活やアルバイトでは得られない貴重なプレゼントをたくさん手にすることになるのだろうと思います。

夢は大きく、歩みは着実に、彼女達の成長と共にこのビジネスが発展していくことを陰ながら応援しています。
当サービスに興味がある方はこちらをご覧ください。

「株式会社Nadie」HP:https://nadie.co.jp/
公式Instagram:https://www.instagram.com/_nadie_official/


それにしても、まるで「半分、青い。」のストーリーを地で行くような感じで、見ているこちらもワクワクします。
彼女達の「好奇心に満ちた人生に終わりなし」・・・

2020年1月24日


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息子も仲間入りする「18歳成年」で変わること~「成人の日」に考える2年後・・・

2020-01-17 21:24:51 | 最近考えること
私の平日の朝は15分間のストレッチで始まり、週末の朝はストレッチに加え、リハビリか散歩がセットとなります。
土曜の朝はリハビリと筋トレに通い、日曜と祝日の朝はストレッチの後、リハビリ代わりに杖を突いて散歩に・・・

もう2年近くもこの生活を続けていますが、後遺症の痺れでまだ脚力の弱い足に少しでも筋力をつけるため・・・
特に、今のような寒い時期にはこれらをしっかりやらないと、なおさら身体が硬くなって歩きづらくなります。

リハビリのために始めた早朝の散歩ですが、朝から清々しい空気を吸うのが気持ち良くて病みつきになりました。
雨が降ったらサボりますが、ここ3ヶ月位は雨の休日がほとんどないためサボることも出来ず・・・

休日の早朝はまだ人も少なく、いつもは犬の散歩やジョギングする人とすれ違うことが多いのですが、
「成人の日」に散歩をしていると、早朝にも関わらず晴れ着やお洒落なスーツ姿の人に結構出くわしました。

私の頃とは違い、男性はそのまま結婚式に行けるようなお洒落なスーツ姿に女性は見事に華やかな晴れ着姿で、
成人式に出かける前に友達と待ち合わせたり、家族で集合写真を撮ったりとなかなか楽しそうな光景でした。

ところで、息子を含めて2年後の4月1日に18歳、19歳の人は一斉に成年となり、法律上大人として扱われます。
4月2日以降は、それぞれが18歳の誕生日を持って成年となります。

どうしても「18歳で選挙権を得る」印象が強いのですが、親権から外れるため親の同意なく個人契約が可能に・・・
スマホの購入、クレジットカードやアパートの契約、ローンを組んだ自動車の購入、性別の変更なども・・・

また、成年年齢の引き下げによって、2年後以降は「成人式」をいつやるかと言うことがマスコミを賑わせました。
式典を行うタイミングは各自治体が決めますが、従来通り20歳を迎える時に行う予定の自治体が多いようです。

私の住む川崎市でも、従来通り20歳で「成人の日」に式を行うことが決まっているのですが、
式の名称は、現在の「成人の日を祝うつどい」から「20歳を祝うつどい」に変更されるようです。

・・・となると、「成人式」という呼び方も、他の言い方に変わっていく可能性がありますね。
栃木県鹿沼市では、今年から「成人式」を「20祭(にじゅっさい)」と言う名称に変えたと取り上げられていました。

「成人式」を従来通り20歳で行うのは、18歳では受験や就職活動に影響することへの懸念が多いのですが、
特に初年度の式典を18歳からにすると、18~10歳の3つの年代が対象となるので実質無理と言う話もあります。

なるほどと思ったのが、呉服業界が「着物文化の衰退に繋がる懸念」から18歳での式典に反対していること・・・

18歳での式典となると、晴れ着やスーツではなく高校の制服で参加する人が増えると予想されており、
このタイミングを逃すと着物を買う機会が減って、「着物文化」が衰退するきっかけになると言うものでした。

大きなことが変わると、「風が吹くと桶屋が儲かる」的に色々なことに影響を及ぼすものですが、
18歳での式典となると飲酒のきっかけとなり、未成年飲酒が確実に増えるような気がします。

とは言え、私の頃も今も大学入学と同時に実質的に飲酒が解禁になっているのが実態ですが・・・
また、判断力が未熟で契約に不慣れな18~19歳を対象にした若年詐欺などが増える可能性も・・・

何が起きるのか興味は尽きませんが、何はともあれ息子が2年後にはもう成年になることだけは確か・・・
成人式が行われないとすると、個別に何か「成年祝い」を考えなければ・・・

18歳祝いを売りにしたイベントや、新しい贈り物文化も生まれそうで、
親である私が今から勝手にワクワクしています。


2020年1月17日

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警察はどうやって「放火魔・放火癖」を捕まえるのか~犯罪者心理に基づく捜査手法・・・

2020-01-10 23:59:56 | 驚いた出来事
空気がカラカラに乾燥する冬本番となりましたが、私は乾燥肌のため、毎年この時期はケアがなかなか大変です。
ちゃんとケアをしないと、肌がカサカサしてついには湿疹が出て痒くてどうしようもなくなります。

風呂には保湿効果のある天然入浴剤を入れ、保湿効果の高い石鹸を使い、入浴後は保湿クリームを塗り、
リビングでは加湿器がフル稼働、寝室では濡れタオルを掛けたりと、とにかく保湿・加湿対策を総動員・・・

ところで、冬は乾燥して燃えやすい上に暖房で火を使うことも多く、頻繁に火事のニュースが流れます。

私は例年、お正月明けに理容室に行くのですが、理容室は様々な人が集まる一つの社交場・・・
昔から馴染みの理容室のご主人とは、いつもそこで様々な人と交わされた話で盛り上がります。

今回盛り上がったのが、「警察はどうやって『放火魔』や『放火癖』を捕まえるのか」と言う話・・・
火事の原因で、「たばこ」と共にトップを争うのが「放火」・・・

「放火」というと、どうしても36人もの犠牲者を出した去年の「京都アニメーション事件」を思い起こしますが、
あれはかなり特異な事件としても、「放火」と「放火疑い」を含めると火事原因の20%近くも占めるようです。

放火の目的も、怨恨、証拠隠滅、保険金目的、殺人など様々ありますが、
やっかいなのが、放火そのものが目的で何度も何度も放火を繰り返す「放火魔」と「放火癖」・・・

人が大騒ぎすることにワクワクする、歪んだ自己顕示欲から放火を繰り返すのが、「放火魔」・・・
強い興奮や快感を求める衝動を抑えられずに病的に放火を繰り返すのが、「放火癖」・・・

本来、火事に遭った家庭とは何の関係性もないため、捕まえるのも容易ではないように思われますが、
現職の警察官から聞いた犯罪者心理に基づく捜査手法に、なるほどと感心させられました。

火災現場に駆けつけて、警察がまずやることはその場にいる人を一人残さず写真に収めること・・・
そして、写真に写っている人全員に番号を振ってデータベース化するのだそうです。

様々な火災現場で写真を集めていくと、近隣の連続火災だけではなく時期や場所が離れている火災事件でも、
複数の現場で同一人物が写っていると、その人が犯人である可能性が高くなります。

そうすると、今度はその人物を特定するために内偵を進めていくのだそうです。

火災現場でインタビューを受けた人が実は犯人だった・・・というようなことも時々起きますね。
つまり、「放火魔」や「放火癖」の人は野次馬を装って現場にいることが多いと言う犯罪者心理があります。

「放火魔」や「放火癖」の人は、家が激しく燃えたり、大騒ぎするのを間近で見ることで欲求を満たす訳ですね。
その犯罪者特有の心理を巧みに突いた捜査手法と言えそうです。

驚いたのは、たまに消防士が放火犯と言うこともあるようです。捜査していくと消防士が犯人として浮かび上がる。
そんなフィクションみたいなことが本当にあるのかと思ったら、実際にあるのだそうです。

その心理として驚かされるのは、自分がその火を消すことで英雄になるために放火するケースや、
燃えさかる炎で快感を得る「放火癖」の人が、その欲求を満たすためにわざわざ消防士になっていることもあるよう。

年明け早々にちょっと怖い話を聞いて、人間って本当に複雑でミステリーな存在だなと思わされました。
人間は、古代に火を使うことを知って劇的な進化を遂げましたが、文明が進化すると同時に歪んだ心理も出現する。

何でもそうですが「全てよし」と言うものはなく、
コインのように必ず表面と裏面があると言うことだけは認識しておく必要がありそうです。

2020年1月10日


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コメントのお陰で思い出す「息子が『デビルキッズ』だった頃」~新年の挨拶に代えて

2020-01-03 23:49:37 | 懐かしい思い出
2020年、明けましておめでとうございます。
昨年は「令和」で盛り上がりましたが、今年はオリンピックイヤーと言うことでどうしても「2020」を意識してしまいます。

それにしても、カルロス・ゴーン被告の海外逃亡、金正恩の米国挑発演説、米国のイラン革命防衛隊司令官殺害と、
年明け早々心がざわざわするニュースが相次いでいて、早くも波乱の一年が予感させられますね。

「ノア」さん、昨年末には久し振りにコメントをいただき大変嬉しかったです。どうも有難うございました。
「ビリー・ジョエル」の来日ライブの話がご縁で、以前にコメントをいただいたこともよく覚えています。

奥様が亡くなられてもう2年になりますね。息子さんは今3歳か4歳位でしょうか?
一番かわいい年頃ながら第一反抗期真っ只中の難しい時期でもあり、ノアさんの子育ての大変さも偲ばれます。

ところで、コメントをいただいたお陰で、同じ歳の頃の息子の「デビルキッズ」ぶりを思い出しました。

最近はあまり耳にしなくなりましたが、息子が第一反抗期だった頃はよく「デビルキッズ」と言われていて、
その呼び名の通りまさに「かわいい悪魔」だと実感し、しばらく気が休まらなかったことを思い出します。

当時、アッピアが幼稚園生だった息子にピアノを習わせようと「ピアノ教室」に通い始めましたが、
ピアノの前にじっと座っていることが出来ず、走り回って椅子に座らない、やっと座ったらふざけて弾くなど、
全くレッスンにならずしばらく先生とアッピアを困らせていました。

付き添っているアッピアも、レッスン中ずっと声を張り上げていることに疲れ果てていましたし、
その後、教室から個人の先生に代えたのも、ふざけすぎて他の子に迷惑がかかると言うのが一番の理由でした。

歩く時はすぐ車道に飛び出すので手を離すことができず、それでも機を見てスルッと手を振り解こうとするので、
ずっときつく握りしめているこちらの手は痺れて感覚がなくなりそうになったことも・・・

当然、電車や新幹線の中でもじっとしていることが出来ず、すぐに座席を抜け出してはしゃごうとするので、
必ず腕を強く掴んで座席に押さえつけていました。とにかく、息子と出かけている間私の手は痺れっぱなし・・・

また、好奇心が異常に旺盛で、街で押しボタンを見つけたら押さないと気が済まなかったことは本当に疲れました。
家の玄関のインターホンを押すのは当たり前で、それ以外にもボタンと言うボタンを押しまくっていました。

こちらは家のインターホンで応答がある度に、「子供が押しました。すみません。」と頭を下げていましたが、
最悪の思い出はデパートのエレベーターの停止ボタンを押された時・・・

突然エレベーターが止まるので、当然乗っている方は皆さん「何が起きたんだ・・・」と驚きます。
「子供が止めました!申し訳ありません!すぐに動かします!」とデパートの中で大声で叫ぶあの恥ずかしさ・・・

当時、同じような危なっかしい子供を持つ親の中には、子供の腰に紐を結んで出かけている方もおられ、
「まるでペット扱いだ」「危険を回避するには仕方がない」などとちょっとした論争になっていました。

私も手が痺れ気も疲れて、もうどうしようもない時には真剣に紐を用意しようかと考えましたが、
結局実行する前にスッーと第一反抗期が過ぎて行きました。

その時期の親は大変ですが、子供の成長過程、自立の第一歩なので、嵐が過ぎるのを待つしかないんですよね。
その子によって現れ方はそれぞれですが、今となってはもう二度とない懐かしい思い出となりました。

まあ、子供の反抗期は時期が来れば収まりますが、一番やっかいなのは「大人のデビルキッズ」でしょうか・・・
カルロス・ゴーンや金正恩のように・・・(トランプ大統領を入れようかどうか迷いましたが、取り敢えず止めました)

今年も一年引き続きよろしくお願いいたします。

2020年1月3日


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