波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

転移後のリアルライフ【6】・・・初の沖縄旅行・幼稚園入園

2012-05-12 22:55:19 | 転移後のリアルライフシリーズ
2006年9月に卵巣・子宮摘出手術を行い、息子の幼稚園も決まり、また元の子育て生活に戻った。
ナベルビンは奏効し始め、マーカーも下がり、画像上はどこにもがんが認められない状態 = 寛解が約3年間続く。
今思えば、奇跡の3年間であり、私と主治医の間では語り草だ。
「ホントに良く効いたよね、ハーセプチンとナベルビン様様だね。」

さて、手帳を見ながら、ナベルビン時代の治療と子育てと日々の生活のことを、ワープせずに振りかえってみます。

2006年ももうすぐ終わり、病気発覚後3度目のお正月を迎える。今回も年末年始は、主人の実家の大阪で過ごす。
大阪では、義父(おじいちゃん)が、家の廊下にお手製のバスケットゴールを作ってくれて、
息子はおじいちゃんに抱きかかえられながら、キャーキャー騒ぎながらボールをゴールに入れる遊びが楽しくて
しかたなかった。おじいちゃんは何でも器用に作ってしまう。
でもこれがお正月でのおじいちゃんとの最後の思い出になるのを、この時はまだ知らない。

そして1月末には、我が家の超ビッグイベント、沖縄旅行が実現した。
私もダンナも沖縄に行ったことが無く、是非一度行きたかった。ダンナが休みが取れたこともあり、
しかも時期的に料金が安い、ということで思い切って行くことになった。
トラベルエージェント・アッピアの再登場。やはり離島も押さえたいので、本島3泊石垣島2泊で計画。

結果は、とても楽しくわくわくの旅行だった。首里城やグスク(城址)巡りも好きだったし、
息子は豚肉たっぷりの沖縄そばにハマッたし、何と言っても石垣島の海の美しさと言ったら!
しばらく滞在して、この透き通る海をいつまでも眺めて過ごしたかった。
石垣島は、底地ビーチの石垣シーサイドホテルが気に入り、いつかまたこのホテルに連泊して
今度は夏に思い切り海に入るぞ、と決意した。実は昨年(2011)のGWにそれが実現しそうになったが、
すったもんだで西表島になったのは、すでに記事にしたとおり。

もうひとつエピソード。本島で泊まったホテルのお隣の部屋は、なんとヤクルトの大矢監督(当時)だった。
丁度春季キャンプが始まったばかり。コーチが夜な夜な監督の部屋の前に来ては、部屋のドアの下に資料のような
紙を差し入れていた。選手のデータか?
朝のビュッフェでは、選手たちがたくさん食べに来ていた。そばで見るとみなデカいわ。

夢のような沖縄旅行も終わり、4月の幼稚園入園に向けて準備だ。
まず、実家で巨大な置物と化していたピアノを我が家に移設し、分解そうじやら調律やらメンテをした。
正直安めのピアノが買えるぐらいのお金がかかった。ピアノは、まず私自身が30年振りにまた始めたかったし、
息子も興味を持ってくれれば、習わせたかった。

保育園も卒園になる。私の入院時もすごく心配してくれたベテラン保母さんに、お礼の手作りケーキを差し上げた。
息子もいよいよ幼稚園入園。新しい社会に入っていくんだね。
幼稚園の真新しい制服を着せると急にお兄ちゃんに見えてきた。

さて、治療の方は順調に推移している。副作用は、やはり白血球減少と口内炎と血管痛だ。
しかし毎週の通院はもう、週一仕事に行く感覚で淡々とこなしている。生活にすっかり組み込まれた感じだ。

2007年4月、幼稚園の入園式も無事終わり、これからの幼稚園生活に、私の方が期待と不安が入り混じる。
幸い幼稚園は歩いて3分の近さ。毎日の送り迎えも苦にならない。
ただし給食はなく、週4回お弁当を作らなければならない。これは母の仕事、がんばるしかない。

幼稚園が始まると、さっそく保護者会や親子茶話会などがあり、私も本格的なママ友社会にデビューした。
だが正直言って苦手だ。私は大学も会社員時代も男社会の中で生きてきたので、女性同士のコミュニケーションや気遣いが
よくわからないのだ。しかもママ友の平均年齢は、私より10歳ほど下だ。話が合うのだろうか。
結果は、何の問題もなかった。理由は、私の精神年齢が低いからか。
ところで、病気の事は誰かに話すべきなのだろうか。個人面談の時に担任の先生には正直に話した。

最初の数週間ぐらいは、幼稚園にちょくちょく覗きに行っていた。息子がみんなと楽しそうに遊んでいるか、
気になるものだ。5月にはミニ運動会や家族参観などがあり、元気な姿を見せてくれた。
こうして親子共々、順調な滑り出しであった。

6月からは、息子はカ○イ音楽教室に通うことになった。この時から5年後の今までピアノは続いているのだから、
一応褒めてやりたい。ピアノは、だんだん難しくなるこれからが勝負だけどね。
そういう今年(2012)も、6月初旬に発表会があり、現在それに向けて練習真っ最中である。
今回は初のブルグミュラーの曲に挑戦する。

さて、6月には私も半年ぶりの造影CT検査があった。マーカーが低値安定なので特に不安はなく、
果たして問題はなかった。

6月はもうひとつ、実はとてもショックな知らせがあった。
それは・・・つづく。




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転移後のリアルライフ【5】・・・手術の後もいろいろ

2012-04-23 18:08:43 | 転移後のリアルライフシリーズ
2006年9月下旬に卵巣・子宮摘手術が決まったが、入院前の転移箇所探しの検査オンパレード
の日々、さぞかし不安と恐怖の毎日を送っていたのだろう、と思いきや、ふと当時のアルバム
を眺めてみると・・・・。なんかあちこち遊びに行っているし、アルバムな中の私は結構楽しそうな
表情をしていた。検査は検査としてちゃんと日常を楽しんでいたようだ。

6月下旬には、両親と弟家族と箱根旅行。
7月は、三浦海岸へ海水浴、地元のお祭り。
8月は、大阪帰省に併せて高野山日帰り旅行、おかあさんといっしょファミリーコンサート。

しかし8月には息子最大の危機が・・・。近所の公園のジャングルジムの一番上から、
足を滑らせて転落したのだ。落ちたところはコンクリート、息子は大泣き。すぐ救急車を呼ぶ。
レントゲンは異常なし。でも打ったところの頭はいくらか凹んでいる?夜は1,2回吐いた。
これは頭部異常ではなく、よくあることらしい。結局事なきを得たが、それから数年間、
私はジャングルジムには近寄ることができなかった。

さて、9月下旬の入院に向けて、パジャマを買い足したり、図書館で本を大量に借りたり、
お茶・コーヒーセットを作ったりと、準備に余念がない。なんか合宿前のテンションハイ状態。
婦人科入院なので先生たちも馴染はないが、執刀医の先生も信頼できそうだし、手術に関しては
特段不安はない。

果たして手術も無事終わり、回復を待つだけとなった。さすがに乳腺の手術とは違い、
内臓の手術はキツイ。術後しばらくは、寝返りも起き上がるのも一苦労で、咳や大笑いは地獄の
痛みが待っている。それでも日ごとに痛みは和らぎ、術後10日程で退院した。
今回は2人部屋だったが、入院期間の半分は私一人だったので、個室気分を味わえて快適。
余計な人間関係の苦労も皆無。めでたし。

術後の病理の結果が出た。やはり乳がんからの転移。大きさは(聞いたのだろうが)忘れた。
少量の腹水があり、そこにも癌細胞があったが、全部取り切れた。腹膜転移は無し。
まあ想定内。腹膜転移がなくてよかった。腹水はドキッとしたが、あとはナベルビンに任せよう。

入院中は、今回も大阪の義母が手伝いにきてくれた。いつも頭が下がる。
退院10日後に保育園の運動会があり、私も見に行って楽しんだ。息子にとって初めてのかけっこは、
わけがわかっていなかったが、お父さんとの競技は本当に嬉しそうに参加していた。
義母も目を細めて喜んでくれた。

11月1日には幼稚園の入園手続きがあり、希望の幼稚園(家の隣)に入れるよう、ダンナと二人で
いくつかの幼稚園をかけずり回り、抽選の結果を伝えあい、ドタバタ劇だった。
幼稚園ごときでなんで?疲れたわ。

術後の治療は、退院直前に早くも抗がん剤を再開した。
ナベルビン2投1休、ハーセプチン毎週、ゾメタ4週に1回。つまりは毎週の通院だ。
今のところ吐き気などはないが、血管痛と口内炎と白血球減少が主な副作用だ。
しかしだんだんペースもつかめてきた感じだ。

術後1カ月がたち、体力もだいぶ戻ってきたので、家族で初めてのディズニーランドに行った。
私は10年以上振りでかなり興奮。息子も大喜び、と思いきやちょっと元気がない。
夕方になるころ疲れたのか、気持ちが悪い、と言いだす。仕方なく楽しみにしていた(私が!)
エレクトロニカルパレードは諦め、駐車場に向かった。あれ、なんかかなり悪そう。
しゃがみ込んで吐いた。風邪か?胃腸炎か?これは急いで帰らねば。

車で1時間半、車中で10回ほど吐いた。帰ってからも夜中まで吐いていて、私はつきっきりで寝られず、
疲れ切った。翌日の休暇を挟んでその翌日、病院で点滴を打ってもらい、なんとか回復に向かった。
しかし今度はダンナが吐き始めた。私は疲れ切った身体に鞭打ってダンナを病院に連れていく。
やはり点滴。処置が早かったので回復に向かう。やれやれ。数日後の、すごく楽しみにしている
ビリー・ジョエルのコンサートには絶対行きたいのでそれまでの辛抱。

だが今回私は大丈夫なのかな、と思っていた矢先、やはり来た。気持ちわるっ。トイレにこもって吐く。
あーあ、もういやだ。抗がん剤でも吐いたことなかったのに。つ、辛い。
ということで、ビリー・ジョエルも消え去り、とんだ一週間だった。ウイルス検査はしていないが、
ノロウイルスあたりか。そしてディズニーランドはちょっとしたトラウマになり、
数年後にディズニーシーに行くも、未だに2回目のランドは実現できていないまま。
ついでに、数年後にテレビで放映したその時のビリーのコンサートは、往年の名曲オンパレードで、
素晴らしかった。テレビを見てしばらくは、悔しすぎて眠れなかった。

12月に入り、通院前の散歩と称して新宿御苑の紅葉を楽しんだり、街中のイルミネーションを見に行く
余裕も出てきた。早くも告知後3度目のクリスマスを迎える。が、なんとクリスマスを前に息子がまた
吐き始めた。こ、今度は何だ?イブの24日は休日診療所に駆け込んだ。最後の最後までこんなか。
でも今回は軽く済んでよかった。息子は胃腸が弱く吐きやすいのだ。
こうして、手術したことが遠い昔のように感じられるぐらい、息子のことでバタバタと忙しく疲れたが、
手帳を良く見ると、ママ友とランチしたりしっかり息抜きもしている。なるほど。

さて、ナベルビンの効果の方は・・・腫瘍マーカーCAEが基準値に入った。思った通りだ。
きっと腹水にあった癌細胞がもし残っていたとしても、既に叩きのめしてくれているだろう。
そして、ナベルビンは・・・結論から言うと劇的に効果を発揮し、約3年間の寛解をもたらしてくれた。
この幸せな安定した3年間は、そのまま充実した幼稚園ママ時代を私に与えてくれたのだ。

えー、そうなの?ならこの転移後シリーズも3年分ワープするのか?

つづく・・・。




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転移後のリアルライフ【4】・・・意外な転移箇所判明

2012-04-17 17:03:45 | 転移後のリアルライフシリーズ
再発後の治療タキソール(パクリタキセル)を始めて12クール(1年ちょっと)
が終了した、2006年4月、腫瘍マーカーのCEAが上がっきた。まずは様子見。何か症状が出ているわけでもないし、
体調は良いので、春到来ということもあり、家族であちこち出かけていた。

こんなこともあった。ある平日、以前勤めていた会社の後輩たちと数年ぶりに都内でランチを約束していた時、
子供を連れていく途中、地下鉄の駅で子供がむずがった。運悪く雨の日で傘や荷物を持っており、
約束の時間に遅れそうで焦った私は、息子の腕を無理やり引っ張って歩こうとした。すると息子が
私の手から腕を滑らせ、尻持ちをついた拍子に背中や頭もぶつけたようで、即大泣き。必死になだめ
あやしたが収まらず、私も心配になり救急車を呼んで病院に運んでもらった。
病院につくころには泣きやみ、結局レントゲンも必要なしということで事なきを得たが、後輩との
ランチはおじゃんに。そして、再度のランチの機会がないまま今に至る。
あーあ、あの日雨でなければ。息子が大人しくついてきてくれていたら・・・。これも運、ではなく運命なのね。

上がり始めたCEAの数値に多少の不安感を覚えつつも、GWには、伊勢・志摩4日間の家族旅行を決行した。
場所選びから宿・列車・レンタカーの手配、旅のスケジュールまで私は何でもこなす。
行き先選定のポイントは、風光明媚な場所。特に海沿いや多島の景観が好きなので、今回はここに決定。
テーマパークのパルケエスパーニャ(志摩スペイン村)があるのもポイントになった。
まあここはTDLのマネで、遠くTDLに及ばないけれど。

旅行直前に3歳の誕生日を迎えた息子は、さすがに抱っこ星人は卒業して一緒に旅行を楽しんでくれそうだ。
もちろんまだまだ手はかかるけれど。

旅行は楽しかった。海もキレイだったし、遊覧船に乗ったり、伊勢神宮にお参りに行ったり、
パルケで思い切り遊んだり。鳥羽水族館やミキモト真珠島にも行き、志摩半島ドライブで見に行った
夕陽の英慮湾も絶景だった。

楽しいGWも終わり、すぐ通院日、即現実に戻る。この頃から、私の都合で診察予約日を変えた関係で
主治医が中堅男性医師に変わる。中堅女医先生は若干苦手だったので丁度いいや。
それにこの先生は結構話せる印象。(今の主治医です。もう6年のお付き合いなのですね。)

やはりマーカーが上がっているので、検査のオーダーが入る。骨シンチ、肝臓MRI、PET/CT。
肝臓は転移巣見られず。骨も変化なし。しかしPET/CTで、下腹部に集積アリの結果が。
でも癌の集積かどうかはわからず、ネットで調べたところ、排卵時期もPETで黒く映るとか。
確かに排卵時期とぶつかってはいる。やはりグレーだ。念のため大腸内視鏡も受けた。結果はシロ。
主治医も首をかしげつつ念のために骨盤MRIの検査を受けた。排卵ではなく卵巣を疑っての事か。
結果は、卵巣転移の疑い濃厚と出た。ただし原発の可能性も否定できないので、摘出手術をして
組織検査しないと確定はできない、とのこと。

ついに再々発の告知をされたわけだ。しかも卵巣転移なんて周りであまり聞かない。珍しいのか?
普通より良くないのか?主治医は否定するが、私の不安は大きい。
後で婦人科医に聞くと、良いホルモン剤がない昔は、治療のために卵巣を摘出することが多く、
組織検査に回すと癌細胞が見つかることも珍しくなかった、とのこと。

いずれにしても再々発は間違いなさそうなので、抗がん剤を変えることに。
タキサンの後はゼローダ。これが当時の主流だしこの病院もその方針であった。
「ゼローダがいいでしょう。」と主治医に言われた。しかし、4月から3ヶ月の転移巣探しの検査中に
自分なりに調べて、私は日本で認可されたばかりのナベルビンに注目していた。特にハーセプチンとの
相性が良さそうとの印象を持っていた。

私「ゼローダの前にナベルビンを先に使いたいです。」 
主治医「ゼローダもナベルビンも効果は同じだと思いますよ。ゼローダの方が実績や安全性が高いし・・・。」

あーなるほど、病院側としては使い慣れたゼローダでいきたいというわけだ。ナベルビンは
血管痛も考慮しないといけないし、現場での手間もかかるわけだし。
でも今回も、前回のタキソール延長の時と同じで、自分の中でナベルビンと決めていたので、
ナベルビンを押し切る。もういつものことだ。主治医が変わろうと関係ない。
それに今の主治医は「・・・どうなっても知らないよ。」的な脅しもなく、私の意思を尊重してくれる
雰囲気がある。
「どうしてもナベルビンで行きたいです。」こうして決定。使い慣れていなくても構わない。
頑張って慣れてくれ、看護師さん。

ナベルビン1回目投与は8月初旬。看護師は何となくビビリながら扱っていたが難なく終了。
しかし、その週末から下腹部が痛くなった。原因は不明。ナベルビンの副作用とも思えない。
久し振りにプールに行ったからお腹が冷えたのか。ロキソニンを飲んでも治らず、
翌日も痛みが続いたので、病院へ。

外来のベッドで痛み止めの点滴を打ってもらう。だが治まらない。3、4種類の痛み止めを次々に
点滴で落としてもらったが、どれも効く気配がない。医師も困り果てる。
婦人科にも回されたが原因はわからず。もしや転移の疑いのある場所が悪さしているのだろうか。
婦人科でもサジを投げられ、再度主治医のところに回された。
私はもうやぶれかぶれに、
「精神的なものかもしれないので、手持ちの抗鬱剤パキシルでも飲んでみます。」
と言って、診察室を出てきた。
主治医もそれで様子を見てみて、と。今思えばかなりアバウトな対応だ。

その夜からパキシルを飲み始めて翌日気がつくと、痛みの質が変化してきていた。
早くも治っていく気配が感じられる。そうして霧が少しずつ晴れていくように、痛みも消えていった。
やはり心因性の痛みだったのだ。ここ数カ月、自分では大丈夫なつもりでも、グレー結果のまま
検査に次ぐ検査で相当ストレスが溜まっていたようだ。

婦人科の診察を経て、卵巣・子宮摘出手術が決定した。

ナベルビン1クールが終わり、主治医から嬉しい知らせが。早くもマーカーが下がり始めたのだ。
やった!手術を前に心強い。なぜなら、万一手術の結果が悪くて癌が取り切れないようなことがあ
っても、ナベルビンが叩いてくれるに違いない、そう思えたからだ。

手術のための入院が9月下旬に決まった。

つづく・・・。





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転移後のリアルライフ【3】・・・タキソール続行と再々発の兆し

2012-04-13 23:54:13 | 転移後のリアルライフシリーズ
【転移後シリーズ】ずいぶん間が空いてしまい、すいません。
前回は、転移発覚後のタキソール投与と家族旅行(独房ホテルよね)のことなどを書きました。

2005年7月、子供が保育園に通いだして、私も昼間にゆっくり買物や用事をこなしたりでき、
気持ち的にもゆとりが出てきた。こうして保育園側にいろいろ配慮してもらい、少しでも自分が楽に
なることができて、本当にありがたい気持ちだ。ちなみにその時の保育園の担当の先生(50代)は、
私の体調のことも常に気にかけてくれて、お母さん達の間でも絶大な信頼を得ていた。
ここにも、大きな支えがあったのだと、感謝せずにはいられない。(幼稚園の先生はその点クールだったが。)
幼稚園入園のため保育園を去るときには、私は慣れない手作りケーキを作って、先生にプレゼントした。

2005年8月は、ダンナも夏休みが取れて、那須高原に2泊3日の2回目家族旅行に出かけた。
那須にした理由は、高原・涼しい・子供向けレジャー施設が豊富・ホテルやお店がたくさんありそう、
などである。もちろん、宿にはこだわった。「普通」であることに!
那須ロープウェイ、りんどう湖ファミリー牧場、那須サファリパークなどお馴染のところで存分に
遊んだ。息子はまだ抱っこ星人でたいへんだったが、気持ちいい自然と美味しいものも食べて、
やはり旅行はリフレッシュする。小さい旅行でもいい、年に数回は絶対に行きたい、と思った。
(旅行のアルバム写真を見たら、息子がちっちゃくてカワイイし、私も若い、今よりはね!)

さて、タキソールが予定の6クールを終わり、主治医のベテラン女医の診察があった。
「肝臓の転移巣も小さくなったし、予定どおり6クールで一旦タキソールを終わりにしましょう。」
と言われた。私は少し前から、セカンドオピニオンに行ったりネットで調べて、タキソールは
副作用が重くなければ、効果が持続している間は継続投与が望ましい、という意見を得ていた。

私自身も、このままタキソールを続けたいという希望があったので、ベテラン女医にそう伝えた。
するとベテラン女医は
「抗がん剤をこのまま続けると、免疫力が落ちて日和見感染など重篤な副作用が出る可能性があるから
お勧めできない。」旨のことを言った。

私「ん???・・・・・・。」継続投与を心の中で決めていた私は、結局ベテラン女医と中堅女医2人を
相手に格闘?して、ついに継続投与を勝ち取った。最後は、「どうしてもというなら仕方ないけど」と。
これは病院の方針なのだろうか。このころから、私の中でこのままこの主治医でいいのかなあ、
と漠然と思い始めた。

そしてタキソール後半戦に入る。
2005年9月からタキソール治療をしながら、子育てに追われ、子供をいろいろなイベントに連れて行ったり、
ママ友と交流したり、たまに患者主催の乳がん講演会に行ったり、手帳は結構埋まっていた。

10月には、母親に息子を預け、夫婦2人で立山黒部アルペンルートに旅行に行かせてもらっている。
既に病気の印籠を掲げてワガママをやっていたのでだ。
立山の室堂平(標高2450m)の景色は圧巻だった。

11月には、半年ぶりに肝臓の画像検査を受けた。タキソール継続の評価が出る。
結果は、画像ではほとんど確認できないほどに転移巣縮小。やった!

クリスマスイベントを楽しんで12月も終わり、年末年始は予定どおりダンナの実家である大阪に帰省した。
2005年は、再発が発覚するも治療が軌道に乗り、副作用もそれほどでもなく、旅行や遊びも行けて
良い年だったのでは、と思った。

こうして年が明けて2006年。1月から3月も、毎週通院しながらもつつがなく過ぎた。
タキソールの後半6クールが終わったので、3月からはハーセプチンとアレディア(ゾメタの前身)
だけになる。抗がん剤はこれからどうするのだろう。さらにタキソールを継続した方がよいのだろうか。
また女医連合に進言する勇気が私にはあるのか?

そうこうしているうちに、腫瘍マーカーCEAが少しずつ上がってきた。
またどこかにがんが増殖し始めたのだろうか・・・・・。

つづく・・・。 



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転移後のリアルライフ【2】・・・タキソール効果判定と初家族旅行

2012-03-18 11:07:28 | 転移後のリアルライフシリーズ
2005年1月に転移が判って、ハーセプチン、タキソール、アレディア(今のゾメタ)の抗がん剤がスタートした。
脱毛が始まる前には、最新鋭のパナソニックのバリカンを購入し、海兵隊のごとく丸刈りにした。
これで家じゅうに髪の毛がパラパラ落ちてきてイライラすることもない。
息子は状況が飲みこめず、お風呂で私のツルツルの頭を触って喜んで(?)いた。

5月のGWは、息子の2歳の誕生日も迎えるので、子連れ旅行デビューと行きますか。
行先は気候温暖・風光明媚な伊豆にしよう。

雑誌で見つけた、幼児連れでも安心できる伊豆高原の幼児連れ専用ホテル(子どもホテルともいう)に予約した。
部屋は段差や余計な備品がなくて安全だし、洗面台も子供用の高さに合わせてあるし、
レストランも開放的でステキだし、離乳食も完備(ウチはもう普通食だけど)、
なんと子供の食事が先に出て、食べ終わる頃に大人の食事が出てきて、食事中子供はキッズルームで
遊ばせてくれる、という配慮の行き届きよう!
ここしかない!と予約し、早速車でGO!長距離ドライブ大人しくしてくれるかな。

大室山のリフトや小室山のつつじ公園、伊豆一碧湖、シャボテン公園、伊豆海洋公園、天気も良く
広々とした海を見て気持ちも大いにリフレッシュした。
息子はまだまだ抱っこ星人だけど、家族3人で旅行に行けた、ということが、
そういう当たり前のことが嬉しかった。

いやあ、良い旅行だったね、ひとつを抜かせば・・・。ひとつ?・・・例の子どもホテルである。
至れり尽くせりの良いホテルだったのでは?それが違ったのだ。

素敵な吹き抜けのレストランに入ると、全てのダイニングテーブルに子どもイスが取り付けてあり、
既にたくさんの若い子連れファミリーが席に着いていた。
・・・微笑ましい、というより何か不自然な感じ。何かの団体?
老若男女が程良くいて自然と言うもの。

若くはない私たちも席に着いたが、2歳児の息子はじっとしていられない。席を抜け出し、
チョロチョロ歩き回り、他の人の席に紛れ込み、観葉植物の植木鉢に登り・・・、ハァ・・・。
疲れて部屋に戻っても、安全性のためかテーブルもポットも湯のみもなく床の間もない狭い部屋、
窓も小さい。荷物を置く場所もない。子どもに合わせた低い洗面台では、息子が喜々として蛇口で遊び、
周りがすぐに水浸しになる。やすらぐどころではない。うんざりした宿だった。
名付けて「独房ホテル」。二度と泊まりたくない、非常に印象深いホテルであった。
楽しい家族旅行も終わり、また週1治療通院と家事・育児の日常に戻る。

5月の手帳を見ると・・・。大学のゼミの同期(男8、女2)で久し振りに集まっている。
確か、私が、勢いで病気のこと、転移のことまでカミングアウトし、慌てふためいた(?)みんなが
多忙な合間を縫って集まってくれたような。7年後の今も元気でいるとは詐欺的な感じもするが、
これを機に1~2年に一度は集まっているので、良いことではないか、あっはっは。

タキソールを初めて4ヶ月目。副作用は・・・脱毛以外あまり感じない。
もちろん白血球は低め安定だが。吐き気も、痺れも、味覚異常も、爪トラブルも、倦怠感も・・・ない。
良かった。

手帳は語る・・・。気候もいいので、家族で近場に遊びに行ったり、子どもの習い事体験に行ったり、
かと思えば、ホスピスや墓地の情報に敏感になったり、まだ気持ちが混乱することもあるのだ。

そう、まだ再発治療ははじまったばかり。抗がん剤の効果はどうなっているのか。
4月の腫瘍マーカーは下降、5月の画像検査では、肝臓の2cmの転移巣が4mmに縮小していることが
分かった。初めての再発治療の効果判定は吉と出て、心底ホッとした。

さあ、これでしばらく安心して日常生活が送れるぞ。
余裕の出てきた私は、虫歯を治したり、がん患者サポートプログラムに出てみたり、
あじさいや菖蒲の花を見に行ったり、久し振りにカラオケにも行っている。
それもこれも副作用が軽かったおかげもある。

7月に入り、ママ友の情報もあり、息子を週2回保育園に預けることにした。
本来はパート主婦用クラスだが、通院だからと特別に認めてもらい、通わせてもらうことにした。
息子には通いだしの頃は試練だったけれど、実母の負担や何より私の負担が減り、
息子も遊びのバリエーションが増えてよかった思う。
1年弱この保育園に通い、諸事情で別の保育園に週3回通い、その後普通に幼稚園に入園している。

もうすぐ夏休み、といっても保育園に夏休みはないが、また家族旅行に行きたいな。
独房ホテルだけはもうゴメンだけど。

タキソール治療も半年経過、病院側は6クール(約半年間)で一旦終わりと言っているが、
まだ効いているし、自分的には続けられそうなんだけれど、そうなるのだろう。

つづく・・・。




このペースで綴っていると、7年分の転移ライフ終わるのにどれだけかかるのか。
少しペースを早めようかな。いずれにしても最後まで書ききる所存ですので、応援クリック
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