毎日のように通る道なのに、毎年見ているはずなのに、
ふと道の脇に目をやると、
「あら、ここにこんな花が。いつの間に? 毎年咲いてた?」
なんて気づくことがよくあるんです。
花はきっと毎年、一生懸命に咲いてくれているのにね。
よぉく見ると、12日にアップした花と同じ?
花のつき方、っていうか、枝ぶりががかなり違うんだけど、育ち方で こうもちがうの・・・?
『置かれた場所で咲きなさい』は、後半にも、「おっ、」と目にとまる文章がありました。
『許すための「ゆとり」 2%の余地』っていうテーマ。
え?すっかり丸ごと信頼するんじゃないの?
と読み進めると、特にこの部分。
『…あなたがお父様を亡くして悲しかったその悲しみと、お友だちがお父様をお亡くしになっての悲しみとは、決して同じではない。お互い別々の人間だから、共通するところもあるけれどもわかり切れないところもあるのです。
人間は決して完全にわかり合えない。だから、どれほど相手を信頼していても、「100%信頼しちゃだめよ、98%にしなさい。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておきなさい」といっています。
人間は不完全なものです。それなのに100%信頼するから、許せなくなる。100%信頼した出会いはかえって壊れやすいと思います。「あなたは私を信頼してくれているけれども、私は神さまじゃないから間違う余地があることを忘れないでね」ということと、「私もあなたをほかの人よりもずっと信頼するけど、あなたは神さまじゃないと私は知っているから、間違ってもいいのよ」ということ……。そういう「ゆとり」が、その2%にあるような気がします。』
――なるほど、これは深い。 大きく包み込むような愛。
その2%の「ゆとり」がとても大切なんですね。
完全に丸ごと信頼しきっていると、なにかあったときに
「えっ、こんな人だとは思わなかった。。こんな人を信じきってしまった私がバカだった…」
なんてことになって、
自分の中の土台、基盤から もう自分の心 全体がゆらいできたり…。
それと、
軽々しく「うん、わかる、わかる~ 」なんて言ったり出来ないんですよね。
人の心は繊細で、もっと深い。