波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

「同じ気持ちを持ち続け、傍にいる」と言うこと~『気持ちの共有』の続き

2015-02-27 23:34:05 | アッピアとの思い出
☆アッピア夫です。主役の欠けた結婚記念日は、私は仕事、息子は塾で二人とも帰りが遅く、結局ケーキだけ食べて終わりました。前回、アッピアが求めていたと思われる『気持ちの共有』のことを書きましたが、これについてはまだまだ書き足りないことがありますので、今回は少しその続きを書きたいと思います。

まず、病気になってからのアッピアの気持ちと私の気持ちの変化ですが、初発と再発に分けると概ね以下のような過程を辿ったように思います。

<初発>【アッピア】否認→不安→もがき・苦しみ→抑うつ・不安定→受容→模索→再発の覚悟
       【私】不安→受容→模索→楽観

<再発>【アッピア】受容→不安→抑うつ・不安定→模索→抑うつ・不安定→模索→覚悟と挑戦
       【私】不安→受容→模索→覚悟

このように並べてみるとお互いの気持ちが微妙にずれて変化していくことが分かります。家族としての気持ちの変化はシンプルですが、アッピアの気持ちの変化は当然のごとく複雑です。敢えてこのように書いてみると、お互いの心の状態が微妙に異なる中で気持ちを共有していくことの難しさが見えてきますね。

最初に診断結果を告げられた日、病院から駅まで二人で歩きながら何も話せなかったことをよく覚えています。「これからどうなる?」「これから何をしなければならない?」「子供の世話は?」「もしアッピアがいなくなったら?」そう言ったことが頭の中でグルグルしていた時に、「何か話してよ・・・」と言うアッピアの言葉で、ハッと我に返りました。「考えることが多過ぎて、何を話していいのか分からない・・・」などと答えたように思いますが、後になって、あの時は『これからの不安なこと』で頭がいっぱいで、アッピアの気持ちに思いが至っていなかったことに気づきました。「あの時に何でもっとアッピアの気持ちに寄り添ってあげられなかったのだろう」と後悔したことを覚えています。

冷静に考えられるようになってやっと、「他のことは何とでもなる。それよりもアッピアのことを考えなければ・・・」と思えるようになるのですが、しばらくはアッピアが現状を受け入れていくまでのとても不安定な状態と向き合うことになります。前回書いたように、その中でアッピアから容赦のない難問を次から次へと突きつけられるのですが、彼女は、突然背負うことになった運命にもがき苦しみながら、「病気とどう向き合えばいいのか」「この運命をどう受け止めれば良いのか」「これから自分はどう生きていけば良いのか」ということの答えを探していて、私にも『同じ立場に立って考え、そして感じて欲しい』と言う思いだったのだと思います。

そして、再発を告げられた瞬間に診察室で倒れ込んだアッピアは、その後は気持ちの揺れを何度か繰り返しながらも、最後は覚悟を決め、「諦めずにより長く生きる」ことに挑戦していくことになります。ユメさんよりコメントを頂いたように、「真摯に病気に対峙していく」ことになる訳ですね。

これはあくまでも我が家の例であり、十人十色・・・十家族十色・・・家族も色々ですのでどの家庭も同じだとは思いませんが、私自身はアッピアと一緒に病気というものに向き合うことによって、『共感する』(同じ感情・気持ちを感じる)と言うことの先に、『気持ちを共有する』(同じ気持ちを持ち続け、傍にいる)と言う、家族としてとても大事なことがあるのだと考えるようになりました。

おさるさん、コメント有難うございます(この場でのリコメで失礼します)。ご自身の気持ちも手術を受けられたばかりの彼女の気持ちもよく分かります。宜しければこのブログ、特にアッピアが存命中に書いていたブログ(「8年前シリーズ」などが特に参考になるかと・・・)を彼女と読んでじっくり話をしてみてはどうでしょうか?人は本当に辛い状態にある時、いくら相手のことを思って励まそうとしても心に響かないと思います。まずは彼女の気持ちをじっくり聴いてあげて、彼女の気持ちを一緒に感じることから始めてみてはどうでしょうか。・・・と今は偉そうなことを言っている私も、当時は随分同じような経験をしたものです・・・

2015年2月27日 アッピア夫


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「気持ちの共有」~アッピアが家族に求めていたと思うこと

2015-02-21 00:16:22 | アッピアとの思い出
☆アッピア夫です。2月24日に14年目の結婚記念日を迎えます。どう祝うかは、この週末に息子と相談したいと思いますが、この機会に、病気と向き合いながらアッピアとどう生活して来たのかを少し振り返ってみようと思います。

病気が発覚した直後のアッピアは、まるで反抗期で手がつけられない女子高生のようでした。すぐに対応しなければならない入院・手術のことや、その時はまだ生後半年だった息子のこともあり、親族で今後どうするかを話し合っていると、「何よ。まるで私をやっかいもののようにして!」と当たり散らしたかと思えば、突然ワーッと泣き出す・・・こちらもどう対応していいのか分かりませんでしたが、今考えると、突然降って湧いた過酷な運命を背負うには何の心の準備も出来ておらず、情緒不安定になるのも無理のないことでした。

最初の手術も無事に終わり「やっと気持ち的にも少し受け入れられて来たかな?」と思ったのもつかの間。手術後の治療に当たって別の医師の意見も訊きたいと、セカンドオピニオンの病院に向かう道すがら、見てはならない主治医から渡されたデータを覗き見したアッピアは、リンパ節に飛んでいる癌細胞の数の多さに動転。その日仕事でどうしても一緒に行けなかった私に、泣きながら電話をして来ました。「もう私は生きられない。ぜったいに無理。子供もまだ小さくこれからなのに・・・いったいどうすればいいの?」

それから、アッピアが子供を抱っこしながら、一方で過酷な運命を背負うと言う日々が始まる訳ですが、再発が避けられないことを悟った彼女は、ありとあらゆる方法で自分の気持ちの落とし所を探っていたように思います。それから1年後に再発転移するのですが、もうその時には私よりも彼女の方が落ち着いていて、「この人には勝てない」と思わされ、「この強さがあればきっと乗り越えられる」と確信させられました。

その後の揺れ動く気持ちや気持ちの変化などは本人もブログに書いていますが、家庭においては、様々な場面で「もしもこれが自分だったらどうする?」「私はこう思うけどあなたは?」と、常にこちらの考えを問いかけられました。私が自分の考えを言うと、「それは自分が病気じゃないからそう言えるんだよね。」「本当に自分が病気だったらどうするかを考えて!」・・・これは数学の微分積分よりも難しい・・・

難しい質問にこちらも真剣に考えざるを得ませんでしたが、なかなか彼女の納得する答えを出せなかったような気がします。今思うと、彼女が家族に一番望んでいたことは「気持ちの共有」だったのでしょうね。

まだ物心がつくかどうかの幼稚園生の息子に、「お母さんはもう長く生きられないからね。いつかいなくなるんだよ。」と話すことがあり、「それは幼い子供にとってはとても酷なことだから、絶対に言うな。」と話したことがありますが、彼女にしてみれば、家族であるからこそ相手が私であれ息子であれ、「自分の気持ちを聞いてもらいたい」「気持ちを共有したい」ということの表われだったのでしょうね。

アッピアが旅立ち、今冷静にその頃を振り返る中で思うのは、病気を抱える家族として大切なことは、『常に寄り添うこと』『話を聞いて共感すること』、そして最も大事なのは『気持ちを共有すること』なのではないかと思います。

『気持ちを共有する』・・・偉そうに書いていますが、実はそう簡単に出来るものではないことも身にしみて感じています。完全に出来なかったとしても、「相手の気持ちを理解しよう」とすることは誰でも出来るし、そう思うよう努力することが大切なのでしょうね。

2015年2月21日 アッピア夫


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「死後生」という概念~残された人の心の中で生き続けるということ

2015-02-14 01:05:16 | 最近考えること
☆アッピア夫です。「死後生」という言葉を最近知りました。・・・ノンフィクション作家である柳田邦男氏の言葉ですが、最近放映された『がん哲学』をテーマにしたテレビ番組の中で語られていた概念です。これは、「死後も魂は生き続ける」や「輪廻転生」と言うようなことではなく、「人は死んでも、残された人の心の中で生き続ける」ということです。

柳田邦男氏は、私が「ノンフィクション」を読み漁っていた、まだ若かりし頃に好きになった作家の一人です。(少年の頃はSF小説にはまり、大人になると真逆のノンフィクションにはまると言うのも何とも不思議なものですが、その話は主旨からずれるのでまたの機会に・・・)彼はNHKの記者時代のまだ飛行機事故が頻発していた頃、その原因を徹底的に検証し、「人間は間違いを犯すものだ」という人間の本質を描き出した『マッハの恐怖』という本を出しました。それを読んで感銘を受けた私は、その後フリーとなった彼のノンフィクション作品を次から次へと読みました。

事実を科学的に検証することの重要性を説いた本をいくつも書き続けていた柳田邦男氏は、その後、心を病んでいた次男を自殺で亡くします。その脳死となった次男を臓器移植のドナーとする過程を描いた『犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日』という本で、それまで科学的に事実を検証することを説いて来た彼が、初めて科学的・医学的観点よりも、父親としての感情を優先することになります。その後、がん関連や、最期の医学に関する本、死生観などに関する本を書くことが多くなります。

そうした書物を書きながら息子の死というものを受け入れていく過程の中で、到達した概念が「死後生」なのかもしれません。ディズニーアニメのクリエイティブディレクターとして、停滞していたディズニーアニメを見事に立て直し、アナ雪の大ヒットに繋げた立役者であるジョン・ラセターいう方も同じことを言っています。

「人は死んでも、既に残された人の一部であり、何かしら重要な影響を与える存在になっているのではないだろうか。人は死んでもいなくなるのではない。いつも残された人の中に生きていると感じる。」「人は、亡くなっても愛する人に影響を与え続ける。その影響で、残された人はより良い人間になれるのではないだろうか。」「残された人の心の中に生き続けるということは、そういうことだと思うんだ。」

私はアッピアを亡くしてから、何かそれなりの決断が必要な時に、「アッピアだったらこう言う時にどう言うだろうか。どう考えるだろうか。」と、気がついたら頭の中で問いかけていることがあります。アッピアが生きていた頃は、意見が異なるとよく喧嘩になったものですが、今はアッピアの言いそうなことを素直に受け止めて、冷静に考えることが出来る。これが、まさに『死後生』ということなのかも知れませんね。

さあ、今日は誰もくれることのなくなったチョコを息子と二人で買ってきて、食べまくろう。お休みなさい。

2015年2月14日 アッピア夫


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「自己責任」という言葉について~今回の日本人人質殺害事件で思うこと

2015-02-07 23:31:28 | 悲しい出来事
☆アッピア夫です。前回のブログで私のものごとを考える基準は「自己責任」だと書きました。今回最悪の結果となったイスラム国による日本人殺害事件において、改めて「自己責任」ということがクローズアップされましたので、今回はそのことに触れたいと思います。

今回の事件において、「イスラム国」を許せないのは当然のことです。「宗教に名を借りた過激なテロ組織」、「劇場型犯罪組織」、「狂信的なカルト集団」、「無差別殺人集団」、「邪悪な狂気の集まり」・・・形容すればきりがないほど理解不能な集団で、「人間はここまで極悪非道になれるものか?」と思わずにいられませんし、このようなとんでもない集団が国家のようなシステムを持ち、世界の至るところでテロを起こすように指令を出していることに、嫌悪と恐ろしさを感じます。一方、今回の事件については「???」なことが多すぎると感じています。

まず、最初に犠牲となったY氏。彼は根っからの武器マニアのようで、設立したばかりの民間軍事会社のCEOを名乗っていますが、会社の実態は不明。危険な地域に行って何をやっていたのかも不明。ここで疑問なのが、そもそも武器を持つことが許されない日本で軍事会社など設立できるの?また、彼が人脈もなく一人でこのようなことが出来るとも思えません。G氏がわざわざ助けに行ったことと何か関係があるのでしょうか?

また、二人目の犠牲者となってしまったG氏。彼はフリージャーナリストとして幅広く活動していたようですが、私は全く知りませんでした。彼が殺害されたことは大変残念なことです。但し、今回はジャーナリストとして活動中の突発的な出来事ではなく、Y氏を助ける目的で敢えて危険を冒して相手の支配地域に入り捉えられました。そこで、どうしても拭えない疑問があります。「彼は、まともな交渉など不可能で、平気で何でもする無法者の集団の中に、なぜ高いリスクを承知でわざわざ飛び込んで行ったのか?」

G氏の渡航計画を知った政府から、3度に亘り渡航を見直すよう働きかけがあったようですが、それにも関わらず決行したのは、余程の理由があったとしか思えません。「G氏が引き取りに来ないとY氏を殺害する」などの誘いにおびき寄せられたのか、何らかの巧妙な罠に罹ってしまったのか・・・今更あれこれ想像してみてもどうしようもないのですが、彼がイスラム国の支配地域に入る前に撮影したビデオメッセージを見て、改めて「自己責任」について考えさせられました。

「何が起こっても、責任は私自身にあります」・・・彼はビデオメッセージでそう言っていました。いわゆる「自己責任」のことですね。「自己責任」という言葉を調べてみると、ウィキペディアには、「自分の行動には自分に責任が存在することや、自身の行動による過失の場合にのみ自身が責任を負うことと」となっていますが、注釈として「現代社会では多くの意味や用例が存在する」とも書かれています。

「自己責任」はその対象となる物事やその人の立場、その時々の状況によってその意味するところが違ってくるので、定義をするのはなかなか難しいのですが、今回のような身の危険度が非常に高いところに自らの意思で足を踏み入れる場合は、当然のことながら「人質になる」「命を落とす」という可能性を高い確率で想定しているはずです。

もしも、人質になったら責任は自分だけではなく、国も責任を負うことになり「自己責任」とはとても言えないですね。また、命を落とすことになった場合も「自分の命にだけは責任が持てる」でしょうが、自分の家族や、これまで生きてきた中での関わりのある人々やジャーナリストとして活動してきた上での関わりのある人々に対して、またジャーナリストとして強い使命感を持って取り組んできたことが続けられなくなることへの責任はどう考えれば良いのでしょうか?

私は、「そのことの結果に対しての全てを自分で責任を負えない」のであれば、簡単に「自己責任」という言葉は使ってはいけないのではとないかと思っています。今回の件では、身勝手な行動をしているとしか思えない一人の人を助けに行くことの「責任」よりも、生まれたばかりの幼子を含めたご自身の家族や、強い使命感を持って取り組んできた仕事を継続していくことに「責任」を感じて、行くことを思い留まって欲しかったなと思います。もう今となってはですが・・・

因みに、このアッピアブログの内容に関しては、前回のような漢字の間違いも含めて、アッピアから引き継いだ私の「自己責任」ですね。これから、漢字はしっかり調べて書くようにします・・・

2015年2月7日 アッピア夫


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