波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

高齢化社会でリハビリ需要の増加に伴う・・・「リハビリ難民」問題

2018-05-25 23:46:24 | 最近考えること
☆アッピア夫です。

西城秀樹さんが5月16日に逝去されましたね。
180㎝を超える長身でパワフルな西城さんは、まだ子供だった私にとっては「イケてる兄ちゃん」でした。

二度の脳梗塞を発症して一線から退いた後も、たまにテレビで歌っている姿を見かけましたが、
発声もままならない姿が痛々しく、「そこまでして歌わなくても・・・」とも思っていました。

その後、後遺症に苦しむ中で「また歌いたい」と言う気持ちを持ち続け、
「諦めたら終わり」と懸命にリハビリに取り組んでいることを知ってから、応援する気持ちになりました。

アイドル時代は熱唱する姿が印象的でしたが、最期まで現役復帰を目指し「生き方も熱い」方でしたね。

その西城さんが、ずっと「自費のリハビリ施設」に通っていたことを最近になって知りました。
私は、現在「整形外科病院のリハビリ科」に通っていますが、「リハビリ」と言うのはなかなか複雑です。

まず、「リハビリ」は「医療保険」か「介護保険」の対象となりますが、
大まかに言って「回復期」が「医療保険」、「維持期(慢性期)」が「介護保険」の範疇となります。

そして、「リハビリ」は「怪我・病気・障がい」などの種類によって分類されています。
なぜ分類されるかと言うと、医療保険・介護保険が適用される期限が違って来るためのようです。

その分類と、入院・外来を含めて保険が適用される期限は以下の通り・・・

①呼吸器関連・・90日 ②運動器関連・・150日 ③心大血管疾患・・150日 ④脳血管疾患・・180日
⑤がん患者・・入院している間 ⑥認知症患者・・入院より1ヶ月 ⑦障がい者・・期限なし

ここで問題なのが、期限を過ぎたら回復途上であったとしても、保険適用でリハビリを受けられないこと・・・
そうなれば自費でとなりますが、お金持ちでもない限りそれが出来る期間も限られますね。

その結果これから問題化すると言われているのが、「リハビリ難民」・・・

西城さんは、仕事以外の時間はほとんどリハビリに費やしていたようですが、
それが出来るお金がなければ、自分でリハビリを行うしかなくなる・・・

私の対象となる分類は「運動器」となりますので、リハビリを受けられる期間は約5ヶ月・・・
7月位には仕事に復帰をと考えていますが、足のしびれが保険適用の間に消えてくれるかどうかは・・・?

今から仕事への復帰後のリハビリ体制のことを考えておく必要がありそうです。
それにしても、我々が高齢者の域に達する頃には、何でも自己完結で出来ないといけないのかも知れませんね。

リハビリや介護さえも・・・
介護を自分で出来れば介護ではないのですが・・・

2018年5月25日


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いつの間にかこんなにも増えていた「男性看護師」

2018-05-18 09:19:30 | 最近考えること(多様性)
アッピア夫です。

今年は季節の移り変わりが異常に早く、リハビリで歩くにもきつい毎日が続いていますね。
爽やかなはずの5月なのに、もう蒸し蒸ししてこのまま早くも梅雨に突入していくのでしょうか・・・

今回、3週間ほど入院しましたが、不思議なことに一度も「早く帰りたい」とは思いませんでした。
初めて知ることがあまりにも多くキョロキョロしていたこともありますが、入院生活そのものがとにかく快適でした。

医師や看護師はもちろんのこと、ソーシャルワーカーの方や、リハビリでお世話になった方々・・・
皆さんの対応が素晴らしく、入院中の食事もすごく美味しく、自分の身体の不自由さ以外は言うことなし。

また、アッピアの入院に付き添った頃と比べて「病院も随分変わったなあ」と思わされました。
アッピアが入院中の食事は正直美味しくなかったのですが、病院にもよるのかそれとも進化したのか・・・
桜を眺めながらの「桜の特別メニュー」などは、涙が出そうな程美味しかったです。

まず、看護師の人数そのものが以前よりも随分と増えました。
「看護師1人が7人の入院患者を担当」と言う基準を採用する病院が増えたためなのでしょうか。

入院時期がちょうど年度の変わり目で、退院間際には新人看護師もたくさん配属されて来ました。
病院全体で毎年100人前後採用されるようなので、もう大企業並みですね。

中でも一番驚いたのが、「男性看護師」がたくさんいたこと・・・
私のお世話になった整形外科病棟では、看護師全体の1/4程もいたように思います。

幾度とあるアッピアの入院でも、「男性看護師」にお目にかかったことは一度もなかったですね。
乳がん病棟なので当然と言えば当然ですが・・・

「男女雇用機会均等法」が施行されてもう30年・・・その時に「看護婦」から「看護師」に名称が変わり、
男性も積極的に受け入れるようになりましたが、時を経てまさかこんなに増えているとは思いませんでした。

調べてみると、「男性看護師」はこの10年で2倍以上に増えたものの、全体的にはまだ6.8%のよう・・・
病院や診療科によってもかなり違うのでしょうね。

今はもう女医も珍しくない時代になりましたが、「男性看護師」もそれ程珍しくはないんですね。
「白衣の天使」は文句なく有難いですが、同性同士でざっくばらんに話が出来ることも嬉しかったです。

因みに、アッピアは「均等法第一世代」で、女性総合職の第一号として仕事をしていたこともあり、
性別で区別されることが大嫌いでした。

仕事を始めた当時、男社会の中でどれだけ苦労したのかを散々聞かされましたが、それも今はもう昔・・・
ただ、最近のセクハラ事件を見ていると、一部の男性はすっかり時代に取り残されているとも感じますが・・・

また、「男性看護師」が増えて来たのは素晴らしいことですが、患者もそれに慣れる必要がありそうですね。
私は、泌尿器科でいきなり男性医師に導尿の予行演習をやらされた後に、初めて一人で挑戦することになりました。

「初めてなので、問題ないかどうか確認していいですか?」と若い女性看護師に見守られて導尿をした時は、
まるで自分が中学生にでもなったような言いようのない気持ちになりました。

さすがに、男性看護師が女性患者の導尿の指導をするとは思いませんが、
あちらはプロで何とも思っていないのに、こちらが勝手に意識して恥ずかしがっているんですよね。

いずれにしても入院患者にとって「看護師は看護師」・・・
女性も男性もそれぞれの良さを活かして親身にサポートして貰えたら、それでOK。

そして、アッピアにとっての「助さん・格さん」ではないですが、真っ先に思うことは・・・
「看護師は本当に頼もしい」

2018年5月18日


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整形外科病棟入院で思い知らされた「事故の恐ろしさ」

2018-05-10 10:37:31 | 驚いた出来事
アッピア夫です。

今回、病気ながら整形外科病棟に入院したことで、改めて「事故の恐ろしさ」を思い知ることになりました。
私はつくづく整形外科と縁があるようで、整形外科に手術でお世話になるのが今回で3度目となります。

1度目は、大学に入学したてのまだ十代の時に、交通事故で・・・

その日は、友人5人と早朝から遊びに行く途中で、都心の高速道路を車で走っていました。
運転していた友人は免許取り立てでまだ慣れておらず、スピードの出し過ぎで車を制御できずに側壁に激突・・・

車は横転したまま横滑りし、その勢いで中央分離帯を一回転で乗り越え、反対車線に横倒しとなりました。
さすがにその時は死を覚悟しましたが、早朝で車が少なかったことが幸いし何とか助かりました。

助手席に座っていた私はダッシュボードで顔面を強打し、左目の眼底と鼻骨を陥没骨折・・・
救急車で整形外科病院に運ばれ、その後鼻骨の日帰り手術を受けました。

2度目は30歳代後半の時に、スポーツによる怪我で・・・

当時夢中になっていたマウンテンバイクで膝を酷使した結果、左膝を痛め半月板を損傷。
現在リハビリで通っている整形外科病院で、剥がれた軟骨の切除手術を受け、1週間入院しました。

そして3度目の今回・・・
大学病院の整形外科病棟に入院したことで、「事故の恐ろしさ」をまざまざと思い知らされました。

同室の方々は下肢が不自由な方ばかりでしたが、病気が原因なのは私だけで、
私以外の方々は何らかの事故で大怪我を負っての入院でした。

特に交通事故と建設関係の落下事故・・・

交通事故のお一人は、事故後1ヶ月間も昏睡状態で生死の淵をさまよった末に生還されたようでした。
病室ではよく聖書を読んでいましたが、その気持ちも分かるような気がします。

また、建設関係の落下事故に遭われた方が二人おられたのですが、一人はタイル職人でもう一人は瓦職人・・・
お二方とも長年その仕事に就いている50歳代のベテランでした。

タイル職人の方は、マンションの外壁の作業中での落下事故・・・
最近はマンションの高層化に伴い、以前よりも事故の危険性が高くなっているのかも知れません。

瓦職人の方は、両手両足の内の3本の数カ所を複雑骨折され、完全看護状態・・・
私の入院中に2度手術を受け、その後もまだ何回かの手術が予定されているようでした。

大怪我にも関わらず淡々と手術や治療を受けていて、その精神力の強さにも感心させられましたが、
その方の言われたことで強く印象に残った言葉があります。

「40年間一度も事故を起こしたことがなかったのに、一生の不覚です。」

具体的な事故の状況は分かりませんが、「まさか・・・」と強く悔やむ気持ちが伝わって来ました。

山での怪我や遭難は、登山時よりも下山時に多いと言われます。
仕事でも何でもやり始めよりも終わりに近い方が、集中力が切れて注意散漫となりミスをしやすくなる訳です。

また、歳を重ねると、以前は出来たはずなのに出来なくなったと感じることが多くなりました。
思い描いているイメージに身体がついていかなくなるんですね。

これからは、自分自身も含めて相当な年齢まで仕事をする時代になったことから、
「ベテランほどミスや事故を起こしやすい」と言うことをしっかり認識しないといけないのだなと感じます。

ある意味「一生の不覚」と思えるのはまだいいのかも知れません。
もしも「一生の不覚」で命を落としていたら、そう思うことさえも出来ない訳ですので・・・

2018年5月10日


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正式な病名は「胸椎部硬膜内髄外腫瘍」、そして腫瘍そのものは「神経鞘腫」

2018-05-03 23:14:48 | 病気について
ッピア夫です。

ゴールデンウイークも後半に突入しましたね。
今日は、ゴールデンウイーク唯一のイベントとして、「家入レオ」のコンサートに行って来ました。

まずは、これに行けることを第一目標に退院後のリハビリを頑張って来ました。
一気にハードルを上げることになりましたが、約2時間のライブを心底楽しむことが出来ました。

そして、何よりも悶々とした気分を一気に発散でき、気持ち的にすっかり元気になって帰って来ました。
大袈裟ですが「生きていることを実感して」・・・

話は変わり、今回は私の病気そのものについて書きたいと思います。

正式な病名は「胸椎部硬膜内髄外腫瘍」・・・
病気の名前って本当に分かりにくいのですが、分かりやすく言い換えると次のようになります。

「脊椎の胸部に出来た腫瘍が、脊髄を覆う硬膜の中で成長し、脊髄の外から神経を圧迫する病気」

入院中、医師が病理検査の結果「良性で再発の可能性も稀」だと伝えに来てくれました。
手術前に可能性が高いと言われていた「神経鞘腫(しょうしゅ)」と言う種類の腫瘍であることがはっきりしました。

「神経鞘腫」と言うのは、神経そのものが腫瘍化するもので、その原因はよく分かっていません。
相当長い時間をかけて成長することもあり、先天性の可能性もあるようです。

病気としてはやはり稀なもので、私の主治医も1年に1回手術をするかどうかとのことでした。
専門の医師でさえ1年に1回しか手術例がないのですから、それだけ珍しい病気なのでしょうね。

手術そのものは、「背中のど真ん中を10㎝ほど切開し、連続した3つの胸椎の突起部分を切除した上で、
その中を通る脊髄の硬膜を切開し、腫瘍を摘出」・・・簡単に言えばそう言うことになります。

簡単に言えばそうなのですが、具体的に説明すると皆が引きます。

まずは、これまで何度か背骨の模型を見せられたので、すっかり脳に画像がインプットされましたが、
背骨と言うのはかなり複雑な形状をしています。

まず、椎骨(ついこつ)と言う独立した骨が連なって出来ているのですが、胸部には全部で12個あります。

また、椎骨は円柱形の部分と突起した部分で形成されています。
恐竜の骨をイメージして頂くと分かりやすいかと思いますが、背骨には槍先のような突起がありますよね。
その突起の根元辺りに穴が空いていて、そこを脊髄が通っています。

脳からの指令を各部位に伝える大変重要な役割を持つ脊髄ですので、外部の衝撃から守るために、
わざわざそのような複雑な構造になっているのでしょうね。改めて身体の不思議を感じます・・・

余談ですが、動物はよく「脊椎動物」と「無脊椎動物」に分類されますが、脊椎動物の種の数はたったの5%未満。
何と残りの95%以上が「無脊椎動物」と一括りにされる中に・・・

身近な動物のほとんどが脊椎動物(哺乳類、魚類、鳥類、両生類、爬虫類)ですので、
改めて動物の多様性に驚かされます。

話は戻り、背骨の突起部分をどうやって切除するのかを医師に訊いたところ、「大工さんと一緒」とのこと。

つまり、手術用のノミやトンカチを使って骨を砕いて取り除いて行くようです。
手術しているところを想像したら恐ろしくなりますが・・・

私の手術痕の痛みはまだ癒えず、まだ椅子の背もたれに背中をくっつけられない状態ですが、
ある意味これだけ手荒な手術と言うことは、背中に大怪我を負ったのと同じことなんですよね。

先日、退院後初めての診察を受けて来ましたが、「これが怪我であれば、重傷と思ってください」と言われ、
「完治まで数ヶ月はかかる」こと、「足の痺れは後遺症として残る可能性がある」こと等を説明されました。

「仕事への復帰」は、後遺症など身体の状態を見ながら自己判断でとのことですが、
「決して急ぎ過ぎないように」とクギを刺されました。

リハビリでお世話になっている理学療法士にも「仕事への復帰」について相談したところ、
「足が動かなくなるまで無理をする人は、復帰しても必ず無理をするので、
あなたには回復途上での復帰は勧められない」と言われました。

前回、「きのっこのこ」さんから「そこまで頑張らなくても・・・」とのコメントをいただきましたが、
本当にその通りだと思います。

入院前のあのハチャメチャな状態はどう考えても「頑張りすぎ」「無理しすぎ」・・・
今つくづく思うのは、「病気において無理は禁物」と言うことです。

私が言っても全く説得力がありませんが・・・

2018年5月3日


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