いつも母は ヘルパーさんに お風呂に入れてもらっています。
ほっかほかに温まって上がってきて、
その度に「ああ、極楽~」と言うのです。
「こんな、昼間っからお風呂入れてもろてー」
そして、昔のことを思い出し、ニコニコと こんなことを言うのです。
「そのころは全部で10人くらいの家やった。嫁だから、お風呂は一番最後。
michiはまだ小さかったから、眠くなる時間。
寝たらあかん~寝たらあかん~言うて起こしながら入れたんや。」
――この話はもう何度も何度も聞かされ、その度にこちらは
「すみませんでしたねぇ。お世話になりましたね」と笑いながら頭を下げるのです。
さて、かめおかゆみこさんのメルマガ〔今日のフォーカスチェンジ〕10/4のテーマは、
「自分を幸福にするために」でした。
一部抜粋すると、
そして、あらためて、「心象記憶」の
おもしろさに気づいたのです。
私ほど極端でなくても、誰もが、
記憶のずれはもっているでしょう。
ということは、
いま、こうだと思いこんでいること、
それって、事実とはことなる場合が
あるということです。
自分にとって、うれしくない記憶が、
もしも、自分の思いこみによって
つくられているとしたら…?
それを後生大事にかかえている
必要って、あるのでしょうか?
これ、とても共感し、心に深く入ってきました。
そこから思ったんです。
母の昔話は、年齢の計算が合わなかったり、
ん?ほんとに?と首をかしげたくなることもあったりしますが、
母はとにかく、昔を懐かしんだり、目の前の人とおしゃべりしたい、
そういうような気持ちから話をしているのかも、と。
何度も同じ話を聞かされても、
ああ、楽しんでいるのね~、と
受けとめられるようになってきました。